夏季休暇 13
◇ ◇ ◇
「リュシィがいないですって?」
朝起きた僕に――正確には、朝僕を起こした電話の内容は、混乱を引き起こすものだった。
今は夏季休暇中で学院に登校する必要はないはずだ。登校日だという話も聞いていない。リュシィは部活をやっていないし、特別、登校しなければならない理由があるとは思えない。そもそも、大抵の場合、送迎にはローツヴァイ家の車が使用されているはずだ。
「ええ。その様子では、レクトールさんのところにお邪魔しているわけでもないのですね」
電話の相手、ターリア・ローツヴァイさんは、リュシィと同じ紫の瞳を心配そうに歪ませている。
今は、天気予報を見るに、陽が昇ってからおよそ二時間ほど。
ローツヴァイ家の使用人の方はリュシィが家から出て行くところを見ていないということだし(というより、見ていたら止めるだろう)出て行ったのは、使用人の方たちが帰った後、深夜過ぎから早朝にかけてということになる。
「わかりました。こちらのほうでも街路カメラの照合をしてみます」
リュシィは、わりと他人に頼りたがらないところのある子だけれど、真面目で、常識はあり、進んでこちらに迷惑になりそうだと思うことをする子ではない。
家族仲が上手くいっていないということも聞いていないし、以前のように、勝手に許嫁を決められそうだからと飛び出した、などというわけでもないのだろう。
「お願いします」
朝食を食べる時間を惜しんで、机の上に残っていたパンに、ハムとレタス、一瞬で茹で上げたゆで卵を挟んで口の中へと放り込みながら、車へと乗り込んで、魔法省へと出勤する。
車の中で、探知魔法を使ってみたけれど、残念ながらと言うべきか、リュシィの反応を捉えることはできなかった。
まあ、探知魔法を誤魔化す、あるいは対抗する手段もないわけではないからな。
リュシィはローツヴァイ家のひとり娘なので、誘拐される理由は十分に考えられる。
身代金だったり、ローツヴァイ家への怨恨だったり、あるいは、個人的にリュシィに恨みを抱かれている、なんてこともあるかもしれない。それを実行できるだけの力を持った人間に。
魔法省へと着いた僕が最初に向かったのは、自分の職場である諜報部ではなく、別棟の、議会場なんかが入っている建物だ。
「失礼いたします。ローツヴァイ氏はいらっしゃいますか」
自分の社員証を見せ、火急の要件ですと伝えれば、警備の人は敬礼して、通してくれた。
僕も敬礼で応え、扉を抜け、ウァレンティンさんのところへ挨拶に向かう。
とはいっても、本当に挨拶することが目的ではない。
すでに執務に取り掛かっていたウァレンティンさんに軽くお辞儀をして済ませれば、向こうも僕がここへ来た理由を察してくれたようだ。
「相手はわかっている。すでに衛星カメラとも照合済みだ」
ウァレンティンさんはプリント済みの写真を机の上に並べる。
街路カメラを誤魔化すのも難しくはあるけれど、不可能ではない。面倒なので、普通はやらないけれど、自分の通るルートのカメラをすべて事前にハッキングしておくとか、上手いこと死角になるようにタイミングを見計らうとか、あとは直接壊す、レンズを塞ぐなど、本気でやろうと思えば、方法がないわけではない。
その街路カメラではなく、衛星カメラの写真を使っていることから、相手の作戦はかなり周到なものだと言えるだろう。
「こちらも予想はしておりますが」
一応、写真を確認してみたところ、しかし、僕の予想とは違ったようだった。
写真の中に、ユラ・ウォンウォートの姿はなかった。もちろん、部下、あるいは雇った人物にやらせたという可能性はあるけれど。
「それで、声明や要求などはありましたか?」
「物品では、なにも。ただし」
ウァレンティンさんの視線が正面から僕を捉え、なんとなく、内容を察した。
「僕にそこまで来い、ということですね?」
「ああ」
