28・ツィドゥムナナナ
「ディディエ、お前…ほんとに、信じらんねぇ…。」
衝撃の事実を知り、イーロンは驚き叫んだ後目元を片手で覆い肩を震わせている。
「イーロンてめぇ…笑ってんじゃねぇか。」
イライラと汚い帽子、もといディディエはイーロンを睨みつける。睨まれていると、長い付き合いであるイーロンには分かるが、そうでなければ気付かないだろう。ただの汚い帽子にしか見えないのだから。
「…ごめんごめん。…ぐふっ…ディディエ…災難だったな!」
イーロンは目尻を指で拭いディディエに謝っているが、その表情は全く申し訳無さそうではない。
「俺はお前に笑いを提供しに来たんじゃねぇぞ。…イーロン、ツィドゥムナナナまで行きたい。協力してくれ。」
「ツィドゥムナナナ?今のお前達が行くには人目がありすぎるだろ…。何しに行くんだよ?」
ツィドゥムナナナはアマルナで一番大きなエルフの街だ。
他種族を受け入れないエルフに獣人のアムルが見つかれば、瞬時に迷いの森の外に出されてしまうだろう。
そのエルフが沢山集まるツィドゥムナナナでは、ここンテムの村より見付かる危険性が高い。
「鈴なり花のランプブローチが必要なんだ。」
「鈴なり花のランプブローチ?瘴気の森に行くのか?」
瘴気の森とはアマルナにある森で、その名の通り瘴気の充満している地だ。鈴なり花のランプブローチは、その瘴気の森で活動する為に作られているアイテムだ。
ツィドゥムナナナに職人が居る為、アムルとディディエは鈴なり花のランプブローチの製作を頼みに行きたいと思っている。
「いや、瘴気の森じゃなくて、地獄に行きたいんだ。この呪いを解いて貰うには、地獄に入らないとならないんだと。」
「そんな大層な呪いだったのか…。笑って悪かった。」
「別に。俺だってお前がこんなんになってたら笑うからな。」
「…だろうな。勿論協力するよ。明日から向かおう。今日の所は休んでくれ。ディディエ、お前洗ったらどうだ?かなり汚く見えるぞ?」
ディディエは洗濯を断固拒否した。一度洗濯された事があったが、おぞましい経験だった。
全身の表面が濡れる感覚ではなく、温い石鹸水が身体の中に染み込んでくる感覚が最悪だった。あの感覚は二度と御免だ。
元の姿に戻ったら、何よりも先に風呂に入って飯をたらふく食べたい。不可能だと思われた地獄入りが、美仁という小娘が現れた事で希望が持てた。
戦闘時に感じる膨大な魔力量といい、違う世界から来たと言っている事といい、得体の知れない小娘ではあるが、藁にもすがりたい思いのディディエは警戒しつつも仲間になる事に反対はしなかった。
何より助けを求めているのは他でもないディディエである。だが他の二人程素直ではないディディエは、美仁を直ぐに信頼する事は出来なかった。
数ヶ月の旅の中観察し続けてきて少しは好感を持ってはいるが、自分の正体を明かす決意が持てる程ではない。
いつ彼女と彼女のドラゴンに正体を明かすべきか…そう考えながらアムルの枕元でディディエは眠りについた。
翌日からアムルとイーロンはツィドゥムナナナへと旅立った。イーロンはンテム村を出る前に髪を編んで纏めている女性猟師と話をしていた。村を出るとアムルはイーロンを見上げて聞いた。
「さっきの、ラシダ?」
「ああ。よく一緒に狩りに行ってるんだ。暫く留守にするって言っとかないと、心配するからな。」
「そんな仲になったのか。良かったな。お前昔からラシダが好きだっただろ?」
ディディエに揶揄われ、イーロンは嬉しそうに頬を緩めた。
ツィドゥムナナナへは、夜中ディディエの飛行魔法で進み、魔力の回復に昼間はディディエを休ませて徒歩で進んだ。
エルフの魔力の回復を早めてくれるアマルナの森の助けがあり、魔力量の多いディディエでも、二人を飛行させ続けるのは消費が激しく辛いらしい。そしてアムルとイーロンは魔力量がそれ程多く無い為、魔物と遭遇した時の為に魔力は温存した。しかし昼夜を問わず移動出来たお陰で、ツィドゥムナナナには一月とかからず到着した。
「俺は店を見てくるから、お前達はここで隠れて待ってろよ。」
「うん。イーロン、頼んだよ。」
街から少し離れた茂みにアムルは隠れた。エルフ時代より体は小さく隠れ易いが、荷物が大きいのでディディエに目眩しの魔法をかけてもらいしっかり隠れる。
イーロンは街に入ると店を探した。エルフの街にも冒険者支援協会はある。アマルナ外との交流は皆無だが、協会としての機能は他国の協会と変わらない。
イーロンは協会に入ると道具屋に向かった。
「すいません。鈴なり花のランプブローチはありますか?」
「はい。ありますよ。瘴気の森の入森許可証と冒険者カードの提示をお願いします。」
「えっ?それが無いと買えないんですか?」
店員は頷いたが、イーロンは知らなかった。ここには居ないアムルもディディエもそうだ。
この装飾品の存在は知っていても、購入しようと思った事は無かったし、瘴気の森という危険で遠い所に用など無かった。
