3・悪魔の子
暗いお話となります。
虐めや胸糞表現があります。
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日本は、豊かな国だった。様々な分野での産業の発展により、人々の生活は豊かに、そして便利になっていた。
そんな時代に、女は一人の赤子を産み落とした。取り上げたのは、家庭用医療ロボット。しかも十年以上前に発売された、型落ちの物だった。
女が生家を飛び出した際に、家事ロボットと共に勝手に持ち出した代物だ。あれからアップデートもしておらず、医療ロボットのかかりつけ医機能も停止したままでいる。
インターネットに繋げていなかった事が、女のこの後の行動に都合良く働いた。
女は自分の産み落とした、まだ赤黒い小さな塊に冷たい視線を送る。元気に泣いている。この泣き声に苛立ちながら、息も絶え絶え家事ロボットにミルクを作るよう指示を出した。
顔をしわくちゃにして泣いている赤子を見て、女は考えた。誰に一番似ているだろう…。
女は泣いている赤子を抱き上げ、家事ロボットが用意したミルクを赤子の口に付けた。すると赤子はすぐに哺乳瓶を咥えると一生懸命にミルクを飲む。
薄く生えた白茶色の髪の毛。女がまじまじと赤子の顔を見ていると、赤子が薄く目を開けた。
「っ…!」
薄く開かれた目は、血のように赤かった。
女は震えた。自分の日頃の行いが悪い事は百も承知だったが、目の赤い赤子を産み落としてしまうなんて…。
誰に似ているか、誰に父親役を押し付けるか、という計画は砕け散った。
こんな目の色の子供を、自分の子供と言われて受け入れる懐を持つ男は、女の相手をしていた中には居ないだろう。
女は赤子にミルクを与え終わるとそのまま寝かしつけ、児童養護施設を調べ始めた。
女は赤子の最低限の世話をして少し眠り、次の日の夜、赤子を連れてアパートの一室を出た。産後の疲労に痛みが残る体に、寝不足も加わりフラフラではあるが、赤子と粉ミルクにオムツを持って近くの児童養護施設へと向かう。
赤子はスヤスヤとよく眠っている。女は赤子と荷物を児童養護施設の玄関前に置いて逃げるようにアパートへ戻った。
赤子の泣き声はもう聞こえない筈なのに、今夜も女は泣き声の幻聴に起こされた。
その度に女は思った。私があの悪魔を産んだ証拠なんて無いのだから、きっと大丈夫。あの悪魔が戻って来る事なんて無いはずだ、と。
児童養護施設の職員は夜中、警報音に起こされた。児童養護施設の扉の前に誰かが現れたらしい。きっと棄児だ…。外は寒い。
職員は慌てて玄関を開けると、赤子はすやすやと眠っていた。
職員は捨てられた赤子に、やっぱりか、とため息をつき警察に連絡し、赤子が泣くと赤子の傍にあったオムツを履かせミルクを飲ませた。
警察が来る頃には赤子はぐっすりと眠り、その後赤子は乳児院へと送られた。
赤子の産みの親は数日後、保護責任者遺棄容疑で逮捕された。女は警察の捜査能力を侮っていた。
通院記録も無くロボットのかかりつけ医機能も利用していなかったが、簡単に特定されてしまった。
女は慇懃な態度で取り調べを受ける。父親は誰か分からないらしい。女は複数の男と同時進行で関係を持ち、一夜限りの相手も少なくはなかったと言う。
女は、反省する様子も無く、悪態ばかり吐いていた。
終いには赤子を悪魔とまで言い、こんな筈じゃなかった、アイツに利用価値なんか無いと、赤子を悪し様に罵った。
赤子は戸籍を編製され、街の名前を苗字とし美仁と名付けられた。美仁は病気をする事無くすくすくと成長し、穏やかに生活していた。
幼稚園へ通うようになり同じクラスの友達からの、何故目が赤いのか、という無邪気な質問にも、分からない、とこちらも無邪気に答えていた。
小学校に入ると、美仁は異質な少女として扱われるようになる。年長である六年生が、ペアとなった一年生の美仁を気味悪がった。
美仁の変わった見た目を、子供達だけでなく保護者達も噂をするようになる。
誰が言い出したのか、美仁は悪魔という渾名で呼ばれるようになってしまった。
「悪魔め!退治してやる!」
上級生が泥団子を美仁に向かって投げてきた。帰り道、大きなランドセルを背負った美仁は泥団子をぶつけられ、泥だらけで泣きながら施設に帰った。
嫌がらせはこれだけではなかった。同じクラスの子達は美仁を無視し、孤立させていた。
ノートや教科書にも、ひどい落書きをされてしまった。まだ美仁には読めない漢字であった為、上級生がやったのだろう。
すれ違いざまに足を引っ掛けて転ばされ、馬鹿にしたように笑われた事もあった。小突かれた事もある。
美仁は何もしていないのに、虐めのターゲットにされたのだ。見た目が違う、というだけで。
施設で美仁は泣きながらランドセルを拭いた。泥だらけにされたのは今日が初めてではなかった。
誰かが施設に寄付してくれた新しいランドセルは、まだ一年も使っていないのに汚れてしまっている。
夜、美仁は布団に丸くなり、ギュッと膝を抱いた。
明日学校に行きたくない。明日もきっと虐められる。明日なんて来なければ良いのに…!助けて。誰か助けて…。