ウァレンティンさんが頷かれたことで、先程の予想は間違っていないだろうという確信を抱く。
犯人は、ユラ・ウォンウォートで間違いない。実行犯は別にしても、黒幕は間違いなく、彼だろう。
普通の誘拐犯なら(その言い方もおかしいけれど)ローツヴァイ家へと要求があるはずだし、僕に要求するよりそちらのほうが圧倒的に得られるものは大きい。
ならば理由は、僕への(あるいは僕とリュシィへの)私怨だろう。そんな人物で、思い当たるのはひとりしかいないし、心当たりのない人物について考察しても意味はない。
「わかりました」
「すまない。リュシィを頼む」
立ち上がり頭を下げられたウァレンティンさんに、そのようなことをされる必要はありませんと答え、執務室を出る。
そこで、僕の端末にメールが送られてきた。
こんなタイミングで誰だ、と思えば、差出人はリュシィからだった。
完全に誘われているけれど、仮に、万が一、本当にリュシィからなら、開かないわけにもゆかない。
「っ!」
送られてきたのは一枚の写真だった。
ただし、通常のスナップ写真、などではない。
手足を拘束され、磔にされているリュシィだ。
学院の制服だっただろうものはあちこちが破れ、大きく肌があらわになっている。
拘束に使われているのは、通常のロープではなく、魔法犯罪者の拘束に使用される、魔力を無力化する手錠(形状が変わっているため断定はできないけれど、リュシィが自力で逃げ出さない――逃げだせないということは、拘束を破れないからだろう)だ。主に、僕たちの部署、そして警察で利用されており、一般に入手できるようなものでは、もちろんない。
もっとも、かなりの衝撃、あるいは、無力化の仕様以上の出力の魔力をもってすれば破れるのだけれど、そんなこと、滅多にできるものではない。僕たちだって、かなりの集中と、魔力を必要とする。ましてや、優秀とはいえ、初等科六年、十一歳のリュシィには不可能だろう。
思わず、口から紳士にあるまじき言葉が漏れそうになり、慌てて飲み込む。怒りに呑み込まれて冷静さを欠けば、逆にこちらがやられかねない。
なにしろ、二年前の事件と、似たような状況だ。あれを相手が忘れているはずもなく、同じような感情で突っ込むのは、愚策と言える。相手が対応していないわけがないからだ。
探知が妨害されているため、リュシィの居場所がわからなかったのだけれど、送られてきたファイルには、位置情報を示す地図も添付されていた。
衛星カメラを使っても正確な位置がわからないという時点で、どこか、上空からの視界を遮られているような場所、地下、あるいは建物、もしくは森などの中、なんて考えていたけれど、地図が送られてきたのなら好都合。
もちろんそれが正しいという保証はないけれど、行くしか手はない。
車は入れない所だったので、自力で向かうしかない。
手近な窓からその身を投げ出し、飛行魔法で目的地へと向かいながら、端末で電話を掛ける。
「やあ」
数十回のコールを待たされた後、画面の向こうに出たのは、やはり、予想どおりの人物だった。
「きみのお姫様は預かっているよ。ああ、いまのところは、かな」
「……もう関わらないでくださいと、以前にも忠告したはずですが」
スーツ姿のユラ・ウォンウォートは、すでに自分の正体を隠すつもりはないらしい。
「俺は別にきみと関わろうってつもりはないんだぜ。そっちから関わって来ようというなら、別だけどね」
「リュシィにはまだ手を出してはいないでしょうね?」
「お姫様の現状は知っているはずだけど?」
ユラ・ウォンウォートが身体を逸らせば、その向こうには、写真と同じように拘束されているリュシィが写っていて。
「レクトール。来てはいけません」
「そういうわけで、待ってるからな。俺としては、来なくても構わないんだけど」
ふざけたように肩を竦め、ユラ・ウォンウォートは通話を終了した。
「リュシィ……」
僕は一層、目的地へ急いだ。