店員はエルフ特有の美しい顔を柔らかく微笑ませながら説明してくれる。
「はい。瘴気の森は瘴気という危険だけでなく上級魔物が多いので、立ち入りを制限しております。帰還率の低い低レベル帯の冒険者も、冒険者でない方も鈴なり花のランプブローチは購入頂けません。」
瘴気の森にある植物や鉱物、それに魔物の素材に一攫千金を夢見てそのまま帰らぬ人となった者達があまりに多かった為に設けられた規則だと言う。
狩人であるイーロンは冒険者登録をしていない為購入不可能だ。
ひとまずイーロンは冒険者支援協会の建物から出た。店での購入が無理なら職人を訪ねよう。イーロンは自分の使っている弓矢を作る職人の元へ向かう事にした。
「こんにちはー。」
工房の扉を開けて声を掛けると、年老いたエルフが顔を上げた。
「…イーロンか?どうした?弓の調子が悪いのか?この間買い換えたばかりだったろ?」
「じっちゃん、買い換えたのは十年前だぞ…。まぁじっちゃん位になると、十年なんて最近なんだろうけどさ。」
イーロンは職人の近くに腰掛けた。エルフの青年期は長い為、この職人のように見た目が老いているエルフは五百年以上生きている。長く生きている者にとっての十年など、あっという間なのだろう。
イーロンは狩人になってから弓をここで頼んでいた。ラシダの紹介だった上に、それまで使っていた物よりも手に馴染んだからだ。
弓を買う為にンテムからツィドゥムナナナまでラシダと旅出来る事もイーロンにとっては幸福だった。だからイーロンは、弓を新調するのはラシダと同じ時期にしている。
「鈴なり花のランプブローチの職人を紹介してくれないかな?」
「あ?イーロン、お前さん今度は瘴気の森の魔物を狩るつもりなのか?」
職人は手元の弓から顔を上げてイーロンを見た。イーロンは首を振って答える。
「違うんだ。俺の友人が、呪いを受けちまってさ。それを解く為に地獄に行かなきゃならないんだと。それで、地獄に入る為にランプブローチが欲しいらしい。」
「そうか…。」
職人は眉尻を下げた。アマルナの外の事はよく知らず、地獄という場所が何処にありどんな所なのかも分からないが、きっと一筋縄ではいかないのだろうと憶測する。
アマルナから出ないエルフは世界の広さを知らない。だから、外から帰ってきた仲間達の話や書物からそれを知るしかない。
職人も、そうやって何となくでしか地獄の事を知らなかった。
「ランプブローチの職人は、この職人街に居る。着いて来い。紹介はしてやれるが、ランプブローチを手に入れられるかは分からんぞ。」
「じっちゃん、ありがとう。」
ランプブローチの職人は職人街の端に工房を構えていた。街の外れの方に位置している。
ここならアムル達も見つからずに来れるかも知れないな、とイーロンは周囲を確認しながら考えた。
小さな工房に、弓の職人は入って行く。
「サーリー、儂だ。邪魔するよ。」
「ナスル、どうしたんだ?」
サーリーと呼ばれたランプブローチの職人は、丸い眼鏡を外して弓の職人ナスルを迎えた。ナスルの後ろから入って来るイーロンを訝しげに見る。
「このイーロンが鈴なり花のランプブローチを欲しいと言っていてな、連れて来た。」
「…あー。…そうか。でもな、店に出す以外に作るのは不可能なんだ。悪いけど、ナスルの頼みでも無理だ。」
申し訳無さそうにイーロンを見るサーリーに、イーロンは勢いよく頭を下げて頼み込んだ。
「お願いします!俺の友人が、呪いで帽子と獣人にされてしまったんです!元の姿に戻る為に、ランプブローチが必要なんです!」
サーリーもナスルも、目を丸くしてイーロンを見た。サーリーは予想外の使用目的だった事と呪いという言葉に驚き、ナスルは呪いが想像以上に深刻なものであった事に驚いていた。
「…その呪われた友人は、ここに来てるのか?」
サーリーは、話が真実であるか確認しようとイーロンに聞いた。イーロンが頷くと、サーリーは連れて来るようイーロンに言う。
「ここは街の外れで通行人も少ない。日が沈んでから来ると良い。…ただ、君の話が本当だとしても、ランプブローチが渡せるかは君達次第だ。」
「ありがとうございます。では、また夜に。」
イーロンは頭を下げ工房を出た。ナスルも一緒に出て来る。
「じっちゃん、ありがとう。助かったよ。」
「儂は紹介しただけだがな。まぁ何かあったらまた来なさい。」
ナスルは自分の工房に戻って行った。イーロンは街の中心に戻り屋台で食事を購入するとアムル達の元へ戻って行った。
アムルはアマルナの懐かしい食事を楽しみにしている。ディディエも羨ましいらしく、食事の度に悪態をついていた。
今日はアマルナ独自のタレでローストしたチキンにアマルナ式のもっちりとしたパンだ。
街から離れた場所で食事をとり夜になるのを待つ。ディディエにはやはり悪態をつかれた。イーロンは元の姿に戻ってから食べに来いと笑って答える。
日が暮れ迷いの森が真っ暗になると、アムル達はランプブローチの工房へ向かった。