リュシィとコンクールと式典と 9
◇ ◇ ◇
リュシィが気が付いたのなら、とりあえずはひと安心。
明日も、僕やセストは魔法省でのお勤めがあるし、ユーリエやシエナは学院での授業が待っているはずだ。
むしろ、夏季休暇前の試験期間で、普段より大変な時期だろう。まあ、三人とも成績優秀ということで、そっちの心配はしていないけれど。
夏が近づき、陽が伸びてきているとはいえ、さすがにそろそろ太陽も沈みかけようという頃。
「それでは僕たちはそろそろ失礼させていただきます」
式典は無事に終わったと報告を受けたけれど、後始末まで丸投げしてしまうわけにはゆかない。
もっとも、後始末とはいっても、ローツヴァイ家のほうではなく、警護任務に就いていた諜報部のほうの報告を読ませて貰うという面が強いけれど。
「リュシィのこと、よろしくお願いします」
僕に頼まれるまでもないことだろうけれど、お屋敷の使用人の人たちに深く頭を下げる。
あの調子なら、ひとば眠れば回復しているだろうけれど、それでも、傍に信頼できるどなたかが着いていてくれるというのはとても心強い。
「レクトールは隣についていたほうが良いんじゃないの?」
普段の調子を取り戻したのか、あるいは、努めてそう振舞おうとしてくれているのか、シエナのいつもの軽口を聞くことができて、安心した気持にもなる。
「そうしたいのはやまやまだけど、多分、気を遣わせてしまうだろうし、リュシィの回復の邪魔にはなりたくないからね」
誰かにじっと見られたままでは落ち着いて眠る、休むことは難しいだろう。
「あら、そうかしら。私なら、心細いときに誰かが傍にいてくれたら嬉しいと思うけれど」
「……そうかな」
シエナの言うことも、わからないでもない。
リュシィは今日、失態を演じた。
僕たち、それから見ていた人でそんな風に思った人はいなかっただろうけれど、あのリュシィ・ローツヴァイが今日の出来事を失態だと捉えている可能性は十分にあると考えられた。
だとすれば、もし、夜中に目が覚めてしまった場合、すぐ隣に誰かが起きて見ていてくれるというのは、たしかに心強いというか、リュシィにとっての、良い意味での、気持ちを吐き出す機会にはなるかもしれない。
もちろん、そんなに簡単に弱みを見せるとは思えないけれど。
「大丈夫よ、レクトールなら。むしろ、私たちの中じゃ、レクトールにしかできないわ」
シエナはそう言ってくれるけれど、いまいち、自信はない。今朝のことがあるからかな。
リュシィの調子に気が付けなかった――あるいは指摘できなかった――僕にそんな資格はあるのだろうか。
「私もレクトールさんにはリュシィの傍にいて欲しいです」
「ユーリエ」
ユーリエは、その青い瞳を見開いて、真剣な顔で僕に向き合い。
「私も、自分が風邪とか、倒れてしまったとき、レクトールさん――誰かに傍にいてもらえたらきっと嬉しいと思いますから」
「ありがとう、ユーリエ。そう言って貰えると、なんだか本当にそんな気がしてきたよ」
やっぱり頼み込みに行こうかと顔をあげれば、シエナのジトっとした視線にぶつかった。
「ふーん」
「な、なにかな、シエナ」
なんとなく、不吉な(というほどでもないけれど)ものを感じて、わずかに身体を引けば。
「べつに。私の言うことだと決断できないのに、ユーリエの言うことは素直に従えるのね」
「えっ? いや、決してシエナとユーリエを比較してどうこうとか、そんな気持ちはないんだけど……」
ちょっとしたニュアンスの受け取り方の違いとか、そんな些細なことだと思う。
しかし、それがシエナのプライドを傷つけてしまった、そこまでゆかずとも、面白くない思いをさせてしまったというのなら、素直に謝るしかない。僕も配慮が足りていなかった。
「ごめん、シエナ。僕も随分余裕をなくしていたみたいで」
「べつに気にしてないわよ。素直じゃないレクトールにちょっと意地悪を言ってみたかっただけよ」
素直じゃない……かなあ。
「レクトールはどうしたいの? リュシィの傍にいるのは、ユーリエに指摘されたから? それじゃあ、リュシィが可哀そうだわ」
