夏季休暇 15
ところで、魔法師の犯罪者に使われるこの手錠だけれど、なぜ、使われると魔法が使えなくなるのか、そこにもきちんと理由は存在する。
正確には、魔力の結合、魔力の効果発生を無効にするフィールドが周囲に展開されることで、使用者の魔力行使を妨げる。魔力が意味のある魔法へと変換されるのを妨害する、という効果を持っている。
僕たちのような魔法師と呼ばれる人たちは、空気中の魔力素と呼ばれる物質を体内に取り込み、魔力へと変換することで、世界に魔法として出力している(ということになっている)のだけれど、ようするに、この魔力へと変換する、あるいは魔力へと結合させると言っても良いかもしれないけれど、その結合を解除するフィールドが展開されるというものだ。
つまるところ、なにが言いたいのかといえば、この手錠による魔力変換の中和を上回る出力をもって魔法を行使すれば、あるいは、手錠に組み込まれた程度の魔力妨害を抜くほどの爆発的な魔力をもってすれば、手錠ごと粉砕することもできる、ということでもある。
それだと、優秀な魔法師の犯罪者を捕まえておくことができないということにもなるけれど、この仕組みは、収容所の壁や、護送車の車体なんかにも応用されているし、手錠より強力にフィールドを発生させる仕組みが、刑務所なんかには存在している。
しかし、今、僕たちがいるこの倉庫周辺には、そのような大型の装置は見られないし、そんなことをすれば、ユラ・ウォンウォート自身も魔法が使えなくなるのでしなかったのだろうけれど、ともかく、重要なのは、今僕の魔法行使を妨げているのはこの手錠だけだということだ。
リュシィにごめんと心の中で呟いてから、意識を自分だけに集中させる。
周囲から音が消えるほどの没頭。
現在、僕を拘束している魔法師用の手錠は、この手に付けられたひとつだけ。
一般的な手錠の出力は――、僕が現在変換できる、体内に取り込めた魔力素は――、この手錠の耐久力は――。
「はっ?」
おそらく、意識にかなりの衝撃を受けたのだろう。いままで感じたほどのないほど、出力された魔力の波動とも呼ぶべきものを。
リュシィに手を掛けたまま振り向いたユラ・ウォンウォートの表情は驚愕に染まっており、次第に、目に見えて鳥肌がたてられる。
通常の魔法師に、対魔法師用のこの手錠を破ることはできない。そんなことができるのなら、この手錠は意味をなさなくなってしまう。
しかし、今、僕の手に付けられていた手錠は、目に見えて故障しているように煙を吐いている。
こうなってしまえば、もはや魔法の出力を制限するフィールドもなにもない。
一応、手についた重しくらいの意味はあるけれど、煩わしい程度の感想しかない。そして、それもまた、今、念力により分解され、音を立てて床に転がった。
そして、魔法の制限がなくなった以上、足枷の役割を果たしているただの金属に、もはや僕を拘束するだけの意味はなさない。
「おまえ、どうやって……」
彼がどこからこの手錠を手に入れたのかということは留意しておくべき点かもしれないけれど……まあ、ウォンウォート家はいまだ健在で、この国有数の金持ちであることには変わりはないので、その伝手か、あるいはコネか、その類だろう。
そんなことより――それも重要だけれど――今はリュシィの身のほうが心配だ。
ユラ・ウォンウォートがいまだ衝撃から回復しないうちに、彼を吹き飛ばす。特に抵抗なく、彼は壁まで吹き飛んだ。
二年前よりは加減もできていたと思う。多分。
それから、リュシィのところまで歩み寄り。
「リュシィ。すぐ外すから」
同じ要領、ただし、自分のときより、慎重に、丁寧に、手錠に注ぎ込む魔力を増やしてゆき、一方で、ユラ・ウォンウォートからの不意打ちにも備えて、障壁等を展開もする。
リュシィの手錠もすぐに外れた。
