夏季休暇 7
「注文だと?」
男たちは迫力のある顔を向けてくるけれど、シエナはまったく怖気づく様子もなく、ただ見下ろしている。
うん。とても、店員が客に向ける視線ではないな。
なんというか、こういう言い方が正しいのかはわからないけれど、悪戯をした子供に自ら反省を促すような超然とした態度とでも言えばいいのか。
「その注文した品の中にこの虫が入ってたって言ってんだよ! どう落とし前つけてくれんだ、こら!」
周りは静まり返っており、たったひとりで大の男たちと相対する少女を心配するような表情で見つめている。
助けに入らないのは、シエナのほうの雰囲気がそれを許していないためか。
大人の男に恫喝されていても、シエナは表情を崩すことはない。むしろ、その瞳の温度はどんどん下がっているようにも思える。
「本当に? それが、その中に?」
「ああ? さっきからそう言ってんだろうが」
ため息をひとつ吐き出したシエナは、その場で勢いをつけて靴で床を鳴らし。
「あなたは、このシエナ・エストレイアが、客の注文にわざわざ虫を入れるなんていう、こんなくだらない、幼稚な、嫌がらせともつかない行為をしたと、本気で言う訳ね?」
普通、いや、そう言われても、と思うところだろうけれど、彼女は紛れもなくシエナ・エストレイアであり、えらく自信に満ちた態度をとるだけの理由のある少女なのだと、否が応でも納得させそうになる、そんな雰囲気を纏っていた。
「それなら、鑑定してもらいましょう。本当に、私たちがこんなものを、わざわざ客の――あなたたちの料理に入れたのかどうか」
は? と呆ける男たちの目の前で、シエナはウエストポーチから端末を取り出して。
「もしもし。私だけれど、これから言うものを、大至急、座標の位置まで届けてくれるかしら」
本当は接客をしなくてはいけないのだろうけれど、今、店内の視線はすべてシエナと男たち、――より正確に言えば、シエナに集まっていて、注文どころか、料理を口に運ぶ人すらいない。
数分後、空中から小型の航空機が、どういうわけか――魔法のおかげなのだけれど――砂を巻き上げることなく着陸する。
中からは、黒いスーツとサングラスの女性と男性が、大きなジェラルミンケースを持って降りてきて。
「シエナお嬢様。お持ちいたしました」
「ありがとう。さっそくやってくれる?」
シエナの前で片膝をついた女性は、忠誠というか、主を敬う気持ちのはっきりとわかる声で返答し、後ろに同じような服の男を伴って店へと入ってくる。
「失礼」
流れるような動作でスタッフの女性の手を取ったエストレイア家の女性は、髪の毛を数ミリだけ切り取り、続いて、店の奥へと別の男性を向かわせると、おそらくは同じように女将さんの細胞――あるいは遺伝情報といったほうが正しいかもしれないけれど――サンプルである、髪の毛をわずかにとってきたものを差し出していた。
「な、なんのつもりだ」
シエナは、狼狽えている男のことは無視して、周囲にいる、さらに関心を引いているような――すでに無視がどうこうという話は頭の片隅に追いやられていることだろう――お客さんに向かってのように、説明する。
「説明しておくと、これはうちで開発して、とっくの昔に多くの企業とかに導入されている遺伝情報の鑑定装置よ。それは問い合わせればすぐにわかるでしょう」
シエナはいくつかの、誰でも知っていそうな大企業の名称をすらすらと列挙する。
「お嬢様。結果が出ました」
見せつけられるように持ち上げられた装置の画面には、鑑定の結果が示されている。
それによれば、示されている遺伝情報は、どれも異なるものであり。
「見ればわかるけど、つまり、この虫に、私たちの細胞は一切付着していないということになるわ。それは、要するに、この私たち店員が入れたとされる虫に、その私たちは触れてすらいないということよ」
おお、と周囲から歓声とも、どよめきとも言えない声が上がる。
「あなたはさっき、この虫が入っていた つまり、こちらが故意にそれを入れたのだと糾弾してきたわよね? どこかからか飛んできて入ったのではなく。だったら、それに、あなたの細胞が付着しているということはないわよね? なにせ、品に入っていて、あなたは素手で触れてすらいないはずなのだから」
男はさっと皿に手を伸ばそうとするけれど。
「障壁だと!」
「現場保存のためです」
僕は自身の身分証、つまり、魔法省の職員のものを示す。
「現在、あなたはこのお店の方を訴えていらしたということで構いませんよね? 具体的には、製造物責任法とか……まあ、法律の名称なんかは今は置いておきましょう」
自分たちはかなり適当な気持ちで、難癖をつけに来ただけだというのに、思った以上に大事になってしまいかなり狼狽えているというか、正常ではいられないらしい。
まあ、運が悪かったというか……そもそも、自分たちの行動の結果なので、同情なんてとてもできるものでもないし、するつもりもないけれど。
現場の雰囲気は、すでにシエナに味方するもの、というか、この見世物を観賞するものへと変わっている。
「この鑑定の結果に納得できない人はいるかしら?」
シエナが周囲に問いかけるけれど、そんな人物、いようはずもない。
「この結果がなにを示すのか。それは、まあ、もう言うまでもないことだけれど、その虫が真実、いきなり飛んできたとかではなく、入っていたというのなら、それはあなたたちが自分で、わざわざ、注文した料理に――私の友人が心を込めて作った料理に泥を塗るような行為をしたということに他ならないわ」
そこでシエナが僕にウィンクを送ってきて、どうやら拍手をさせたいらしい。
要求に応えて、僕が拍手を始めれば、つられたように、他のお客さんからも拍手が沸きあがり、なんだなんだと、次々見物客が寄ってくる。
「ちっ、おい」
いたたまれなくなったのか、さすがにここからの形勢逆転は無理だと悟ったのか、男たちは舌打ちをもらしながら退店しようとするけれど。
「待ちなさい」
もちろん、シエナはそれで許したりしない。
「自分で注文した分の代金くらいは置いていきなさい」
男たちが、財布ごと、投げ捨てるように放るのを見てから。
「それから、名誉棄損で訴える用意もあるから、あなたたちの身元も明かしていきなさい。身分証、持っていないわけはないわよね?」
シエナに指さされ、黒スーツの男性が、迷惑客たちについて行く。さながら、連行しているような感じだ。
「あとは、あいつらの後ろのやつをひっ捕らえるわよ!」
すでに店の雰囲気を掌握しつつあったシエナの号令に、店の客、とくに男性陣が、拳を突き上げて雄たけびを上げる。
「でも戦の前には、やっぱり、腹ごしらえが必要よね」
シエナはその手にメニューを高く掲げ。
「なにをぼさっとしているのよ、レクトール」
いきなり名前を呼ばれてびくりとすれば。
「これだけお客がいるのよ。昨日までのことなんかひっくり返しておつりがくるくらいじゃない。さっさと、注文を取るのよ。いい宣伝になったじゃない」
そりゃあ、いきなり小型航空機が着陸すれば、人目は惹くだろうね。これ以上なく。
しかし、あんなことがあった直後での、この切り替えの早さ。
「なに、レクトール。もしかして、惚れたかしら」
「いいや。そんなの今更だよ」
満足したのか、シエナはそれはもう、すっきりとした笑顔で接客し、その結果がどうだったのかは、あえて語るまでもないだろう。




