34・火の王の城
「お前あの状況でよく鼻歌なんぞ歌えたな…。」
呆れたような声が耳元から聞こえ、振り向くとすぐそこにロンの顔があった。レムイラーに捕まっている上に視界が真っ暗だったせいで分からなかったが、全員一纏めにされていたらしい。呆れ顔のロンの後ろから、優しくカイが声をかけてくれる。
「あはは。美仁のお陰で気が抜けたよ。」
「あ、聞こえてたんだ。うふふ。良い曲でしょ?カロルが作曲したんだって!この曲が入ってる音魔石買ったから、いつでも聞けるよ。」
ニコニコと笑いながら言う美仁の視界に、地獄の景色が広がった。空は暗い赤紫色をしており、遠くにある黒い雲からは幾筋もの青い稲光が大地に降り注いでいる。黒い森に黒い大地が眼下に広がり、遠くに見える高い山は、穏やかに爆発しマグマ片を間欠的に撒き散らしている。
地上では見れない景色に美仁は言葉を失った。レムイラーは高台に美仁達を降ろすと、何も言わずに地上に戻って行った。取り残された一同は、高台から声も無く地獄を見渡す。
これからどうすれば良いのか…そう思いカイの方を見ると、遠くの空に何かが見えた。その何かはこちらに近付いて来ている。鳥のように羽ばたいているそれは、すぐに目の前までやって来た。遠目に見ると鳥に見えたが、近くで見ると少し違う。翼には羽が生えておらず、細かく短い毛の生えた膜のようなもので出来ている。尻尾は無く嘴の先は丸みを帯びていた。高台に降り立ったその生き物は全部で六体、その内の一体の背中から男が降りて来た。
「地獄へようこそ。地上の方。そして、お帰りなさいませ。ビフツェルートはお持ちですか?こちらのオルテリュケルタに食べさせて下さい。好物なんですよ。」
貼り付けたような笑みを浮かべた男はペラペラと喋った。ウェーブのかかった黒髪に、捻れた二本の角が生えている。下半身は黒い毛に覆われた獣ようで、長い尻尾が揺れており、足には固い蹄があった。
美仁はビフツェルートを一体ずつ出してオルテリュケルタに与えた。アイテムボックスから出したビフツェルートは大きく育っていて暴れる力が強かったが、好物を見つけたオルテリュケルタの素早い動きにあっけなく食べられてしまった。もぐもぐと咀嚼し飲み込んだオルテリュケルタは、満足そうな顔をしていた…ように美仁には見えた。
「いやぁ、流石でございます。それでは早速、闇の王の元に参られますか?」
笑顔を貼り付けた男は、当然そこへ行くのだろうと聞いてきた。しかしディディエの目的は火の王だ。カイは二三歩踏み出し男に近付く。
「すいませんが、俺達は火の王の所に行きたいんです。それに、貴方は誰なんですか?」
「おや、失礼致しました。私はサラルといいます。魔王様の僕でございます。魔王様より皆様の案内を申し付けられました。」
サラルは優雅な動きでボウアンドスクレイプの挨拶をする。手をクルクルと回しているので、ふざけているようだ。表情も、貼り付けた笑顔ではなくニヤリと口元が歪んだ笑顔だ。
カイ達もサラルに自己紹介をすると、サラルは笑顔を貼り付けて目的地を確認する。
「さて、火の王の城に向かえば良いのですね?いやぁ、あの方の呪いにかけられた方が出るのは何年ぶりですかねぇ。」
全員がオルテリュケルタの背に跨ると、オルテリュケルタは翼を羽ばたかせて飛翔した。一頭だけ誰も跨っていないオルテリュケルタがいるが、しっかり着いて来る。
休む事無く飛び続けた為、お腹が空いた美仁はアイテムボックスから片手で食べられる物を出して皆に渡した。それに気付いたサラルは「おや、気が効かなくて申し訳ございませんね。」と笑っていた。
温く纏わりつくような空気が、噴火している山に近付くにつれて熱を帯びてくる。カイもアムルもじんわりと汗をかき始めた頃に、街に着いた。黒い石で作られた家が並んでいる。サラルは街をオルテリュケルタに乗ったまま飛んで進み宿に向かう。宿の厩舎にオルテリュケルタを預け、宿泊の手配をしてくれた。通貨は地上のものと同じで、食事も何故か人間用のものが置いてあった。調理に必要だと、浄化石を幾つか渡すと、美味しそうな食事が運ばれて来た。
「地獄に人が入るのは、勇者様以来だと聞きましたが、他にも居たのですか?」
美仁達の前にはご飯に野菜のスープ、サラダ、何かのステーキに、これは多分…恐らく…フルーツが並べられており、他のテーブルとは全く違っている。サラルは美仁達と同じ物を食べるようだが、他のテーブルに座っている二本足で立つトカゲ、竜人族達は、焼かれているのにガタガタ動く棘の生えた魚や、フサフサした毛が生えたまま焼かれた何かの肉を食べていた。人間用の食事がメニューにあるという事は、他にも地獄に入った人間が居るという事なのだろうと、カイはサラルに聞いた。
「いえ。あの勇者という者を最後に入獄された人間はおりませんね。この食事の事でしたら、魔王様の奥方様が考案されたものですので、安心してお召し上がりください。奥方様は地上から来られた方ですからね。美味しいですよ?」
サラルはにっこりと笑うとステーキを切って口に入れた。美仁達は恐る恐る食べ始めると、サラルの言う通り、この食事は美味しく満足のいくものだった。
