2・旅立ち
運ばれて来た皿を、美仁は大きなタレ目をキラキラさせて見ている。調理を頼んだドラゴンの肉は、表面にはこんがりと綺麗な焼き目が網目状に付いている。
ナイフを入れるとしっとりと濡れた輝く赤身が現れた。口に入れると得も言われぬ旨味が口の中に広がる。柔らかい肉は噛む度に旨味を口中に押し広げて来る。
「美味しい…。ロン、これ、美味しすぎるよ…!」
「感想はいらん…。まぁ、美味かったのなら、良かったな…。」
あまりの美味しさに顔を蕩けさせている美仁を、ロンはため息混じりに見る。美仁のふにゃふにゃの笑顔に毒気を抜かれたロンも目の前の定食に手を付けようとした。
「美仁、お前の使っている物は分かるが、儂の所にあるコレはどう使うんだ?」
美仁はナイフとフォークを使っているが、ロンの所にはお箸が置いてある。美仁はロンの箸を持ち、動かして見せる。
「ああ。これね、お箸っていうの。こうやって持って動かして、食べ物を摘んで食べるんだよ。」
「成程。」
ロンは美仁に習った通りに箸を動かし、ぎこちない動作で定食を平らげた。
「箸を使う食事は疲れるな。だが、美味かった。」
「慣れればこんなに良い道具は無いよ~。ここの料理美味しいよね!月子ちゃんが、まずは胃袋を掴むのよって気合い入れてるから。」
ニコニコと美仁は言うが、ロンが目だけを動かしてカウンターの店員を見ると、ダンディな店員、月子ちゃんはロンと目が会うとウインクをして唇をチュッと鳴らした。
ロンは息を飲み慌てて目を逸らす。その様子を見た美仁は可笑しそうに笑った。
夕方まで時間があるので美仁はロンと街を歩いた。足湯に浸かりながら温泉饅頭を食べる。
ロンは温い温いと文句を言っているが、秋が深まり少し肌寒い今日、足湯に浸かっているのは気持ちが良い。
温泉饅頭を気に入ったロンは次から次へと口に放り込んでいる。
「温泉饅頭好きだねぇ。」
「ああ。人間の作る飯は美味いな。」
「これから色んな所を旅するから、色々食べようねぇ。」
美仁は隣に座ったロンを見上げてふにゃりと笑う。この覇気のない顔は、先程自分を負かせた者と全く結び付かない。
この娘の強さの前に渋々契約を結んだが、こうなったら契約中は人間との旅を楽しもうとロンは口角を上げて頷いた。
冒険者支援協会の素材買取窓口に戻ると、美仁はほくほくとした顔でお金を受け取った。肉、骨、鱗がかなり良い値段で売れたらしい。
しばらくは旅をするのに困らないと鼻歌交じりに街を出た。街から離れ、美仁は高く聳える塔のような山を指差す。
「今度はあの頂上まで行ってね。」
ロンはムスッとした顔で美仁を片手で抱えて空に跳躍する。一蹴りで雲より高く舞い上がると赤竜に変化し、美仁を背中に向かって投げた。
「うぎゃっ!」
美仁はとんでもない高所で投げられた驚きと赤竜の背中に落ちた衝撃で変な声を出した。ロンは美仁が掴まっているか確認もせずに発進する。
「ちょっと!落ちたらどうするのよ~!」
美仁は赤竜の背中にへばりついて大声で文句を言った。赤竜はフンと鼻で笑う。
「そんなヘマはせんわ。それにお前、落ちても平気そうだしな。」
「こんな高さから落ちたら痛いじゃない!今度飛ぶ時は私がロンに掴まってから飛んでよね!」
痛いどころでは済まなそうな高さではあるが、美仁は命の危険を感じている訳では無さそうだ。
赤竜は美仁の文句を受け流し風を切って飛び、目的の山にはすぐに到着した。塔のように聳える山の頂上は平になっており、ものすごい高さでありながらも風は弱く木も生えている。
山頂にぽつぽつと建っている建物の中で一番大きな家から白い女が出てきた。白い肌に白い髪、着ている服まで白い。切れ長の目尻に入れた朱が鮮やかに映えている。
「よく戻ったのぉ。しかし美仁…、本当に使役してしまうとはのぉ…。」
翡翠は感嘆と呆れの入り交じる表情で美仁とロンを見ている。
「はい、ただいま戻りました。翡翠様。やっぱり強いモンスターは戦わないと使役出来ないんですね。あ、この子はロンです。あと、美味しいお肉を手に入れたので、夕食は楽しみにしていて下さいね!」
「ほぉ、では楽しみにしておるぞ。小夜にも伝えておこう。ロンもゆっくり休むが良い。」
翡翠はにんまりと笑い家の中に入って行った。美仁は礼をして翡翠を見送ると、翡翠の家よりも小さい板張りの屋根の家に入る。
「美仁様、お帰りなさいませ。」
家に入るとすぐにある土間に置かれた竈に向かっていた貂が振り向いた。後ろ足で立ち割烹着を着ている様は可愛らしい。愛らしい見た目ではあるが、この貂はガレルダァというモンスターであり、翡翠と使役契約を結んでいる。
