15・毒を食む日々
美仁がタハムボワを食べて中毒症状が出ずに夜を迎えてしまい、次の日まで様子をみる事になった。寝ている間でも症状が出たら遠慮せずに言うように念を押され、美仁は眠りについた。
そして朝になっても中毒症状が現れなかった事で、ジャラは一つの仮説を立てた。
「美仁はパラヴァジブを食べても麻痺の症状が起こらずに数分で回復したね。パラヴァジブは毒性の強さで言うと中毒。タハムボワは弱毒。美仁には弱毒か効かないのか、摂取量が足りなかったのか、或いは消化器系の中毒症状は現れない体質なのか…。今日は他の弱毒のもので試してみよう。」
そしてジャラは神経に作用する毒のあるキノコを採ってきた。昨日同様、美仁は毒茸をバター醤油で美味しく頂いた。しかし今回も、翌日になっても中毒症状は現れなかった。こうして様々な毒を試し、更には摂取量を増やして数日…。ジャラは美仁には弱毒は効かないという結論を出した。
「じゃぁ今日から少し毒性の強いもので試してみよう。」
美仁は食べると気が狂ったように走り回るようになるという植物を食べたが、これも症状は出なかった。毎日毎日毒を食べるが、何も中毒症状は出ない。パラヴァジブも食べたが、以前のように腹痛を感じる事はなかった。
「弱い毒を食べ続けて、体が毒に慣れたという事なのかな?賢人の僕でも中毒の強さに慣れるなんて事無かったのに。美仁は人間ではないのかも知れないね。」
「よく言われるんですよ~。化け物って!」
美仁はあははと笑って答えた。魔力量に加えて、毒の効かない体を持つならば、化け物と呼ばれるに相応しい気さえした。
「この毒も効かなかったら、明日からもっと強い毒にしてみるか?」
「はい。そうして下さい。」
「おいジャラ、美仁に無理させてないだろうな。」
久しぶりに聞く声に振り返ると、研究室の入口に金剛が腕を組んで立っていた。美仁は嬉しくて思わず立ち上がり金剛の元へ駆け寄る。
「金剛様!お久しぶりです!」
「おお美仁。大丈夫か?」
「はい!ここの生活にも慣れました!有毒植物って結構美味しいんですね~。」
金剛はジャラを睨んだ。美仁の毒に対する危機感が感じられなくなっている。
「金剛すごいぞ!美仁は今の所何の中毒症状も出てないんだ。パラヴァジブも効かなかった!」
オーガをも射殺しそうな視線を向けられても、ジャラは気にする素振りも無く興奮した様子で金剛に美仁の事を話した。金剛は眉間に皺を刻んだまま尋ねる。
「…それは、何故だと考える?」
「一度パラヴァジブで中毒症状が出たという事は、選択毒性…ある生物にとっては毒だが別の生物にとっては毒ではない事ね、これでは無いと考えてる。弱毒を入れ続けた事で毒に慣れたんじゃないかな。中毒も結構摂取したから、もしかしたら猛毒にも耐性がついてるかもね。」
金剛は猛毒も試すつもりなのかと眉間に皺を寄せてジャラを見ている。そして机の上の赤い実に気が付いた。
「今日はこれを試すのか?」
「そうなんです!美味しそうですよね~。知識が無ければ、普通に食べてしまいますよ。」
そう言って美仁はジャラが用意した毒の実を口に放り入れた。この実は消化器系の症状に加え、発熱、頭痛、呼吸器系にも不具合を及ぼす。甘酸っぱい真っ赤な実を口いっぱいに頬張る美仁を、金剛は心配そうに見つめた。夜まで様子を見て何も起こらないことを確認すると、無理はするなと念を押して去って行った。
「このリンゴは別名死のリンゴと呼ばれている。このリンゴを食べると喉と口内に燃えるような激痛が走るね。これが約八時間続くよ。喉が腫れて死に至る事もある。このリンゴ、幹や葉にも毒素があるから、雨宿りや、この木で焚き火なんかはしない方が良いね。」
金剛が帰った次の日、早速猛毒を試す。美仁は恐る恐る黄緑色のリンゴに似た果実に齧り付いた。シャクリシャクリと咀嚼し飲み込む。甘い果実が美味しく、痛みが現れない為食べ進め、結局これも丸々食べてしまった。
「美仁は怖いもの知らずだね。僕でも丸々一個は食べなかったよ。」
「あはは!甘くて美味しかったので、つい…。」
ジャラは唖然として美仁を見ている。中毒症状が出たら、魔力の限り回復魔法と解毒魔法を使わねばと決心した。
暫くすると、美仁が腹痛を訴えた。中毒症状が違う事に、ジャラは戸惑う。
「…ジャラ…さ、ま…。…これ、パラヴァ、ジブの、とき……と、おな…じ………かんじ…で…す…。」
お腹を抱えて蹲る美仁の背中を、心配そうにジャラは擦る。
「口の中は痛くないか?」
美仁は痛みに耐えながら頷いた。ジャラは解毒魔法を使うべきか考えあぐねている。中毒症状が違う事も引っかかるし、この症状を美仁が乗り越えた時に猛毒に耐えうる体を手に入れる可能性があると、ジャラは考えていた。
そして数分後、美仁はケロリとした顔で立ち上がった。
「ジャラ様、良くなりました。」
「…そうか。良かった。…美仁、明日も猛毒に挑戦しても良いか?」
「はい。やりましょう。」
