40・翠山
アレゲニーの宿の二人部屋に、美仁達五人は集まっていた。寝る為だけにあるような狭い部屋には、ベッドが二台と小さいテーブル、荷物を置く台があるだけだった。
体の大きいカイとロンが一台のベッドに腰掛け、もう一台には美仁、アムル、ディディエが座り向かい合って話している。小さいテーブルには使い古された地図が広げられている。
「折角ブラゾス大陸に来たんだから、次はブラゾス大陸を旅するのも良いんじゃないかな、って思うんだけど、どうかな?」
「賛成でーす。でも、ディディエの解呪祝いのお酒はクヤホガを出てから渡すので、ツァコア国に行きたいでーす。」
「お前は酒を飲みたいだけだろー?アムル、昨日のコイツのしょぼくれた顔見たか?」
挙手をして賛成した美仁を、ディディエがニヤニヤと笑いながら揶揄った。間に挟まれたアムルは困ったような顔をしている。
「あはは。見ない間にお酒好きになっちゃって。じゃあ、北ブラゾス大陸から廻って行こうか。」
ディディエに意地悪な事を言われた後、カイから優しく微笑まれると、美仁はとても癒される。そして自分の我儘を受け入れてくれた事を有難く思い、美仁は頬を緩めて頷いた。
「そういや美仁は一度ミズホノクニに帰るんだと。だからどっかで合流しないとなんだが…。」
昨日の会話を思い出したディディエがカイに言うと、美仁が割って入った。
「あのね、どの位ミズホノクニに滞在するか分からないから、この蝶を連れて行って欲しいの。」
美仁は掌に薄紫色の蝶を出した。美仁の使役する夢見蝶だ。
「この蝶は私の従魔だから、悪さはしないよ。誰かの服にくっ付けておいてくれれば、場所が分かるから。」
「夢見蝶だ。綺麗な蝶だねぇ。」
アムルが蝶を褒めてくれ、美仁は嬉しくなる。従魔を褒められるのは自分が褒められたように嬉しい。
「この蝶って何か出来るのか?」
「あんまり使った事はないの。衰弱させたい相手も居ないし。番の蝶を二人で持ってると、夢で会わせてくれるけど、この能力は友達に使ってもらった位だね~。」
ディディエはへぇ、と面白そうに目を開いた。
「それ、やってみたいな。番の片方俺が連れて行くから。お前もう片方持っててくれよ。」
「えええ~。」
美仁はあからさまに嫌な顔をした。夢で会うなんて、恋人同士みたいではないか。現に友人のカロルは、この蝶で婚約者に会っていたのだ。
「…まぁ、ミズホノクニとここは昼と夜が逆だから、寝てる時間が合わないと会えないし、必ず夢を見る訳でも無いからね。」
「分かった。よろしくな、蝶さん。」
嫌々了承し、番の片方をディディエに渡すと、ディディエは少年のように嬉しそうに笑って蝶を見た。美仁も番の蝶を出し、襟巻きに乗せた。
「これで、何処に居ても合流出来るんだね。俺達は明日から馬車でツァコアに向かうよ。美仁も明日発つ?」
「うん。明日にする。じゃあ、私はもう寝るね。…ロン、お酒出しとく?」
「おお。頼む。」
ディディエが元に戻った事で、ロンはカイと同室となり、美仁は一人部屋になった。ロンに酒瓶を幾つか渡すと、休みの挨拶をして部屋を出た。今日は大人しく寝る事にする。
美仁が出てきたすぐ後にディディエも部屋から出てきた。ロン達と酒を飲むのかと思っていた美仁は、不思議そうにディディエを見る。
「俺も寝ようかと思ってさ。今日見れるかも知れないだろ?」
「うん…まぁ…わかんないけど…。」
「ははっ。悪い。夢で人に会うなんての、初めて聞いたからさ。気になって。あ、大丈夫だぜ?今日会えても、蝶は大事に連れて行くから。」