「では、私は火の王の城に使いを出します。皆様はお部屋でお休み下さい。水が必要でしたら、浄化石をお渡し下されば用意させますよ。」
食事が終わると、サラルがこう申し出てくれたが、水樽魔石がある旨を伝えると、驚き感心したように目を丸くした。
「地上の発展は素晴らしいものですね。では、お部屋から出ないようにして下さいね。魔王様の御触れで地上の方への手出しは禁じられておりますが、地獄には無法者が多いですから。…まぁ、貴方方に手を出す命知らずは居ないとは思いますがね。」
サラルはふふふ、と笑うと宿を出て行った。美仁達はトラブルは避けたかったので、大人しく部屋で休んだ。
明日になったらディディエは元の姿に戻れるかも知れない。ディディエはこの夜、期待と興奮で眠る事が出来なかった。
翌朝、朝食を食べていると、宿に入って来た竜人がこちらに向かって来た。
「お前達が火の王に会いたいという者達か?」
じろりと睨むようにしてこちらを見る竜人に、サラルは立ち上がる。
「おい言葉に気をつけろ。この方が誰か分からんとは言わせんぞ。アンタが火の王の側近だろうと、あの御方には関係無いんだ。」
「うっ…。そ、そうだな。あの御方は…。…失礼しました。無礼をお許し下さい。」
しおしおと頭を下げる竜人に、カイも美仁も慌てた。
「あの、頭を上げて下さい。無礼だなんて、思っていませんから。」
「そうですよ!言葉遣いだって、そんな畏まらなくて良いんですから!サラルさんも。普通に喋って下さいよ。」
カイと美仁の言葉にホッとする竜人と、狼狽えるサラル。サラルに至っては「ええ?本当に大丈夫?俺、殺されない?」と混乱している。あの御方とは魔王の事だろうか。謁見はしないつもりだったが、お礼を述べに謁見する必要がありそうだ、とカイは考えたが、まずは火の王だ。
「それで、火の王には謁見出来るのですか?」
カイが問うと、竜人は申し訳無さそうにつり上がった目尻を下げた。
「いえ…只今火の王は何処かへ行かれており…だが、呪いを解く儀式は出来る。儀式をしたいのであれば、着いて来ると良い。」
儀式を断る訳もなく、美仁達は竜人の後に続く。しかし山に近付くにつれ大気の熱が上がり、カイとアムルは山の麓まで来たものの、これ以上進めなくなってしまった。
「ディディエを連れて行ってきてくれないかな?」
アムルがディディエを美仁に差し出す。美仁は戸惑った。アムルは一緒に行かないつもりなのだろうか。その戸惑いに気付いたアムルは美仁に微笑む。
「実は僕はね、初めから元に戻るつもりは無かったんだ。獣人でいる事をとても気に入ってるの。」
「じゃあ今まで俺だけの為に…。」
ディディエの絞り出すような声にアムルは頷く。
「うん。だから、ちゃんと元に戻って帰ってくるんだよ。」
黙り込んでしまったディディエを、美仁はしっかり受け取った。
「それにしても暑すぎる…。美仁、これが平気だなんてすごいな君は。それじゃあ、ディディエを頼むね。」
「うん。任せて。じゃあ、行ってきます。」
地獄の火山の放つ熱気に阻まれた二人と、二人だけを残して行くのが心配なサラルは、美仁とロンを見送った。
美仁と赤竜であるロンは熱に強いが、美仁の着ている服はそうではない。精霊に頼むと、風の精霊と水の精霊が服を守ってくれる。ディディエもきっとエルフに戻ったらこの熱に耐えられないだろう。美仁は精霊達に、ディディエの事も守るように頼んだ。
火山と一体化している城が見えてきた。正面から見える壁は残っているものの、他は山に飲み込まれたように火山に埋まっている。
巨大な扉を二人の竜人が守っていた。美仁の倍はある上背に厚い胸板に太い腕。見た目からして強い二人は、美仁とロンを目だけを動かして見下ろした。
「おい、エヴゲニー…。この方から手を頂戴しても良いのか?」
「…俺にも分からん…。」
扉を守る竜人が、美仁達を迎えに来た竜人のエヴゲニーに聞くが、エヴゲニーにも判断が出来ないようだ。手、とはウルスルの手だろうかと美仁は話に割り込む。
「ウルスルの手ですか?それなら沢山用意しましたよ!幾つ必要ですか?」
明るく言う美仁に、門番達とエヴゲニーが顔を見合わせおずおずと申し出た。
「それじゃあ…お言葉に甘えて…。お二方でウルスルの手を十個お願いします。」
「はーい。」
美仁は巨体に似合わずビクビクと手を差し出す門番にウルスルの手を渡した。ウルスルの手を手に入れた門番達は嬉しそうに頬を緩めている。
城の中に通されると、すぐ中はホールになっていたが、途中から洞窟内のように岩肌が剥き出しになっていた。エヴゲニーの後に続いて洞窟を奥に奥に進んで行く。数分おきに噴火している音と振動が洞窟内に響く。暗い坂道を登り続けると、出口に到着した。そこは火の王の山の火口で、下に見えるマグマが赤く黄色く光りとても眩しい。
祭壇のようになっている台の向こうに、竜人が二人立っていた。間欠的に吹き上がり噴火しているマグマ片が時折体に当たっているが、熱も痛みも感じていないようで微動だにしない。
「…連れて来た。儀式を始めて貰おう。」
エヴゲニーが声を掛けると、祭壇の竜人達は暗い瞳を美仁達に向けた。