29・鈴なり花のランプブローチ
暗くなったツィドゥムナナナの街を職人街の端から入りランプブローチの工房に向かう。
アムルは獣人の為聴覚に優れており、その感覚を研ぎ澄まし進む。ディディエもイーロンも辺りを警戒しながら歩いた。
イーロンは工房の戸を叩くと返事を待たずにアムルを中に押し入れ、自らも急いで入った。
「サーリー。さっき話していた友人を連れて来ました。」
サーリーはアムルを見て驚いた表情をしている。彼はエルフ族以外の人族を見るのは初めてだった。
「本当だったんだな。では、君が被っている帽子も、エルフ族なのかい…?」
「そうだ。俺はンテムのディディエ。魔術師だったが、しくじってこんな姿になってしまった。…どうか、力を貸して下さい。気が狂いそうな中、やっと希望を持てたんです。お願いします…。」
帽子から出た切実そうな声を聞き、サーリーは驚きと憐憫の情を覚える。
目で見ても信じられない事だが、確かに目の前に居る帽子からは通常のエルフよりも多くの魔力を感じる。そして獣人の姿のアムルの魔力はエルフの中で平均的な量だ。
獣人の魔力はとても低い。アムルの魔力量だけを見ても、彼がただの獣人ではないと分かる。
だが他種族についての知識が無いサーリーには魔力量だけを見ても分からなかった。
「勿論私も何とかしてやりたいと思う。同族が…いや、同族でなくても、そんな呪いを受けた者がいたら助けてやりたいと思うだろう。だが、難しいんだ。鈴なり花のランプブローチの材料がな、冒険者支援協会からしか入って来ないんだ。そして、作ったランプブローチは全て協会に買い取られる事になっている。」
「…何とか、なりませんか…。」
ディディエが絞り出すような声を出した。ここで希望が絶たれたら…焦燥感がディディエを襲う。
絶望に飲まれないように、これまで耐えてきたのだ。あと少しだと思ったのに、ここで絶望に落とされたくはない。
「材料さえ揃えば君達に作ってやれる。先程イーロンにも言ったが、君達次第なんだ。」
サーリーはランプブローチの材料を机に並べた。黒色の鈴なり花、黄緑色をした粉が入った瓶、トロリとした銀色の液体の入った瓶。アムルはそれぞれをまじまじと見つめている。
「黒色の鈴なり花は珍しいね…。この粉は鱗粉…?魔物のものかな…?この液体は…何だろ?全然分かんないや。」
薬剤師のアムルでは、この材料を見ても何から採れる物なのか見当が付かなかった。興味深そうに角度を変え材料を見ている。
「そう。黒色の鈴なり花は生える場所が決まっている。ドラゲンズバーグとの境にあるペレオネセーラに生えるらしい。俺は見たこと無いが、針山の先に生えるそうだ。」
ペレオネセーラは、針山のように先の尖った岩が立ち並ぶ地だ。飛行魔法を持つエルフならば、そこで鈴なり花を採取する事はそれ程難しい事ではない。
だがペレオネセーラはドラゲンズバーグに近い為ドラゴンが飛んでいる事がある。ドラゴンに見つからないよう、針山から花を摘み帰って来なければならない。
「そしてこの粉はスースルプリの鱗粉だ。この鱗粉は一輪に対してごく少量必要だから…そういえば聞いていなかったな。何輪のブローチを、いくつ欲しいんだ?」
「十輪のものを、五個欲しい。」
「そうか。なら一頭分で充分足りる。羽だけ持って来てくれ。あとはこのファノブナの蜂蜜。」
銀色の液体が蜂蜜だと言われ、アムル達は驚いた。自分の知っている蜂蜜とは程遠い。蜂蜜だと教わっても、とても口にしようとは思わない、食欲の唆られない色をしている。
「蜜蜂の巣から採れる蜂蜜だけど、これは毒蜂蜜だから決して食べないようにな。ファノブナの蜂蜜はマニリフィの村落で採れるらしい。この瓶に入っている量持って来てくれ。」