美仁はそのまま布団の中で丸くなったまま眠りについた。
この島国には、塔のように聳える山が幾つかある。その中の一つ、翠山の頂上を早朝から歩く影があった。ゆっくりとした歩調で、目的の場所に向かっている。
「これは一体、どういう事かのぉ…。」
そう呟く人物は全体的に白い。目尻だけが紅く彩られている。
「登って来たとは考えられぬな。」
白い女の傍に従っている茶鼠色の獅子が言った。
この山の山道は、崖に打ち付けられた鎖である。この鎖を頼りに登り、鎖に掴まりながら寝食をして登らなければここまで辿り着けない。
白い女と獅子が見下ろしている、丸まって寝ている少女がそうしてやって来たとは考えられなかった。
「兎に角このままにはしておけぬな。妾の部屋まで運んでくりゃれ。よろしく頼むな。」
獅子は頭を下げて白い女を見送ると、前脚と頭を動かし器用に少女を背中に乗せた。ふわりと背中に乗せられた少女はぐるりと身体を回転させられたのに、起きる気配は無い。
獅子は足早に白い女の生活する、翠山で一番大きな家に向かった。
入ってすぐの土間の奥にある板の間に布団が敷かれていた。
獅子は板の間には上がらずに、現れた割烹着を着た貂に少女を任せた。少女は布団に寝かせられ、枕元には貂が様子を見るように座った。
数時間後、少女は目を覚ました。ぼんやりと見える見覚えの無い天井に驚き飛び起きる。
「おはようございます。まずは支度をなさいましょう。その後、翡翠様と朝餉を召し上がって頂きます。」
美仁は割烹着を着てちょこんと座り丁寧な口調で話し掛けてくる貂を、目を丸くして見ている。動物が喋っている事にまず驚き、服を着ている事にも驚いていた。
流石に美仁が居た産業の発展した世界でも、言葉を話す生き物は誕生していなかった。
「こ、ここは…?」
「ここは翠山。女仙である翡翠様を主とする山でございます。さぁ、お支度をなさいましょう。」
美仁は貂の言葉を理解出来ないまま、言われるがままに支度をした。美仁には大きな着物のような服を、貂が着付けてくれる。
「あの、翡翠…さんは…。」
「翡翠様、とお呼び下さい。そろそろ参られる頃でしょう。」
貂がそう言うと、奥の間の障子が開かれ白い女、翡翠が現れた。
「あ、おはようございます。翡翠様…。」
「うむ。よく眠られたようじゃな。話の前に朝餉にしよう。」
翡翠が囲炉裏の傍に座ると、貂がテキパキと朝餉を用意する。美仁も翡翠の斜め前に座り、おろおろと見ていた。
配膳が終わり、翡翠が手を合わせ「いただきます。」と言うと、食べ始めた。美仁も同様にし、食べ始める。
朝餉は白米に野菜が多めに入った味噌汁、魚の塩焼きに胡瓜の漬物、トマトに塩を振ったものだった。
温かい食事でお腹が満たされた美仁は箸を置き「ご馳走様でした。」と手を合わせると翡翠に膝頭を向けた。
「翡翠様、ここは何処なんですか?わたしは、どうしてここに居るんですか?」
「…娘よ。先にそなたの名を聞いても?」
「はっ!…ごめんなさいっ。わたしは美仁…です。」
「ふむ。美仁、何故そなたがここに居るのかは、妾にも分からぬ。急にものすごいチャクラ量のものが現れたと思い、足を運んでみれば、そなたが寝ておったのじゃ。」
チャクラ量…。聞き慣れない言葉に美仁は疑問符を表情に浮かべる。そんな美仁には構わず翡翠は話を続けた。
「ここはミズホノクニの翠山。これより中央山へ向かい、そなたがここに現れた訳を視てもらうとしよう。」
翡翠は立ち上がり外へ出た。美仁も後を追ったが、外で待っていた二頭の獣に驚き後退った。
「噛みつきはせぬ。この数珠丸は、そなたをここまで運んでくれたのじゃぞ?」
翡翠は濃灰色の鬣を持つズブラレウという獅子に似た魔物の鬣を撫でた。数珠丸は美仁が乗りやすいように腹這いになっている。美仁は恐る恐る数珠丸に近付き鬣に触った。
「俺は噛みつかない、怖くない魔物だろ?」
「ぎゃあああああああああああああああ!!!」
美仁はすぐ目の前で数珠丸が喋り出した事に心底驚き、叫びながら後ろへたたらを踏みながら逃げた。
背中に何かが当たり、これ以上は逃げられなさそうだ。その背中からまた声がした。
「数珠丸、かような童を虐めるのではありませんよ。」
「わああああああああああ!また喋ったー!」
美仁の背中に居たのはマーカルゴラという馬に似た魔物である。馬に似てはいるが、こちらの方が身体も大きく空を飛べる。
「美仁、そちらのマーカルゴラは七星という。先程のガレルダァは小夜じゃ。皆、妾と使役契約をしている魔物じゃ。恐れる事は無い。」
翡翠はそう言うと七星に横乗りになった。翡翠が早く数珠丸に乗れと視線を送るので、美仁は半泣きで数珠丸に跨った。
するとすぐに二頭は地面から離れ空をぐんぐんと駆けていく。
「ちゃんと掴まっていろ。落とされんようにな。」
数珠丸の言葉に美仁は鬣をギュッと握りしめた。
数珠丸はこう言っているが、決して落とされたりしないだろうと思える安心感があった。すごいスピードで飛んでいるのが分かるのに、そよ風しか美仁は感じなかった。
美仁はこの快適な空の旅を、恐怖で半泣きになりながら過ごした。
誤字を訂正しました。