1.新サービスに誘われた
『AIが投稿小説から作り上げた仮想現実の世界にVR装置でダイブして作品を味わえるサービスが凄すぎて、毎日入り浸っていたら、そのAIの争奪戦に巻き込まれてしまった件――』
茂埜垣カケルが固く握ったスマホから流れる切れ者女性編集者の抑揚に乏しい声は、『毎日入り浸っていたら』辺りから減速していき、吐息で結ばれた。この長いタイトルの新作SF小説に対する編集者の反応はある程度覚悟していたものの、いざこうして露骨な戸惑いに接してしまうと、心臓に悪い。彼は鼓動が喉に達するのを感じながら、次に来る言葉が「微妙」、「却下」、「没」のどれなのかと息を殺して待っていると、
『これがサブタイトルだとして、タイトルは?』
拒絶を感じない問いが投げかけられて、沈み込んだ心に光明が差す。のっけから否定されなかったのは幸先良しと前向きに捕らえ、軽く呼吸を整えた後、スマホのマイクに唇を近づける。
「いえ。それがタイトルなのですが……」
『ダメ』
答えに対して間髪入れず鮮やかなリターンエースを決められ、呆然と立ち竦む。
冷静に考えれば、こんな長いタイトルが本の背表紙になる訳がない。ここはサブタイトルとして採用される恩情に感謝をせねば。しかし、なんて返そうか。礼を言うべきだろうが、次の句が思い浮かばない。そんなカケルの逡巡は、再び感情の欠片もない声によって中断された。
『次回までにもう一度考えて。タイトル以外も』
初挑戦のSFが拒否られた。練りに練って考えたプロットごと窓の外へ「だめぇ~」と放り投げられたに等しい。耳にくっつけたスマホを離して画面に目をやると、いつの間にか電源が消えている。端末にまで呆れられたのか。半ば放心状態の彼はその時、遠くで鳴り響く聞き慣れた着信メロディーに耳を澄ました。
――あれ? むこうで僕のスマホが鳴っている?
手元にあって鳴動しないスマホの黒い画面に自分の顔を映して不思議がっていると、目の前の光景が忽然と消えて、深く沈んだ意識が浮上する感覚と同時に気怠さが襲ってきた。
◇◆◇◆◇
カケルは重い頭を持ち上げ、筋肉が強張った上体を起こす。うつ伏せ寝の枕にしていた両腕に血液が流れると同時にじんわりと痺れてきて、額もチリチリする。首を回すと寝違えたときに似た痛みが走る。
――こりゃ長い寝落ちだったな……。
腕が瞼越しに両方の眼球を押さえていたのでショボショボする目をよく凝らすと、机の上のノートPCは書きかけの短編小説の文面をこちらに向けているが、行末に大量の連続する同一文字が追加されていたので苦笑する。Ctrl-Zで入力を取り消す操作はボンヤリしている頭でも何となく出来るが、それよりも意識は夢の中で鳴っていた音量よりも数段上を行くメロディーへと移った。
――誰?
脇に置かれたスマホを手に取って目を落とすと、デコルテの画像と「専多ミヨ」の文字が判別できた。今は午前2時過ぎ。カケルの投稿小説を全作品読破した彼女のことだから、昨晩アップした短編の感想をこんな時間でも熱く語るのだろうと、彼は微苦笑しつつ画面を右にスライドする。
「もしもし」
『――おお、やっと繋がった』
「ごめん。また寝落ちしてた」
『そうなの? ヨミ専の電話を避けているのかと』
専多ミヨの名前をひねると「読み専だ」に聞こえることから自分をそう呼ぶ彼女の言葉に、カケルの口元がほころぶ。
「避けてないよ。早速、あの物語読んでくれたの?」
『当然! 今日はそれよりニュース、ニュース!』
興奮するミヨの声が割れるので、カケルの耳はスピーカーから指3本分遠ざかった。今回は珍しくじっくり時間をかけて推敲を重ねた最新作である勇者の物語が横に置かれたので、そのニュースとやらに嫉妬の矢を向けて身構える。
「何?」
『AI新書店分室が「VR作家になろう」というサイトを立ち上げたよ! そこの「カイテネヨンデネVR版」というサービスがめっちゃ凄いから! 早速投稿したらどう?』
サービスが凄いから投稿するといういきなりのお誘いは論理が飛躍していて目を白黒するカケルだが、カイテネヨンデネVR版というサービス名から、少なくとも作者が小説を投稿して読者がそれを読むサイトであることはわかった。
しかし、VRという単語がそのサービスに繋がらず、理解が追いつかない。もしかして、VR図書館の中に入り込んで書棚から本を取り出すようにして投稿小説を読むサービスなのだろうか?