美仁を心配して恐る恐る尋ねたジャラに、美仁は力強い笑みで答えた。前回のパラヴァジブの時の腹痛が、今回の死のリンゴの恐ろしい症状の代わりに出たように、他の毒でも同じように出るのであれば全然耐えられる。腸が捻り上げられているような痛みだったが、五分とかからず収まるのなら死のリンゴの痛みをそのまま受けるよりマシだ。他の猛毒も然り。中毒症状が、強力な幻覚作用が現れ意識が保てなくなり自傷行為をしてしまうものや、全身が赤く腫れ上がってしまうもの、心不全や腎不全、脳障害等の全身症状が現れ死に至るもの…どれも命に関わる症状だが、それが数分の腹痛で済むのだ。
美仁は毎日猛毒を摂取した。様々な中毒症状の毒を入れているのだが、美仁は毎回腹痛を訴える。そしてその腹痛を感じている時間が段々と短くなっていた。やはり、体が毒に慣れている、とジャラは確信した。
「今日はこれにしよう。これは、一粒の実の中身のほんの少量を摂取しただけで悪心や嘔吐による脱水症状が起こり、更には内蔵に深刻な不全を起こす。この実を口から摂取すると、苦痛に満ちた死を迎える事になるね。綺麗な色の実だけど、かなり強力な毒だ。ちなみに実の皮が破れていなければ、そのまま出てくるから運が良ければ助かるね。」
美仁は実を受け取ると、実を噛み砕いて食べた。味のしない実で、色は綺麗なのに美味しくない。水を飲んで猛毒の実を流し込んだ美仁を見て、ジャラは冷や汗をかいた。ジャラが同じようにこの実を食べたら無事では済まない。その実を何の躊躇いも無く食べた美仁に、少しだけ恐れを抱く。
夜になっても、夜が明けても美仁は不調を訴えなかった。
「…ついに、猛毒まで…。美仁、君は一体何者なんだ…。」
ジャラは美仁に対して畏怖の念さえ抱いてしまう。この少女…人間よりも、賢人よりも、上位の存在なのではないか…。
「それを知りたくて、地獄に行くんです。その為に、賢人様方に修行をつけてもらったり、ジャラ様に色々教えてもらったりしてるんです。」
美仁は初めは地獄に行く事に乗り気ではなかったが、今では冒険者になる第一歩だと、前向きに考えていた。いつまでも翡翠の世話になってはいられないし、カロルと出会えた事が大きい。彼女が冒険者になる可能性の話をした時に、美仁も冒険者になろうと思ったのだ。今でも冒険者支援協会に足を運ぶ事があるし、魔物と戦う事も苦手ではない。
「地獄か…。それは大変な旅になりそうだ。僕は毒の事しか分からないし、これでしか協力出来ないからね…。それじゃ、他の毒も試してみよう。今までは経口摂取だったけど、皮膚接触を試そうか。」
ジャラは窓際で育てている緑色の葉を採ってくる。そしてその葉を千切ると、黄色い汁が染み出てきた。
「この汁が触れると爛れる。食べると内蔵や消化器官が爛れて最悪死に至るね。何処か、目立たない所にこの汁を付けてみようか。」
美仁はジャラから葉を受け取ると、袖を捲り前腕に黄色い汁を塗り付けた。腕を出したまま一時間が経っても、美仁の肌は爛れる事無く黄色い汁は乾いてカピカピになった。
「うん。まぁ予想通りかな。明日も皮膚接触を試そう。毒を塗った所は流水でよく洗ってね。」
美仁は様々な毒を前腕に塗り付けたが、やはり何の症状も現れない。ジャラは最後の皮膚接触にと、色鮮やかな蛙の入ったケースを机に置いた。
「この蛙の体表面は猛毒で覆われている。その毒はこの蛙一匹で人間なら二十人を殺害する事が出来てしまう程だ。この蛙の毒は親油性だから触れるだけで体内に侵入するね。そしてこの毒に侵されると、神経細胞が阻害され全身が麻痺して死に至る。」
「この蛙、飼ってるんですか?」
生き物が出てきたのは初めてで、つい質問してしまった。すると、ジャラの表情が緩み目尻を下げて蛙を見つめ始めた。
「可愛いだろぉ?この色!この派手な色は毒があるという警告色なんだ。餌によっては毒性が弱まってしまうんだけど、この僕がそんな事する訳ないよね。安心して。ちゃんと毒を蓄えられる餌を与えているからね。」
何が安心して。なのか…。それにしてもよく喋る。いつもよく喋ってはいるが、今回はペット自慢なのか、この蛙一匹でトロールも殺せる、だの、この蛙を好物にしている蛇がいる、だのお喋りが止まらない。美仁はケースの蓋を開けて蛙を両手で包むように触れた。そして静かに蓋を閉めてジャラのお喋りを何となく聞いていた。
「そしてこの蛙の仲間は二百種類程いるんだけど、人間を殺す程の毒を持つ種類はこの子含めて三種類…。ほとんど毒の無い種類もいるんだ。…さて、そろそろ触ってみる?」
「もう触りましたよ?」
美仁は掌を上に向けて机の上に出していた。ジャラが驚いたように目を見開く。
「え?もう?どの位経ってる?何か変わった事は?」
「十分位経ちました。今のところ、特に変化はありません。」
「そうか…。じゃあいつもの様に一時間程様子をみて、変化が無ければ毒を洗い流してね。」
美仁は掌を上に向けて一時間待つ事になった。この姿勢でいる事が意外と窮屈で、腕が少し痛くなったが、美仁に中毒症状が現れる事は無かった。