必要な物を伝えると、サーリーはアムル達を工房に泊まらせてくれた。そして翌日早朝にアムル達は霧が立ち込めるツィドゥムナナナを出た。
「それじゃ、イーロン、スースルプリと蜂蜜は頼んだよ。」
「ああ。任せておけ。お前達こそ、気を付けて行けよ。」
ペレオネセーラとマニリフィは反対方向の為、アムル達は別れて行動する事にした。アムルは笑顔で手を振っている。イーロンも片手を挙げてそれに応える。
「じゃあイーロン、アマルナを出る前に寄るから。」
「またな。」
アムルとディディエはイーロンと別れるとペレオネセーラに向かって飛んだ。アムル達の旅は一ヶ月かかった。
夜はディディエが飛行魔法を使い移動していたが、ペレオネセーラはそれ程遠い。
ペレオネセーラに辿り着いたアムル達は飛行しながら鈴なり花を探した。
話には聞いていたが、本当に針のように尖った石灰岩の岩々が目の前に広がっている。そしてその奥には威圧感さえ感じさせるドラゲンズバーグが聳えている。
飛んでいたアムルが素早く岩の影に隠れた。緊張した表情で空を見上げている。
息を潜めていると、遥か上空をドラゴンが飛んで行った。かなり高くを飛んでいる為豆のように小さく見えるが、アムルはドラゴンが通り過ぎても動けずにいた。
強い気配が感じられない程に遠のくと、アムルは息を吐き出して浮遊した。
「アムル、あんなに遠かったのに気付いたのか?」
「うん。獣人の聴覚ってすごいね。ドラゴンの音も気配も、一瞬で捻り潰されそうな程の強さも感じたよ。」
「俺は目で見える距離まで気付かなかったぜ。…この調子で隠れながら探そう。あんなんに見つかったら元に戻るどころか糸くずさえ残してもらえなさそうだ…。」
ディディエの言葉にアムルが吹き出して笑う。
「何それ!骨も残らない、の帽子バージョン?もうディディエ、すっかり帽子らしくなっちゃったね~!」
「わーらーうーなー。しかし、美仁はあんな恐ろしい魔物を従魔にしてんのか…。悪い奴じゃないってのは分かるが…本当に得体が知れないな。」
「まぁ…見た目通りの人間ではないだろうね。時々気が抜けて恐ろしい程魔力が溢れてるもの。…あ!あった。」
尖った岩の先に数株の鈴なり花が咲いていた。黒くて小さい、コロンとした丸い釣り鐘のような形をした可憐な花は、下を向いて咲いている。
アムルはそれを花茎の元から切ると、サーリーから渡された瓶にゆっくりと入れる。
保存の魔法がかけられた瓶で、鮮度を保ったまま食料等を持ち運べる。サイズ展開はされておらず、アムルに渡された高さ三十センチの物しか作られていない為使用用途はそれ程広くない。
アムルが見つけた鈴なり花は三株。三十輪の花を手に入れた。アムルは再度飛行して鈴なり花を探し続けた。
ペレオネセーラに到着した当日に鈴なり花を集める事が出来、アムル達は安堵しながらペレオネセーラを去った。
ドラゴンが幾度か通り過ぎて行ったが、身を隠し気配を消して見送った為巨大な魔物がこちらを気にする事は無かった。
ツィドゥムナナナに戻ると、イーロンは既に羽と蜂蜜を届け終えており、ンテムに帰ったそうだ。サーリーは、アムルが戻るまでずっと工房に寝泊まりしていたらしい。
「随分早かったな。花は諦めたのか?」
「ちゃんと持って来たよ。結構ドラゴンが飛んでるもんだから、緊張した~。」
通常であれば倍以上かかると聞いている道程をこんなに早く終えて帰って来たアムルを、サーリーは目をぱちくりさせて見た。その手にある瓶の中には、確かにペレオネセーラにしか咲かない黒色の鈴なり花が入っている。