そんなサイトもサービスも聞いたことがないカケルだが、ミヨが発する単語のいくつかが夢の中に出てきた小説のタイトルに所々散らばっているのが気になった。
リアルの自分は今までSFを書いたことがないのに、夢の中では駆け出しのSF作家になっていて、次回作を夢の中だけの編集者へ提案したのだが、そのタイトルにミヨから聞いた単語が含まれている。偶然の一致にしては恐ろしい。もしかして、ネットに流れていた情報を無意識のうちに吸収していたのだろうか。
――いや。僕でもその手の情報は意識するはずだ。
スマホを耳に近づけたカケルは、椅子に凭れてミシミシと音を立て、皮肉の笑いを浮かべた。
「そんなサイト、知らない。ニュースの出所はデマのメールじゃない?」
『知らないのも仕方ないか。昨日の昼に開設されたんだ。実際に行ってみて体験したんだから嘘じゃない』
ミヨは、全く嘘をつけない正直者。だとすると実在することは間違いないだろう。ここで彼は、AI新書店という名前から、とあるサービスを提供する噂の店を思い出した。
「それ、もしかして電脳街にあると噂される会員制の喫茶店じゃない? コーヒーやケーキを注文したら、新作の小説をその場で15分以内に書いてくれて飲みながら読めるって店」
『それはAI新書店別館。AI新書店分室はクローズドじゃなくて、オープンになっているの。会員制じゃないから』
「小説投稿サイトと同じく、読むのは誰でも無料?」
『無料だよ。読むってか、メインはVRだけどね』
身を乗り出したカケルは、机に肘をつく。
「VRがメインだって?」
『そう』
「どういうこと? 小説を読むんじゃないの?」
『そりゃ読むけど、うーん、なんて言うか、まずは自分の目で確かめて』
「読むVR?」
『いいから、行ってみると分かるって。ねえ、VRのヘッドセットあるよね?』
「ある。汎用型だけど」
『フルダイブ出来るタイプ?』
「うん」
『なら大丈夫』
カケルはミヨの提供する情報に想像を加えてサービスを把握したが、それがどこまで正しいのか気になって仕方ない。紙でも電子でも平面に向かって読むという行為になるがそれとVRがどう結びつくのか、大いに興味がある。
――小説とVRの融合……。一体どういうものだろう?
「で、サイトはどこ?」
『今から言うけどいい?』
「ちょっと待って。長ったらしいURLならチャットの画面に書き込んで――」
『いや、ハッシュタグ教える』
「SNSが入り口?」
『そう。タグでしかいけないところにあるの』
なんだか、隠しサイトの匂いがしてきた。AI新書店別館が隠れた喫茶店らしいので、分室も同じネット上の隠れ家的存在なのだろうか。
「怪しいところじゃないよね?」
『大丈夫だって。言うよ。あっ、行く前にヘッドセット装着して』
「なんで?」
『無料の専用アプリをヘッドセットにインストールするから』
カケルはミヨからハッシュタグを教わり、電話をいったん切る。それからVRヘッドセットを装着し、装置が持っているインターネットの機能を使用して音声入力でSNSを検索。すぐに、AI新書店分室の公式アカウントのつぶやきにたどり着いた。試しにこの分室を検索しても公式ページは出てこないので、SNSが入り口らしい。
早速指示されたURLの文字に視線を固定し、クリックの代用の瞬きでリンク先のページを開くと、真っ白な画面の中央に以下のメッセージが表示されていた。
『VRヘッドセットを装着して、ヘッドセットからこのページを開き、専用アプリをダウンロードしてください』
メッセージの『専用アプリ』がリンクになっているので、瞬きでダウンロードすると、インストール完了まで1分もかからなかった。登録されたAI新書店分室ポータルアプリを起動すると、『VR作家になろう』のタイトルと『カイテネヨンデネVR版』のメニューのバナーが表示された。
――これをミヨが試したんだ。
彼女が興奮するほど凄いサービスがどんな物なのか。カケルは期待を膨らませてバナーを見つめて瞬きをした。