ニカッと綺麗に並んだ白い歯を見せて笑うディディエは、いつもよりも幼く見えた。いつも揶揄われている美仁は、蝶を優しく気に掛けるような事を言うディディエは何だか落ち着かない。
「それじゃ、おやすみ~。」
「…おやすみ。」
ディディエは片手を挙げて隣の部屋に入って行った。美仁の部屋は少し離れている為そちらに向かう。
その晩美仁は夢を見なかった。
翌朝、駅馬車の時間にはまだ早く、美仁とロンは宿の前でカイ達に見送られている。
「じゃあ、またね!」
美仁はロンの後ろから抱き着いて言うと、カイとアムルはニコニコと手を振ってくれた。ムスッとした顔でこちらを見ているディディエと目が合う。夢が見られなかった事で不機嫌になっているのだろうか。
あんな顔をされても、私のせいじゃないのに…、と美仁もムッと眉を寄せた。
「じゃあな。」
ロンはそう一言言うと、地を蹴り空高く跳び上がった。上空で竜に変化すると、翼を羽ばたかせて美仁の蝶を追った。ロンも、美仁もどちらへ向かえばミズホノクニに辿り着くのか分かっていない。そんな彼等を、この蝶は道案内をしてくれる。
渡りをする蝶プラネパファル。初めて魔物を使役した時に、この蝶も居た。この蝶を使役出来て良かった。プラネパファルが居なかったら、方位磁針と地図と眼下とにらめっこしなければならなかっただろう。
美仁は初めて魔物を使役した時、翠山で瑠璃と共に蝶の種類を調べた。渡りをする蝶だと気付くと、瑠璃は蝶達に旅をさせる事を勧めてきたのだ。美仁はその通りにし、今そう勧めてくれた瑠璃に感謝している。
感謝しているのは瑠璃だけではない。翡翠をはじめとした、美仁に修行をつけてくれた女仙達。進むべき道を示してくれた真珠。ラレシャのジャラ。皆のお陰で今の美仁がある。
「女仙様達皆に会えると良いんだけど…。難しいかな。まずは、翠山に行こう。」
放浪癖のある翡翠が翠山に居るかは分からないが、一度翠山に向かい、翠山に居なければ中央山に向かう事にした。
翠山には、その日の夕方に到着した。翡翠が居る気配がする。そして、更にもう一人、知らない気配を感じた。女仙ではない。誰だろうか。美仁が翠山で暮らしていた時に、女仙以外の訪問者は居なかった。
新しい弟子なのだろうかと疑問に思いながら、美仁は翡翠の家の戸を叩いた。
「美仁!久しいのう!」
ガラッと戸が開くと共に翡翠が出てきて美仁を抱き締めた。今まで翡翠に抱き締められた事など無い美仁は、吃驚して目を白黒させる。
「ひ、翡翠様、お久しぶりでございます。地獄に行って来ました。」
「そうかそうか。ゆっくり話を聞きたいのお。新しい弟子がおるが、気にせずゆっくりするのじゃぞ。」
喜色満面に翡翠が美仁を家に招いた。こんなに喜びを露わにする翡翠を初めて見る。美仁は大変戸惑っていた。
中に入ると、新しい弟子と目が合った。美仁はこの男と会った事がある。ダークエルフのとんでもない美男子。一度しか会った事は無いが、美仁はしっかり覚えていた。ガルニエ城の前でカロルと共に会った、イヌクシュクだ。
「おや、お久しぶりですね。カロル様のご友人ではございませんか。」
「お久しぶりです。私の事を、よく覚えてましたね。」
イヌクシュクは面白そうにクスクスと笑った。美仁は面白い事など何一つ言っていない為疑問符を頭上に浮かべる。
「あんなに凄まじい魔力は初めて見ましたからね。忘れられる筈がありません。貴女こそ、私をよく覚えておいででしたね。」
