16・帰山
「今日からは毒の注入に移ろうと思う。」
ジャラは棚に並んだ瓶から一つを選んで持って来た。
「昆虫や動物の中には棘や牙によって毒液を注入するものがいる。魔物にも毒を持つものはいるけど、僕は戦う能力に優れないから、魔物の毒は余り持ってないんだ。」
ジャラは眉尻を下げて笑い、注射器に毒液を入れていく。
「この毒はブラゾス大陸に生息する毒のあるトカゲの毒だ。下顎にある奥歯を伝って毒を注入する。動きがゆっくりだから、噛まれる事は稀だね。毒性も強くない。症状は、噛み傷周辺に痛み、腫れ、変色。あと、喉の乾き、頭痛、耳鳴りが起こる事もある。」
ジャラは美仁の前腕を消毒し、毒を注入していく。針を抜き、アルコールの染み込んだ布で針を刺した部分を押さえた。少しして布を外すと、針を刺した傷跡は無くなっていた。
「へぇ…。傷の治りも早いんだ…。」
「そうなんです。でも、痛みはちゃんとあるんですよ!」
「そうなんだね。今はどう?注射した所は痛む?」
美仁は針を刺した部分をぐにぐにと押してみたが、痛みは感じなかった。
「痛くないですね。」
「やっぱりね。きっとこれも効かないね。」
ジャラは笑って毒瓶を片付けた。翌日もまた棚から瓶を出し、美仁の前腕に注射する。今回は昨日よりも強い毒で、蛇毒らしい。この毒は筋肉等の細胞を破壊していく為噛まれた箇所から壊死していくという。
「この毒蛇咬傷は細胞がドロドロに溶けてしまう。もしこれが起こったら、すぐに回復魔法をかけるからね。」
「ジャラ様は回復魔法が使えるんですね。」
「ああ。これでも賢人になる前は聖者として働いていたからね。まぁ、毒の研究ばかりしていたから怖がられて追い出されちゃったんだけど。」
ヘラヘラとジャラは笑いながら話した。追い出された後に毒の研究が認められ賢人になったらしい。追い出されたと言っても、ジャラの希望したこのラレシャの底に住居を建ててくれた上に、癒し手の教会とは今でも交流がある。
癒しの力を持つ者は聖者と呼ばれ、怪我や病気の人を癒す仕事を与えられる。癒しの力は水と光の精霊の加護が無ければ持つことの出来ない珍しい力で、聖者になれる者は数少ない。ちなみに美仁は光の精霊との相性が悪く癒しの魔法が使えない。美仁に協力してくれている光の精霊もアイテムボックスにいる一柱だけだ。何より美仁には加護が無い。
ジャラは美仁の前腕に蛇毒を注射した。だが美仁の腕が腫れる事も、美仁の腕の筋組織が壊死する事も無かった。その後も日々様々な生物の毒を注射していった。
猛毒にも耐える美仁の体は、魚介毒の中でもかなり強力な、原始的な珊瑚の仲間の毒でさえ、中毒症状を起こす事は出来なかった。毒の潜伏期間が半日から一日という長い時間である為、翌日、ジャラは再度美仁に針を刺した部分を確認する。
「この毒も効かないとなると、僕が所持しているほとんど全ての毒が美仁に対して無力だって事になるかな。まぁ、魔物の毒の研究が出来てないから、そっちは分からないし、研究出来てない生物毒もあるからね。だから毒のある魔物や生物には気を付けてね。あ、魔物の毒を手に入れたら、是非ここに持って来てよ。人助けになるからね。魔物じゃなくても、毒なら大歓迎だよ。クラゲとかさ。」
ジャラは研究内容を、癒し手の教会に教え伝えている。癒し手の教会は、ジャラから教えられた様々な毒に対する解毒薬や解毒魔法を、世界中の癒し手の教会に広め人々を助けていた。
「ハイドラの毒とか研究したいな~。」
「ハイドラなんて神話の魔物じゃないですか~。本当にいるんですか?」
「ロマンだよ!ハイドラやヴェノムドラゴンの毒を研究してみたいと、ずっと思っているんだ!」
いつも顔色の悪いジャラが珍しく明るく瞳を輝かせて夢を語っているが、美仁はそんな彼を若干引きながら見ていた。
翌日から、今まで試した事の無いジャラの持つ僅かな魔物の毒や遅効性の毒を試しながら、いつ来るか分からない金剛が来るのを待った。
「ジャラ、美仁、久しいな。」
「金剛様!」
「金剛。久しぶりだね。」
ジャラと美仁がキッチンで昼食を摂っていると、金剛が入ってきた。美仁は三ヶ月ぶりに会う金剛に、喜び立ち上がる。いそいそと金剛にお茶を用意し、昼食を続けた。
「美仁は僕の持っている毒はほとんど効かない事が分かったよ。ここでの研究はお終いだ。」
「…そうか。美仁は、毒が効かなくなったんだな…。」
「僕が持っていない毒に関しては分からないけどね。でも毒を入れると美仁の体が何かしらの反応をして毒が効かない体に変化した。すごい事だ。」
「…ああ。美仁、更に化け物になったな。」
