33・地獄へ
「おう。お前等、久しぶりだな!」
アレゲニーの冒険者支援協会の建物に入ると、以前来た時にも受付に座っていた、体格の良い職員が笑顔で迎えてくれた。あの時は寒空の下、防寒着も無しに薄着で現れた美仁達を心配してくれたが、今日の気温は過ごしやすい。
「カイ達は一昨日着いたとこだ。お前等より早く着けたって笑ってたが、競走でもしてたのか?」
職員は厳しい顔を朗らかに緩ませ部屋の鍵を渡してくれる。カイや美仁の事を覚えていたのは、それ程この村に、地獄を目的として来る冒険者が少ない為だ。
美仁は宿でロンと晩酌をした。ガルニエの王都で買ったピノーがあまりにも美味しくて、美仁は蕩けるように笑う。
「これ、美味しい~。まろやかで甘くて、飲みやすいね!」
「お前は本当に…見た目によらず、酒豪だな。」
「まぁ私、毒とか効かないしね。そのせいかな?でもお酒を飲むと楽しくなるよ!んふふ。ロンは、お酒弱い娘が好みなのかな?」
昨晩シャルロットと恋バナをした事を思い出し、美仁はロンをつついた。ロンはこんな話題を振られるとは思ってもおらず、眉を歪ませて苦々しく美仁を見た。
「儂はそういうのが嫌でドラゲンズバーグを出たんだ。そろそろ適齢期だからと次から次へと相手を見繕って来られて我慢ならなくてな。」
「へぇ~。でもいつか、ロンに素敵な人…竜か、素敵な竜と出会えると良いね。」
ふにゃふにゃとした笑顔で美仁がそう言うと、今度はロンが美仁の頭をゴツンと小突いた。
「竜の伴侶は人でも良いんだぞ。人間でも獣人でもエルフでもな。ドワーフを連れて来た竜も居たな。」
「そうなんだ!ロンのお嫁さんになる人、どんな人なんだろうね~。」
さっさとこの話題を終わらせたいと思ったロンは、げんなりした顔で美仁をベッドに押し込んだ。
「もう寝ろ。儂も寝る…。」
「う~ん…。おやすみなさい~。」
美仁はベッドに押し込まれると、すぐに静かに寝息をたて始めた。そんな美仁を無表情に見下ろすと、ロンも自分のベッドに横になり眠りについた。
翌日、宿の食堂に降りるとカイ達が待っていた。美仁は久々に会えた嬉しさを隠さず椅子に座る。
「カイ!アムル!元気そうで良かった~。ディディエも元気?」
「美仁こそ、元気そうだね。結婚式はどうだった?」
カイはいつもの優しい微笑みで美仁に返す。美仁はこんな兄が居たら良かったのにと、常々思っている程にカイはいつも優しい。
「友達も綺麗で幸せそうで、良かったよ~。素敵な結婚式だった。結婚式にコンバグナ様とメイリーベ様もいらしてたの。」
「コンバグナ様!とメイリーベ様が?すごいじゃないか!コンバグナ様にお会い出来るなんて…いいなぁ…。」
コンバグナは戦いの神なので、崇拝している冒険者は多い。戦闘職であるカイも、その一人だ。明るい水色の瞳を煌めかせて羨ましがっているカイを後目に、美仁はエッグベネディクトをぱくりと一口口に入れた。やっぱり美味しい。美仁は目を閉じて口に広がる味を堪能した。
「じゃあ、食べたら食料の買い出しに行って、地獄に向かおう。」
食後村の小さな店で、肉やパンを買い美仁のアイテムボックスに仕舞う。万が一逸れて合流出来なかった場合に備え、『聖女様の冒険メシ』も各自持っておく。
『聖女様の冒険メシ』は、その名の通り聖女様が考案した冒険者用の携帯食料だ。乾燥米、所謂アルファ化米に、干し芋、干し野菜、ドライフルーツ、干し貝柱、乾燥ワカメ、携帯調味料等を買い込む。
聖女様は冒険者支援協会の創立者の一人であり、彼女自身も冒険者だった。かつてダンジョン攻略や秘境を旅する冒険者達の食料事情は酷いものだったらしい。ダンジョン攻略中に食料が尽きると魔物の肉を食べるものの、必要な栄養素は足りず血を吐きダンジョンを後にする冒険者がよく見られた。そして冒険者支援協会を創立した際に聖女様が食事の重要性を説き、彼女の作った携帯食料を勧めた。聖女が姿を消した今でも冒険者や長旅をする者は『聖女様の冒険メシ』を食べている。
水樽魔石も幾つか購入し水を入れて、『聖女様の冒険メシ』と共に各自携帯する。美仁とロンは必要無いと購入しなかった。
アレゲニーを出て半日歩くと、大地にぽっかりと開いた大穴が見えてきた。その巨大な大穴は、アレゲニーの村ならば簡単に飲み込んでしまえる程に広い。下に降りて行く階段の近くに小屋が建っていた。その小屋の前に置かれたテーブルでダイスゲームをしている戦士のような出で立ちをした男達が、来客に気付き顔を上げた。
「…お前達、地獄に用か?」
ダイスゲームに盛り上がっていた男達は打って変わって静かになり、美仁達を見る。
「はい。今度こそは、地獄に入れるよう準備して来ました。」
カイの、今度こそ、という言葉を聞き男達の一人がノートを持ってきた。ページを捲るとカイとアムルのサインがされている。
「もしかして、アンタ、この?」
「そうです。前回は必要な物が足りなくて入れませんでしたけど、揃えて来たので、ね。」
