名月祭 2
秋晴れの空の下、空高く響く花火の音ともに、祭りの開始が宣言される。
もちろん、実際に誰かが宣誓を口にしたわけではなく、一斉に店が開き、通りが人で溢れて騒がしくなり始めたということだけれど。
昨夜の前夜祭からの流れで、すでに騒ぎは起こっていて、あちらこちらの店先で、あるいは広場や路上、駅の中でも、どこでも賑わいを見せている。
巡回中、と書かれた腕章を巻き、企業のロゴの入ったお菓子を、すれ違い、挨拶をする子供たちに配り歩きながら、周囲に目を光らせる。
一応、警備の仕事に就いているため、着ぐるみなんかの仮装をさせられないだけましだと言える。
秋も中旬に入ってきているとはいえ、一日中着ぐるみを着て歩き回るのはさすがにきつい。
「ああっ、風船が」
そんな声が聞こえてきて見上げれば、ふよふよと、なにかのキャラクターのイラストがプリントされている銀色の風船が、風に舞い飛ばされているのが目に入る。
飛行の魔法は制限されてもいるけれど、それは制限されているというだけで、禁止されているということではない。
籠を近くのベンチに置いてから、その場で飛び上がり、紐を捕まえて地面に飛び降りれば、少なくない視線が向けられているのが感じられた。
「はい。もう離さないようにね」
紐の先にキャンディーの棒の部分を括りつけて手渡せば、女の子は嬉しそうに顔を輝かせ。
「ありがとう、お兄さん」
「ありがとうございます」
女の子と母親に、いいえ、と笑顔を浮かべ、僕は制服を整えて、置いたままだった籠を拾う。
「定時連絡です。そちらに異常は?」
「こちらレクトール。現在、西地区繁華街。異常ありません」
端末での連絡を終え、イベントステージに集まるお客さんの整理や、街灯に上ろうとする子供に注意したり、諍いを始めた人たちを注意したりと、そんなことをするはずないだろうと考えられているような諸注意に見事に抵触するような行動を注意しながら見回り歩く。
小さな異常こそあれ、そこはまあお祭りという状況を考えれば許容範囲だろうというところにはそこまで厳しく取り締まったりはしない。お祭りだからこそ、異常を事細かに見定めるべきだという意見もあるだろうけれど、規制するばかりでは、お祭り自体が楽しめない。
規律は定められているけれど、そこは暗黙の了解というか、気をつけてくださいね、という程度の注意に留めてもおく。
そうして再び警備の任務に戻ろうとしたところで。
「誰でしょう」
「わっ」
いきなり視界を塞がれた。
耳元でささやかれた口調と同じように、甘く、上品な香りが漂ってくる。
声で誰だかの判別はできたし、そうでなくとも、探知魔法など使わなくても、こんなことをしてくる知り合いはひとりくらいしか思い浮かばない。知り合いでないならそれはそっちのほうが問題だろうし。
「シエナ。今、僕はまだ仕事中なんだけれど」
この程度の高さなら飛行の魔法を使ったとしても、注意する必要はないけれど、普通に話しかけてくれればいいのに。
それじゃあ、つまらないじゃない、と彼女は言うのだろうけれど。
しかし、そんな僕のささやかな意思表示など、やはりまったくの無駄だったようで。
「うふふ。どうやら勝負は私の勝ちみたいね」
「勝負って?」
僕の首に腕を回していたシエナは、軽やかに黒髪をなびかせながら、地面に舞い降りる。
やはりシエナも、周囲にいる人たちと同じような弾けた格好――これは、エプロンドレス、いわゆる膝丈のメイド服と呼ばれるような衣装を身に纏っていた。
「私たちで、誰が最初にレクトールと遭遇できるか、勝負していたのよ。リュシィとユーリエにはまだ会っていないのでしょう?」
シエナはさっと周囲を見回す。
「それはそうだけど」
見つけられたのなら一緒にいるはずだし、今僕の傍にふたりの姿が見えないのであれば、それはまだ今日ふたりと顔を合わせていないからということになるだろう。
「ところで、巡回のルートってはっきりと決まっているわけではないのよね?」
「まあそうだけど」
巡回する地区は決められているけれど、ルートまではっきり指定されているわけではない。個人の裁量の範囲というか、それもまた、ある程度は祭りを楽しめるようにという、上のほうの配慮なのかもしれない。
「それじゃあ、一緒に巡回に行きましょう」
まずはあそこのカフェあたりが怪しいわね、と腕を絡ませたシエナが指差しているのは、オープンテラスの席があるカフェだ。
内装外装ともにお洒落な感じで、月や星の飾りが随所に見られる。
朝早くだからか、まだ、満席というわけでもないらしいけれど。
「あのお店に異常がないかを偵察に行きましょう」
「いや、偵察って、あの、シエナ?」
シエナが僕の腕を引っ張ってゆくので、あれよあれよと、連行されるように、転ばないように、ついて行くしかない。
「もう一度言っておくけれど、僕は今、仕事中だからね?」
シエナは肩を竦め。
「つれないわね。いいわ。それじゃあ、私があそこで買い物をしてくるのを待っていて、その間、この辺りで目を光らせていてね」
僕の了承を得る前に、シエナは颯爽と店の中へその身を隠してしまう。今更だけど、あの姿で人前にいることへの抵抗感などというものは、微塵も持ち合わせてはいないらしい。
まさか、リュシィやユーリエも同じようなコスプレをしているわけじゃないよね? と期待と不安が入り混じったような気持ちで待っていると、シエナは戻ってきたときには、両手に違う色――味のソフトクリームを持っていた。
「どっちがいい? こっちはモンブランソフト、こっちはブルーベリーよ」
どちらもこの秋の季節限定ということらしい。
「……シエナが好きな方を選んでいいよ」
どうやら受け取らないと先へ進まないらしい。
観念してそう答えれば、シエナはブルーベリーのほうを差し出してきて。
「ありがとう」
「でもやっぱり、そっちもひと口頂戴」
僕がひと口食べたところで、腕を引っ張って、自分の口にも咥えた。
「やっぱりブルーベリーもおいしいわね。でも、両方はいらないわよ。食べ過ぎは乙女の大敵だもの」
自身の口元に残ったクリームを指で拭い、ぱくりと咥える。
「……それで、リュシィたちとはどこで待ち合わせているの?」
まさか本当に僕と巡り合うまで個別行動というわけでもないのだろう。
「ケーキバイキングには行こうって話をしていたわ」
今まさに手に持っているソフトクリームを舐めながら、シエナはそう口にする。
やっぱり、女の子の言うスイーツは別腹というのはあながち間違いでもないのかもしれない、と感心したくもなるけれど。
「レクトールも来る?」
「いや、僕は仕事中だから」
非常に魅力的な話ではあるけれど、仕事を放って女の子とティータイムというわけにはゆかない。
「そう、残念」
肩を竦めたシエナに、休憩の時間になったら一緒に回るから、と告げて、一応、御機嫌うかがいというか、提示はしておく。
と、そこで、わりと近くからものが倒れたり、ガラスの飛び散るような音が聞こえてくる。
一応、無駄だとは思いつつ、シエナへと向き直り。
「僕はちょっと見てこなくちゃいけないから、シエナは適当にその辺で――」
「もちろん、私もついて行くわ」
半ば以上にわかっていた答えに、溜息をつくでもなく、そのまま現場へ走ってゆく。
また別のカフェのテラス席で、ふたりの男性が、女性を挟むようにしながら、取っ組み合いでも始めそうな勢いで互いにがっしりと手を組み合っていた。