「そりゃ、こんなイケメンじゃあ…。」
美しすぎるダークエルフに微笑まれ、美仁は顔を赤くしてたじろぐ。やはり美形は苦手だ。ディディエのように意地悪ならばこんな居心地の悪い思いはしなくて良いのだが。
「イヌクシュクは伊達男じゃが、少々暑苦しいでな。妾は困っておる。」
「そんな…。でも私を弟子にして頂いてありがとうございます。ついでに私の愛も受け取って頂きたく存じます。」
イヌクシュクがサラッと愛の告白をすると、翡翠がうへぇと顔を歪ませた。美仁はこんなに表情豊かな翡翠は初めて見る。
「失礼します。」
美仁が二人を面白そうに見ていると、ガレルダァの小夜とシロが料理を手に入って来た。翠山に到着してすぐに、小夜の元にシロを向かわせており、シロは小夜の手伝いをしていた。
「これはイカかの?久方ぶりに食べるのお。」
「はい。カラマテウティスです。海に潜って獲ってきました。こっちのエイヒレはレデウリオのヒレです。」
翡翠は美仁の説明を、ほぉ、と聞きながら食べ始める。カラマテウティスを口に入れると、甘辛いタレによく絡み歯ごたえのあるイカの身を堪能出来る。
「うむ。美味じゃのう。こちらのレデウリオのヒレも美味じゃ。酒に合いそうじゃな。」
翡翠はヒレを囲炉裏で炙りながら食べている。そしてミズホノクニの酒を出して飲み始めた。
「やはり合うな。ほれロン。お前も飲むじゃろう?」
ロンは無言で翡翠から酒を貰い、美仁を見た。その視線に気付き、美仁はカラマテウティスを飲み込むと説明する。
「ミズホノクニはお酒は二十歳からなの。だからここを発つ時にいっぱい買って行きましょ。カイ達のお土産になるし。」
「そうか。」
ロンは頷くと、お猪口に入れた酒をぐいっと呷った。後味のキレがかなり良い超辛口のこの酒は、目の前の料理に合う。洗練された口当たりは軽快で、自然と箸がすすんだ。
「カイというのは美仁の仲間かえ?旅の話を聞かせてくりゃれ。」
「はい!まずはここを出てカロルに会って来ました。カロル、すっごくカッコよくなってたんですよ!」
翡翠はもう一人の弟子の名前を聞き、嬉しそうに微笑んだ。その笑みを見たイヌクシュクは、箸を止めて見入ってしまう。
「その後、船に乗ってブラゾス大陸に渡りました。」
「ふふふ。ロンが居るのに船で行ったか。して、船はどうであった?」
「初めは楽しかったんですけど、すぐに飽きちゃって…。それからは海で狩りをして過ごしてました。あ、船で空を飛ぶ魔法を教わったんです。」
空を飛ぶ魔法、に反応した翡翠はにんまりと口角を上げてイヌクシュクを見た。
「イヌクシュクもな、その魔法で登って来たんじゃ。かなり無理をしたらしいのう。」
「はい。無理をした甲斐がありました。お陰で運命の出会いを果たす事が出来ましたので。」
意地悪く笑った翡翠にイヌクシュクは恍惚とした視線を送る。
あの日、イヌクシュクは魔力の限り翠山の頂を目指した。途中で魔力ポーションを飲みながら飛び続け、そしてやっとの事で頂上に辿り着くと一歩も動けずに倒れ込んでしまった。
来客に気付いた翡翠が、美仁にした時と同じようにイヌクシュクを助け、弟子入りと愛の告白を同時に受けたという。
一目惚れでした、と恍惚の表情で語るイヌクシュクに美仁は乾いた笑い声で返すと、翡翠に旅の話を聞かせた。仲間が出来た事。地獄の中の事。自分がこちらに来た理由。これからも仲間達と旅をする事になった事を。
翡翠は自覚していなかったが、美仁の話を慈愛に満ちた表情で聞いていた。