僕は、今、リュシィの隣にいたい。
目を覚ましたとき、不安になったり、今日のことを思い出して自分を責めたりしようと思ってしまったなら、言葉をかけて、抱きしめてあげたい。
ユーリエに言われたから、シエナに発破をかけられたから、ではなく、僕自身がそうしたい。
婚約者だとか、そんなことは関係なく、ひとりの女の子として心配だから。
「最初からそう言えばいいのよ。まったく。これはレクトールにしかできないことなのよ? もう少し、自覚しなさい」
シエナは口調こそ呆れた様子だったけれど、表情は穏やかなものだった。
「ありがとう、シエナ。シエナが大変なときにも、きっと付き添って、抱きしめるからね」
もっともシエナがそんな窮地に陥るとか、あるいは僕にそんな風に甘えるようなことを求める姿なんて、まったく想像できないけれど。
「レクトールさん。私はどうですか?」
「もちろん。ユーリエが困っているというときには、いつだって、きっと助けになるよ。だから、遠慮せずに頼って欲しいな」
「はい。私もレクトールさんがお困りのときには、きっと、お助けしますね。私なんかになにができるとも思いませんけれど」
「それは、さっきユーリエが言っていたことが当てはまるんじゃないかな」
そう答えれば、ユーリエはきょとんとした顔をして。
「私が言ったことですか?」
「うん。言ってくれたよね。誰かに傍にいてもらえるだけでも十分に力を貰えるって」
本当はふたりにはいくら感謝しても足りないので、キスをしようかと思ったけれど、さすがに人前で、しかも婚約者の家で、なんてことはできるはずもない。
「ありがとう、ふたりとも。このお礼は必ずするから」
三人に背を向け、僕はリュシィの部屋に戻る。
寝ている間は静かにしようということなのか、丁度中には誰もいないようで、僕が入ろうとすれば使用人の人に見つかってしまったけれど、一礼されただけで、咎められたりはしなかった。
カーテンの閉じられた部屋の中は、電気も消えていて暗かったけれど、家具の位置はさっきまでこの部屋にいたため覚えているし、僕は音を立てることなく、リュシィの横になっているベッドの枕元までたどり着いた。
そんなつもりは全く無いけれど、なんだか、夜這いをしているみたいだな。
さっき目を覚ましたベッドの上のリュシィは、また、寝息も立てずに静かに眠りについていて、かけられた布団が規則正しく上下している。
顔にかかった銀の髪をはらりと払えば、リュシィはわずかに顔を震わせる。
起こしたか? と思ったけれど、身体を起こしたり、目を開けるような気配はなく、僕はため息をひとつ吐き出してから、ベッドの傍らに持ってきていた椅子に腰を下ろす。
普段は気を張っているのか、どことなくきつい印象を与えることも多い子だけれど、こうして寝ていれば年相応の女の子にしか見えない。その寝顔もとても可愛らしいし。
額に手を当ててみれば、先程のように熱があるということはなく、それなりに落ち着いてはいるようだ。やっぱり、気を張り過ぎていたんだろうな。
「レクトール?」
それからどれほど経過したことだろう。
名前を呼ばれて顔をあげれば、身体を起こしたリュシィが僕のほうを見つめてきていた。
「調子はどう? 起きて大丈夫?」
「はい。もうなんともありません。ありがとうございます。ずっといてくれたのですか?」
「うん。心配だったからね」
いくつか質問をしてみて、リュシイの体調は大丈夫そうだと、すくなくとも強がっているようには見えなかったし、熱もなく、顔色も良さそうだ。
「それじゃあ僕はそろそろ帰ることにするよ。代わりには誰か声をかけておくから」
「あっ……」
そう言って立ち上がろうとすれば、服の裾を摘ままれた。
「あっ、えっと、その……」
なんだか戸惑っているようなリュシィは、ややあってから、消えそうな声で。
「あの、今日は、もう少し、そこにいてくれませんか」
普段は絶対聞けないような、可愛らしいお願いに、僕はもちろん、頷いた。