にこやかにカイが言うと、男は意外そうな顔をしてノートに署名を求めた。
「入獄に必要な物を揃えたって事は、何年ぶりだ?地獄に人が入るのは…。」
「入獄に必要な物を提示されてからは居なかったはずだぜ?確か、最後に入ったのは、勇者様だったんだよな?瀕死状態で帰って来て、その後レムイラーが穴底に現れたんだと。」
美仁達がサインをしている間に、男達は好き好きに話をしている。この男達はこれでも、地獄の入口を守るクヤホガ国の兵士達だ。守る、と言っても地獄からも地獄を目的に来る者もおらず、時折死神渓谷の魔物が来て戦う位の仕事しかない。
美仁達がサインを終えると、ノートを受け取った男は今までと打って変わった真剣な表情になった。
「それでは、こちらでの手続きは以上です。お気を付けて!」
ビシッと直立して言う男達は、つい先程までダイスゲームをしていたとは思えない程に勇ましい。流石は手強い魔物の蔓延る死神渓谷に配属された兵士達だ。
「いってきまーす。」
雄々しい兵士達に、のんびりとした挨拶をしながら美仁は手を振り階段を降りた。手摺も何も無い階段から底を覗いて見ても、穴底は闇の中にあるように何も見えない。一行はただただ階段を下り続けた。穴に沿って造られた階段が下に下に続いているが、小さい横穴が掘られた所が現れる。野営をするのに丁度いい広さがあるので、横穴に着く度に休憩をしたりテントで寝たりした。
ひたすらに階段を下り続けて四日、やっと穴底に辿り着いた。陽の届かない穴の中は真っ暗な為、昨日からずっと携帯用ランプを点けたままにしている。
穴の底には、カイが言っていた通り人の頭骨が置いてあった。頭骨は美仁達が近付くと眼窩がぼんやりと光り、頭骨の周りに黒い靄が広がった。レムイラーは礼儀正しくお辞儀をするように頭骨を下げた。
「おお、お帰りなさいませ。地獄の入口にようこそ、地上の方。地獄へ行きたいのなら、こちらを御用意下さい。」
レムイラーは靄の体から紙を手渡してきた。以前カイが貰った時と同じ内容のものが書いてある。カイが美仁を見て頷くと、美仁はアイテムボックスから鈴なり花のランプブローチを出した。各々服にランプブローチを付け、ディディエにはリボンを巻いて、そのリボンにランプブローチを刺した。
「アムル、可愛い~!」
薄汚い帽子に、淡い水色のリボンを付けたアムルは女の子のようだった。オレンジ色の瞳がランプの灯りを反射してキラキラとゆらめき輝く。だがその目は不満そうな色をしていた。
「こんなリボン付けてるのは、ディディエが元に戻るまでだからね。」
「そうだね。ディディエ!あと少しだね!」
美仁が少し興奮気味にディディエに言うが、ディディエは本当にこれで地獄に入れるのかと、不安と緊張で言葉が出なかった。
「レムイラー、これで良いか?」
カイがレムイラーに問うと、美仁達のやり取りを見ていたレムイラーがカイの方を見た。
「しっかり準備なさいませ。」
レムイラーの言葉に、頬を膨らませていたアムルが思い出したようにカイを見た。
「花の一輪に魔力を流して。そうしないと瘴気から身を守る効果は出ないんだ。一日一輪だから、明日もこの時間に違う花に魔力を流すのを忘れないでね。」
小さい花の一輪だけに魔力を流す事が美仁には難しく、美仁のブローチは二輪光ってしまった。多大な魔力を有する美仁は、魔力を豪快に使うのは得意だが、細かい作業は苦手だった。
「明日は儂がやってやる。」
「あはは…。ごめん、ありがとう~…。」
ロンがため息混じりに言うと、美仁は申し訳なさそうに笑った。準備が整った一同がレムイラーを見ると、レムイラーの体を覆う靄が美仁達を覆うように広がる。
「決して逃れようとなさいますな。迷子になってしまいますよ…。」
靄に捕まり身動きが取れなくなる。こんな状態でリラックスなど出来る訳もなく、体が強ばったまま靄に捕まった一同は、地面の中に沈んでいった。
目を閉じていても闇、目を開けても闇。闇の中をどんどん降りていく。初めは緊張していた体も、闇の中に慣れてしまい、今では力が抜けている。
美仁は、カロルの結婚式のパーティーで流れていた曲を鼻歌で歌い始める。パーティーの進行役はこれがカロルが作った曲で、カロルがミズホノクニで買った笛、大太鼓や琴、三味線等で奏でられているものだと説明していた。流れるような笛の音に力強い大太鼓の音、荘厳でありどこか神々しくもある…良い曲だった。しかし実際はカロルが作った曲ではなく、カロルが前世でプレイしていたゲームミュージックの中でも好きなものを演奏して楽しんでいたら、マセナ・フィルハーモニー交響楽団の指揮者であるサミュエル・ルーにそれを知られコンサートでこの曲を演奏されてしまった。そして作曲家としてのカロル・ローランの名が有名になってしまったのだった。
パーティーでの食事も、流れていた音楽も素晴らしかった。思い出と曲に酔いしれながらフンフンと鼻歌を歌っている内に地獄に着いたようで、視界から闇が晴れた。