「小夜、ただいま~。今日は良いお肉が手に入ったんだ~。」
「それはよろしゅうございましたね。それでは美仁様はお肉の調理をお願いしますね。」
美仁は元気に返事をするとエプロンを取り出し装着する。同時に小夜よりも色の白いガレルダァが経木に包まれた肉を手に現れた。
「シロ、ありがとう。じゃあ始めよう。」
シロは美仁の使役しているガレルダァだ。美仁と二頭のガレルダァは調理を始める。
ロンは土間から板敷きの間に上がり壁に背を預け目を閉じた。
しばらくするとロンは肩を揺すられ目を覚ました。部屋の中に料理の良い匂いが残っている。
「ご飯だよ。翡翠様の所で一緒に食べよう。」
ロンは美仁に連れられて翡翠の家に入ると、家の中は暖かく美味しそうな匂いがした。既に翡翠は囲炉裏の傍に座って待っている。
美仁と翡翠はドラゴンステーキを美味しそうに食べ、ロンは美仁が別に用意した一口サイズに切られたステーキを箸で不器用に食べた。
食事が終わり、この島国、ミズホノクニの特産の緑茶を飲みながら、美仁は話を切り出した。
「翡翠様。明日、発とうと思います。」
「…そうか。寂しくなるのぉ。」
翡翠は目を閉じ、湯気の出ている緑茶を啜った。
九年前、翠山の岩門の前に倒れていた美仁を翡翠が拾い世話をして来た。
長い年月を生きる翡翠には短い時間だったが、弟子としてではあるが大事に育ててきた美仁が旅立つのは寂しく感じる。
「皆に連絡しておこう。明日は中央山から立つが良い。」
「ありがとうございます。翡翠様、おやすみなさい。」
美仁は翠山で過ごす最後の夜を、いつものように過ごした。一つ違う事は、隣に敷かれた布団でロンが寝ている事位だ。
翌日、ロンが美仁以外の者は乗せないと翡翠の騎乗を拒否した為、翡翠の使役するモンスターに乗って中央山へ向かった。ロンの拒絶に翡翠は、流石は竜じゃの、と気を悪くする事無く笑い、自らの使役魔物を呼んでいた。
中央山は翠山よりも高い山で、こちらもビルのように高く聳える山だ。
翠山の標高と同じ高さに岩を削り建物を建てている。建物の前には石畳が敷かれた広場がある。
その広場に美仁達は降り立った。
「女仙方、本日は美仁の為に集まって頂きありがとう存じます。」
翡翠は使役魔物から降りると建物の前に集まっていた女性達に軽く頭を下げた。
「可愛い弟子の船出なのだ。来るに決まっておる。」
「珍しく瑠璃が来てるな。」
「あっはい…。美仁の事は、覚えてました…。」
「美仁は衝撃的な女子じゃからのぉ。」
女性達が話に花を咲かせている中、美仁は少し離れた所に居る着物姿の子供にドラゴンの肉の塊を渡した。
「お師匠様達、これまでありがとうございました。竜の肉を贈らせて頂きましたので、皆様でお召し上がりください。また遊びに来ますね!」
「美仁、妾は放浪癖があるらしいからの。先に中央山に寄るが良いぞえ。」
「あはははは!翡翠様ったら…。では、行ってきます!」
翡翠の意味深な言葉に笑うと、美仁はロンの顔を見上げる。ロンは美仁の視線に気付くと赤竜の姿に変身した。変身した自分の姿にロンは驚いた。
「尻尾が、生えている…!」
「ホントだ~!一日で生えるんだねぇ~。」
「そんな訳あるか!普通は半年程かかるんだぞ!」
美仁は赤竜の背中によじ登ると、飛び立つよう指示を出す。
よく晴れたすっきりとした水色の空へ向かって、赤竜は風に乗るように翼を広げて身を乗り出し、静かに飛び立った。
美仁達を見送った女仙達は顔を見合わせ笑う。
「半年程かかる所を、一日で、のぉ…。」
「十中八九、美仁の力だな。」
「謎の尽きない女子じゃのぉ。」
「さて、土産の竜の肉だ!」
「ド、ドラゴンステーキですね…。」
「昨日食したが、美味かったえ。」
女仙達は別れにしんみりする事無く建物に入って行った。きっと食事をしながらもこの調子で話し続けるのだろう。久々に集まったのだ。話題には事欠かない。
翡翠はものすごい速さで離れて行く美仁を思った。
心配する事はない。美仁は翠山に来て修行をする中で、女仙達を驚かせる程の実力を見せて来た。努力する事があまり好きではない娘ではあったが、赤竜も付いている。
美仁が向かう所が何処であろうと、きっとあの調子で何とかするだろう。
そう思いながら、翡翠は美仁の旅の無事を祈った。
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