38・地獄
「千晶様は、私と同郷なんですよね…?なのに、勇者様とお知り合いなんですか?勇者様って、百年以上前に亡くなられた筈ですけど…。」
美仁はおずおずと疑問を口にした。流石に勉強嫌いの美仁でも、勇者や聖女の伝説は知っている。聖女の長い活躍に対し、勇者の顛末は悲しいものだった。聖女が消えた後、愛する聖女を失った勇者は酒浸りになり、かつての猛々しい姿は見られなくなってしまったという。
その勇者の知り合いとなると、自分より少し年上、ではなく大分年上、という事になる。人間ならば、日本人ならば、若い姿のままでいる事はおかしいではないか。
「千晶をこちらに連れて来る時に、俺の祝福を与えた。肉体と魂に、な。だから千晶は人間ではなく、俺の妻になり、こちらに渡って来る事が出来るようになったんだ。」
「まさか、あの告白を受けて、こんな事になるとは思ってもみなかったです。親には孫の顔を見せる事も出来なかったですし、歳をとらない魔女のように言われて…。」
千晶は魔王を非難するような口調で話しているが、顔は相変わらずおっとりと笑っている。魔王も全く気にした風ではない。千晶は美仁の方へ、わくわくとした顔を向けた。
「美仁さん。日本の事を聞かせて頂けますか?」
「五百年も経ってるのだから、お前の思う懐かしい話は聞けないのではないか?あちらの発展する速度は目を見張るものがあるからな。」
「そうですね…。五百年も経っていたら、月に旅行に行けるようになっていそうですものね。」
千晶が日本に居た頃は、民間人が宇宙に飛び立つ事は出来なかった。
「私は行ったことないですけど、お金持ちの子が宇宙旅行に行ったって聞いた事あります。」
「わぁぁ!すごいですねぇ!いつかこの星にも地球人が来るかも知れませんね。」
千晶が色めきだっているが、美仁はそのクラスメイトの言葉を思い出していた。彼は美仁に話していた訳では無かったが、美仁は席が近かった為に聞いていた。
「確か…未開惑星?には降りる事は出来ないみたいです。保護条約?とかがあるらしくて…。だからこの星も宇宙に出られるようになるまでは交流出来ないんです。」
「そうなのですね…。では、この星は無理かも知れませんね。この星の発展速度はゆっくりですからねぇ。」
「天上界の神達も嫌がりそうだしな。」
カイ達はこの話をポカンとした表情で聞いている。話している内容のほとんどを理解出来ないまま、ただ話を聞いているだけの状態だった。理解も出来ていない、その上魔王も参加している会話に加わる勇気は無かった。
「でも、いくら発展がゆっくりでも、まだ全ての子供達を学校に通わせる事が出来るようになっていないのは、どうなのでしょうね…。やっぱりまた地上に行ってお話させて頂かないといけないかしら…。」
千晶の言葉を聞き魔王は嫌そうな顔をした。アムルは何かが繋がったように驚いた顔をすると、千晶の方へ顔を向けた。
「あの、もしかして、千晶様は聖女様ですか…?」
アムルを見た千晶はにっこりと微笑む。
「懐かしいですねぇ。地上に居た頃はそのように呼んで下さる方もいらっしゃいましたね。」
アムルも、カイもディディエも、何とロンまでもが衝撃を受けていた。約二百年前に姿を消した聖女が、地獄で魔王を伴侶として今も生きているなんて、地上の誰もが想像しなかったであろう。
「じゃあ、聖女様の騎士様というのは…。」
恐る恐る尋ねたアムルに、ニヤリと笑った魔王が答えた。
「俺だな。」
やっぱり。アムルは納得した。片時も聖女から離れる事無く聖女を守り、誰よりも強い力を持つ騎士。その正体が魔王であったのならば、奴隷商が解体させられた時の惨劇も、戦争をかなり強引な方法で終わらせた事も、魔王の力によるものだったのだと納得出来る。
五百年程前に現れ、戦争の終結、奴隷の解放、言語の統一、冒険者支援協会の設立、上下水道の整備等、様々な功績を残した聖女。彼女は冒険者としても活躍しており、姿を消す前は勇者とパーティを組み旅をしていたという。そして全ての子供達を学校に通わせ勉学の機会を与えたいと、その必要性を各国で話をしていた。先の千晶の言葉にもあるように、それが実現出来た国はまだ少ない。
聖女は特別な力を持っていた訳では無い。だが聖女によって多くの人々は救われ、信仰の対象にすらなった。その聖女を前にして、ロンは青ざめていた。
「おいロン、大丈夫か…?」
「…………あ、ああ…。」
ディディエに肘でつつかれ意識を取り戻すも、ロンは前を見ないように下を向く。そのロンを見て、千晶は眉を下げた。
「あら、ロンさんはドラゴンだったのですね。ドラゲンズバーグの皆様は、言語の統一に理解を示して頂けませんでしたから…少し手荒になってしまったのですよね。」
ロンは眉を下げて困ったように笑っている千晶が恐ろしかった。ロンは、千晶と魔王にドラゲンズバーグで一番強い長が半殺しにされたのを見ていた。幼かったロンは、世界中で一番強いと思っていた長が瞬時に八つ裂きにされたのを見て気を失う程の衝撃と恐怖を聖女に覚えた。長を倒したのは魔王だったのだが、優しい笑みをずっと崩さなかった聖女が怖かった。初めから最後まで、話している間も、長が巨大な竜に変化しても、長が血溜まりに倒れても、彼女はずっと微笑んでいた。そして聖女は、最後まで言語の統一に協力的でなかったドラゲンズバーグの言語も、統一する事に成功した。