「大丈夫? なにか変なこととかされなかった?」
自由になったリュシィを抱きしめ、それから肩を掴んで確認すれば、
「ええ……」
リュシィは頷いて、それから、紅くした顔を逸らした。
「えっ、あっ、ごめん!」
そういえば、リュシィはいまだに下着姿だ。
僕は慌てて背中を向けて、上着を脱いで、リュシィに差し出す。
「僕ので悪いけれど、多分、汗はまだかいてないはずだから」
近くにリュシィの服は見当たらない。ユラ・ウォンウォートがどこかへ持っていったのか……いずれにせよ、そんなものをリュシィに着せるわけにはゆかない。
「……ありがとう、ございます」
先日見たのは、裸Tシャツみたいな格好だったけれど、今度は裸ワイシャツみたいな感じだな。下が水着でなく、下着な分余計に……とはいえ、これはこれで……って、今はそんなことを考えている場合じゃないだろ。僕は変態か。
なにかが降ってくる音や、放り出されるような音が聞こえてきて、僕はリュシィを抱き寄せてそちらを振り向く。
埃の立ち込める中、ゆらりと人影が立ち上がる。
「……す」
幽鬼のように立ち上がったユラ・ウォンウォートは、狂気に彩られた瞳で僕たちを見据え。
「ぶっ殺す!」
わかってはいたけれど、さすがに建物自体にまでは、対魔法仕様の素材を準備しているわけではないようだ。
加速の魔法を使って一気に距離を詰めてきたユラ・ウォンウォートは、必死の形相で、僕の障壁を殴りつける。
腐っても――元から腐っているという意見は、とりあえず置いておいて――ユラ・ウォンウォート。さすがに魔法の実力もあり、気を抜けば障壁が破られそうでもある。向こうも、二年前から成長している。
ただし、僕の障壁は破られることはなかった。
「があああああ!」
滅茶苦茶に振るわれる拳には魔力が纏われていたけれど、やはり、こちらの障壁を抜くには至らない。
やがて、収束させた魔力砲撃も敢行してくるけれど、こちらも出力をより高めた魔力障壁でしのぎ切る。
「気に入らねえんだよ、前から、おまえのそのすかした態度が!」
彼の本心……どんな思いがあるのかは知らない。興味もない。
「俺を誰だと思ってる! 総資産額六千億超、グループ数は二十万を超え、社長と代表をいくつも兼ね、ルックス、教養、運動神経、魔法運用、すべてにおいてこの世界のトップをゆく人間だぞ!」
「そうですか。僕からは、女の子を攫って乱暴狼藉を働いた挙句、約束も守らず、言葉も理解できない、他人を思う心を持たないただの犯罪者にしか見えませんが」
端的に言って、くそ野郎だ。
能力的にはそれはすごいのだろう。すくなくとも、会社を経営する手腕だとか、学院での成績だとか、こうして撃ち合っていてわかる戦闘能力だとか、そういった、社会的な側面から見れば。
しかし、人格的にはどうなのかと問われれば、最底辺だと言える。
「今回は、リュシィがなんと言おうと、あなたをそのまま見逃すわけにはゆきません。必ず捕えます」
あの時とは違い、今の僕は、そうしなければならない立場だ。
未成年者略取誘拐、監禁、暴行、脅迫等、それ以外にも余罪をあげればきりはないだろう。
この事態を見逃すようでは、この魔法省軍事局諜報部の免許というか、社員証を返還しなければならなくなる。
わずかに間の開いた瞬間、ユラ・ウォンウォートは懐から拳銃を取り出す。
おっと、銃刀法にも違反していたか。
即座に加速の魔法で距離を詰め、彼の両手首を掴むと、間髪入れず、額に頭突きをお見舞いする。
「くっ」
それにより手放された拳銃は、手の届かない所へと蹴り飛ばし、そのまま、組み伏せ。
「リュシィ。魔法省へ連絡を。うちの部署で構わないから」
ついでに、リュシィの着替えも持ってきてもらおう。
「わかりました」
頷いたリュシィは、僕のズボンのポケットから端末を引き抜いた。