金剛が優しい笑顔で美仁を見た。女仙達が言う、化け物、には嫌悪感が含まれていない為、美仁は化け物と言われても嫌な気持ちにならない。化け物と言われたのに、美仁は褒められたように頬を染めて照れた。
「じゃあ美仁、帰るか。」
「はい。ジャラ様、ありがとうございました。」
「こちらこそ。美仁、楽しかったよ。毒を手に入れたらよろしくね。」
長く一緒に暮らしていたが、あっさりとにこやかにジャラと別れ金剛と美仁は翠山へ飛び立った。翡翠とは一年以上会っていない。久々に翡翠に会えると思うと頬が緩んでしまう。
「美仁は騎獣は使役しないのか?」
金剛の使役するマーカルゴラのタロウに跨り飛んでいる金剛が、後ろで抱き着いている美仁に問いかけた。旅に出るのなら空を飛ぶ魔物を使役している方が、旅が格段に楽になる。
「う~ん…。強くて空を飛べる魔物を使役したいとは思うんですけど…。」
「竜とかか?」
金剛が冗談めかして言うと、美仁は瞬時に目を大きく開き金剛を見た。
「竜!良いですね!カッコイイです!私、竜を使役したいです!」
「…嘘だろ…。…でも美仁なら使役出来ちまいそうだな。しかし竜か…。竜はドラゲンズバーグにいるが…アマルナの中だし、何百という竜に妨害される事になるだろうからな~。」
アマルナはミズホノクニの西にあるエルブルス大陸の北部のエルフの国だ。世界一の標高を誇るドラゲンズバーグはアマルナの広大な国土の内にある。エルフの国へは人間は簡単に入る事は出来ない。迷いの森に囲まれている為、エルフの住む街まで辿り着く事は難しいからだ。空から入ろうとしても、迷いの森の魔力が街の場所を曖昧にしてしまう。
エルフは人間嫌いで知られてはいるが、人里に暮らすエルフは珍しくなく、冒険者として旅をするエルフもいる。ダークエルフやハイエルフはかなりの人間嫌いで、アマルナの外に出る者は珍しい。美仁がガルニエ王国で会った、カロルの知り合いのイヌクシュクは大変珍しい人間嫌いではないダークエルフなのだ。
そしてドラゲンズバーグは竜の山で、多種類の竜が生息している山だ。最強種として知られる竜が蔓延る山で、アマルナの中という事もあり、謎に満ちた場所である。そこに竜を狩る為に乗り込むのは命を捨てる事と同義である。
「美仁、ドラゲンズバーグへ行くのは絶対にやめろ。ドラゲンズバーグから出てくる竜が時々いるから、それを待つんだ。私も竜の情報を得たら知らせる。分かったな?」
「分かりました!」
美仁は笑顔で頷いた。翌日の夕方翠山に着くと、金剛は相変わらず戸を叩かずに開けた。案の定翡翠に小言を言われている。
「翡翠様、お久しぶりです。帰りました。」
「おお美仁。久しいな。随分と成長したようじゃの。よく戻った。」
美仁の姿を見た翡翠は柔らかく目を細めた。美仁は翡翠に褒められて嬉しかったが、翠山を離れていた期間修行らしい修行はしていなかった為もじもじと返事に困ってしまった。
「翡翠。美仁は竜を使役したいらしいぞ。私の方もドラゲンズバーグから出てきた竜がいたら知らせる。」
美仁を見て目を細めていた翡翠は金剛の方を振り返り目を丸くして絶句した。今まで竜を使役した者はいない。それは美仁にもカロルにも伝えていたはずだ。竜は魔物の中でも魔力量が頭抜けて高い種族の内の一つである。最強種である竜が人間と使役契約を結んでも、竜に何の利益も無い為竜を使役する事は不可能に近い、と。しかも金剛は美仁に協力すると言う。
翡翠は美仁の旅の疲れを労り下がらせると、金剛と二人話し込んだ。
「決してドラゲンズバーグに美仁を連れていかないように数珠丸達に言っておいてくれ。まぁ、奴等ならそんな事はしないだろうが…。」
「承知した。…しかし竜か…。いくら美仁が規格外とはいえ、可能なものかのぉ…。」
「出会った竜にもよるが、戦って従わせるしかないからな…。美仁の魔力量が化け物なのは分かるが…強いのか?竜を倒せるだけの戦闘能力はあるのか?」
夕餉前なのに酒をちびちびとやっている金剛が片眉を上げて翡翠を見た。翡翠は片手で目元を隠すようにして呻く。
「美仁は怠け者故…日頃から中級の魔物ばかり相手にしておると数珠丸から報告を受けておる…。正直妾も彼奴の実力を知らぬのじゃ。じゃが、妾達は地獄まで同行出来ぬのだから、今回も見守るしかあるまい…。」
「…そうだな。…全く、母親らしくなっちまいやがって。」
「何を言うか!妾は師匠じゃ!母親などと…。」
翡翠は心底心外だと顔を顰めた。金剛は苦笑しながら翡翠の反論を聞いた。全く、この女仙は素直じゃない…。
翌日から美仁は午後の修行の時間を竜を探す時間に充てた。夕餉までに帰らなければならない為ミズホノクニ周辺の孤島までしか探索出来ず、竜探しは全く捗らなかった。