「…すごいな。こんなに早く持ち帰るとは思わなかったぞ。」
「夜は俺が飛行魔法を使って移動してたからな。」
ディディエが得意気に言っているが、アムルは眉尻を下げた困り顔でいる。
「早く着くのは良いんだけどさ、あんまり疲れが取れないんだよ~。ぐっすり眠れない…。」
「お…そうか…。じゃあグアディエーラまでは夜飛んで移動するのはやめるか。急いだ所で、どうせ春まで地獄には入れないんだからな。」
美仁達とは、別れた街と同じグアディエーラで合流する予定だ。ここからグアディエーラまで、急がなくても冬が始まる頃には到着出来る。
「あはは。ご苦労だったな。じゃあ今日はゆっくり休んでくれ。良いベッドとは言えないが、土の上や飛びながらよりは良く眠れるだろ。」
有難く寝床を借りて、ブローチが出来上がるまで滞在させてもらった。買い出し等は出来ないが、来客の無い時に家事をして少しだがサーリーを手伝った。
そして一週間が経つと、鈴なり花のランプブローチが完成した。一つ一つ、丁寧に袋に入れられた物を渡される。
「ありがとうございます、サーリー。いくら払えば?」
「おう。技術料だけ貰うぜ。使い方だが、花に魔力を少量流せば花が光って効果が出るようになってる。一輪だけに触れるんだぞ。一輪で一日効果が継続する。花の光が弱く点滅し始めたら、効果が切れる合図だ。次の花に魔力を流さないと、瘴気を吸い込む事になるからな。気を付けろ。」
「分かった。サーリー、ありがとう。」
アムルはディディエが礼を言うと頭を深く下げた。そしてまだ暗い明け方、ツィドゥムナナナを出てンテムへ向かう。
夜は野宿をして移動した為、ンテムに到着した時には季節は秋に入っていた。とは言っても、アマルナの迷いの森は一年中暗く季節感は無い。
エルフの集落に入ってやっと、今の季節を感じる事が出来るのだ。
アムルがツィドゥムナナナに向かった時のンテムは鮮やかな緑色をしていた木々は、今ではオレンジ色をしている。
紫色をした迷いの森を背景にすると、オレンジ色の木々が毒々しく映える。
イーロンの家の茂みに身を隠し待つと、イーロンは酔っ払って帰って来た。とても機嫌が良さそうで、家に入った所で声をかけると破顔しアムルを招き入れた。
「イーロン、ありがとう。鈴なり花のランプブローチを手に入れる事が出来た。イーロンのお陰だよ。」
「ああ。イーロン、本当にありがとう。」
「いいんだよ。当然の事をしたまでだ。それに、ツィドゥムナナナに行ったから、ラシダに金のピアスとブローチを買えたからな。」
幸せそうな表情のイーロンに、アムルは驚き笑顔になった。
「ほんと!?で、どうだったの?ラシダの返事は…。」
「受けてくれたよ。さっきも一緒に夕飯食べてたんだけど、嬉しくてさ、つい飲みすぎちまった。」
イーロンは幸せそうに照れている。
エルフは求婚する際に金の装飾品を相手に贈る。そして求婚が受け入れられるとジャカランダという紫色の花を咲かせる木の苗木を贈り、共に生きる証とする。
ジャカランダを贈るのはンテムだけで、街毎に贈る植物は違う。勿論木を贈らないカップルもいる。
「おめでとう!イーロン!良かったな~。片思い時期は長かったけど、見事に実らせたな!」
「ありがとうな~。ラシダを好きになって二百三十~…何年だ…?とにかく俺は嬉しい!」
「そんなにかよ!一途すぎる…執念だな…。イーロン、幸せにな。」
「おい何だか一言二言余計だぞ。だがそうだ!俺は一途なんだよ。お前と違ってな!」
酒が大分入っているイーロンは愉快そうに笑った。また暫く会う事が無いであろう幼馴染達は、最後の夜を酒を飲んで祝い楽しんだ。