当時は少なからず、聖女に対して恐怖心を持っている者もいたのだが、それは時と共に風化して、今では様々な功績を残した聖女は敬慕の念を集めている。だが長命なドラゴンやエルフ族は聖女に対する恐怖心を今でも忘れていない者も少なくない。ロンもそのうちの一頭だった。
だが功績しか知らないカイ達はロンの怖気を不思議に思いながらも、千晶に尊敬の眼差しを送った。
千晶は自分が地上で様々な事を強引に進めた自覚はある為、微笑んだままロンから視線を外した。自分を恐れる者がいる事は分かっていた事であったし、千晶は他者の評価をあまり気にする性格ではなかった。
「それで、美仁はこれから闇の王と暮らすのか?」
「いや。地上に戻るんだ。美仁は既に親離れしているからな。私も子離れせねばならない。」
魔王は闇の言葉に目を丸くすると可笑しそうに大笑いした。
「子離れか!千晶の親も度々言っていたな。闇の王も人間のような事を言うのだな。」
「ふふふふふ。私は美仁の親だからな。母親らしいだろう?」
闇は得意気に笑っている。親になった事が余程嬉しいらしく、事ある毎に母親アピールをしている。
「うふふ。闇の王。あまり構いすぎると煙たがられますよ。」
「反抗期というやつだな!」
闇は楽しそうに話をしている。今までずっと城の奥に引きこもっていたが、初めての他者との触れ合いは中々楽しめていた。
「はぁ。地上のお菓子、どれも美味しかったです。ありがとうごさいました。」
いつの間にか美仁の用意したお菓子は、魔王と千晶、そして闇によって全て平らげられていた。かなりの量を用意したつもりだったが、もう無くなっている事に美仁は唖然とした。
「さて、地上の者は、俺に聞きたい事等無いのか?随分静かだったが。」
「あ、いえ、俺達は、お礼を申し上げたかっただけですので…。」
カイが大変恐縮しながら答えると、魔王は面白そうに笑う。
「律儀な者達だな!城の者もウルスルの手に喜んでいるし、俺も千晶も新しい地上の菓子に満足している。そうだな…。サラル、暗黒鉱石を持って来い。」
「かしこまりました。」
サラルはきっちりとした礼をして部屋を出て行った。カイ達に対してはどこかふざけていた感じがしたが、やはり自らの主に対しては礼儀正しく接している。
少ししてゴロゴロと台車を転がしてサラルは部屋に入って来た。台車には黒々と輝く大きな石が積まれている。
「暗黒鉱石は地上では採れん鉱物だ。地獄の連中は面倒な事はしないから、この鉱物で何が出来るのかは分からん。闇魔法の魔力媒体位にはなると思うが…。沢山採れるのでな。持って行け。」
ディディエが魔力媒体という言葉を聞き目を輝かせている。ディディエは重い鎧は装備していない、軽装にマントを羽織った魔術師だ。未知なる魔力媒体であろう鉱物に興味津々のようだ。
「地上にない鉱物なら、高く売れるかなぁ…。」
美仁は美仁で、いつもの守銭奴らしく考え込んでいる。
「売るなら魔術師ギルドに解析にも出してくれよ!闇魔法の魔力媒体は珍しいんだ!」
「あはは。出た出た魔術オタク!」
「お!お前だってこれが薬草だったら同じ事言うだろ!」
エルフの幼馴染二人がわいわいと言い合っていると、面白そうに見ていた魔王が提案した。
「ならば滞在中、魔王領の中での狩りと植物採集を認めよう。サラル、案内してやれ。」
魔王との謁見が終わり、一行はサラルの案内で魔王領内の森で地獄の魔物を狩ったり、植物の採集をして過ごした。美仁は、地獄の魔物がどんな値段で売れるのかと、アムルは見た事も無い植物の解析に、期待に胸を弾ませた。
そしてカイ達のランプブローチの、最後の鈴なり花が点滅した。点滅し光らなくなった鈴なり花は、首をもがれたように地に落ちる。なのでカイ達の胸に咲く鈴なり花はあと一輪しか無かった。
「おっと。地上に戻る時間のようですね。」
点滅に気付いたサラルが空に向かって指を指すと、人骨のレムイラーが空からやってきた。地獄に来た時に連れて来てくれたレムイラーだ。レムイラーは恭しく頭を下げる。
「無事に送り届けてやってくれ。美仁、また顔を見せに来るのだぞ。待っているから。」
「はい。…ありがとうごさいました。」
美仁には闇の黄金色に輝く瞳が寂しそうに揺れたように見えた。美仁は闇にペコリとお辞儀をして、少し逡巡した後に軽いハグをした。驚いたように目を開けた闇は、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「気を付けてな。まぁ、生半には死ねぬが…。神殺しの剣には気を付けろ。あれは厳重に保管されているし、あれが放たれれば天上界の奴等が黙っていない筈だがな。」
念の為だ、と付け足し、闇は美仁を抱き返した。自分の事を案じてくれている闇に照れ臭そうに笑い返すと、美仁はカイ達の方へ向いた。レムイラーの靄が体を覆っていく。
「闇の王、サラル、ありがとうごさいました~。」
レムイラーに運ばれながら、美仁は見送る彼等に礼を言う。
こちらに来たばかりの時、イメージしていた地獄とは全く違う地獄。来る事が出来て良かった。きっとまた来よう。美仁は地上に向かう暗闇の中、少し微笑んでそう思った。