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リュシィとコンクールと式典と 8

 念のため、医者には来てもらうように、とは頼んでおいた。

 必要はなさそうだけれど、素人考えでは危険な場合もあるし。僕は今の部に勤める際、一応の救命講習というか、そんな感じのものを受けはしたけれど、所詮はその程度だからな。

 治癒魔法はもちろん使えるけれど、疲労とか、緊張とか、そういう精神的なものは治せないし。

 

「……よし」


 思い立ったら早いほうが良いだろう。

 ちょうど部屋から出てきた人に声をかけ。


「すみません。一旦、外に出させてもらいます。すぐに戻ります」


 それからセストにも目配せをすれば、わかっているという風に手を挙げられた。

 ローツヴァイ家の御屋敷を出てすぐ、無人のリニアカーを捕まえて、目的地――魔法省の寮――の住所を入力する。

 局で使うものではなく、サイレン的なものを鳴らすことはできないため、通常の法に基づいた速度でではあったけれど、それほど渋滞がひどいということもなく、普段の往復と同じくらいの時間で――もちろん、いろいろと準備していた時間は考えないものとして――往復することはできた。

 荷物を持ってローツヴァイ家の御屋敷に戻ってきてみれば、すでにユーリエとシエナのふたりも無事に到着していた。


「どこへ行っていたのよ、レクトール」


 なんで傍を離れたりしたの、とベッドの隣から非難するような瞳を向けてくるシエナに。


「着替えとか、必要なものを取りにね」


 持ってきたバッグを掲げてみせる。

 今はシエナたちがいてくれているけれど、夜には帰るだろうし、多分、リュシィは口が裂けてもそんなことを言ったりはしないだろうけれど、誰かに傍にいて欲しいと思うはずだ。

 もっとも、僕の願望に過ぎないかもしれないけれど。


「……そうね。レクトールがいたほうが良いかもしれないわね」


 そこで、緊張が解けたのか、誰かの腹の虫が鳴いた。

 この場には、僕とセスト、ユーリエとシエナ、それから眠っているリュシィに加えて、付き添ってくれている使用人のかたがいらっしゃるけれど、あえて詮索はするまい。

 リュシィの演奏時間は、丁度お昼前だったからな。

 

「皆様、まだお昼のお食事をとられてはいらっしゃらないのでしょうか。少しお待ちいただければ、ご用意いたしますが」


 正直、あまりリュシィの傍を離れたくはなかったから、その申し出はありがたいものだった。


「あ、あの、私にもお手伝いさせて貰えませんか」


 そう言って立ち上がったのはユーリエだ。

 リュシィのことが心配だろうに、良い子というか、真面目というか。

 

「ユーリエ様。お客様にそのようなことはさせられません。お気持ちはありがたくお受け取り致しますが、どうか、私共の代わりにお嬢様の隣に付き添っていてはいただけますでしょうか」


 そこまで言われたら引き下がるしかなかったようで、ほんのわずかに残念そうな感じを滲ませながら、ユーリエは椅子に座り直した。


「ぅうん……」


 程なく、ベッドのなかで身じろぎした後、リュシィがゆっくりと瞼をあげる。


「リュシィ。よかった。気がついた?」


 ベッドの縁から、乗り出さないように、顔を覗かせる。


「ここは、家でしょうか?」


「うん。覚えているかわからないから説明するけど、コンクールのステージでリュシィが一曲目を演奏し終えて、二曲目に差し掛かったところで倒れたから、そのままローツヴァイ家の御屋敷まで運ばせて貰ったよ。コンクールと、式典のほうは辞退するように、もう連絡済みで、ウァレンティンさんとターリアさんにも報告はしてあるから」


 ここへ向かう車の中でも説明したことを、大雑把に繰り返し説明すると、そうですか、とリュシィは上体を起こし。


「レクトール。それから、ユーリエ、シエナ、セストも、ご心配をおかけしました」


「まだ寝てたほうがいいよ、リュシィ」


「そうよ。もうすぐ、お昼を運んできてもらうけれど、その調子なら食べられそうね」


 シエナが内線をとり、リュシィの目が覚めたことと、食事をひとり分追加することを頼む。


「でもよかった。大事にならなくて」


 ユーリエがベッドの傍らに膝をついて、リュシィの手を包むように握り込んだ。


「お医者様には来てもらっていないけれど、レクトールや兄様の見解では、疲労が溜まっていたのが原因ですって。ひとりでいろいろと背負い込み過ぎなのよ」


 シエナは腕を組み、非難というには随分、優しさの含まれた声をかける。

 

「その格好なら、使用人の方達がやってくださったものだよ。その間、僕とセストは廊下に出ていたから」


 ステージに立った際のドレス姿ではなく、緩い、寝間着姿を見下ろすリュシィに、誤解を与えないよう、説明しておく。

 

「リュシィ。コンクールや式典のことなら気にしないで。気持ちが沈んでいると、回復が遅くなるというし、本当は朝の時点で気が付いていたのに注意しなかった僕のほうにも責任はあるから」


「あら、それなら、私だって同じことよ」


 僕とシエナがそう告げたけれど、リュシィの表情はあまり晴れたとは言い難かった。

 まったく気にするなというほうが難しいかもしれないな。責任感も強い子だから。

 そこで扉がノックされ、僕たち五人分の食事が運んでこられる。少し遅めの昼食だ。


「リュシィ食べられそう? ふーふーしてあげましょうか?」


 シエナが尋ねれば、リュシィは大丈夫ですと断り、ベッドに渡すようにかけられた台の上に置かれたお皿から、自分で口に運んで食べていた。

 一曲とはいえ、ステージに出て演奏したのだから、カロリーを欲しているだろうけれど、病人(病気ではないけれど)ということもあり、内容としては軽めだった。

 静かに食事を終え、リュシィには寝るように告げてから、揃って部屋を後にする。


「大丈夫そうね」


「うん。急に倒れたときはどうなるのかと思ったけど」


 女の子ふたりが顔を見合わせて、僕は式典のほうで警護に当たっているオンエム部長のほうに連絡を入れる。

 とりあえず、リュシィが出られなくなったことによる問題はなさそうで――代理はすぐに立てられたらしく――ひと安心といったところだ。

 ついでに言えば、例のあの人の姿は、やはり、わずかに目撃情報が上がったみたいだけれど、直接的ななにかが行われたという報告はなかった。

 リュシィが出なかったからなのか、それを素直に喜ぶことはできないけれど、とりあえず、リュシィには問題なかったと報告できそうだ。

 もっとも、自身が出られなかったからうまくいったと聞いて、リュシィがどう思うかは……さすがに穿ち過ぎかな。なにもなかったのなら、それで安心してくれそうだ。

 

「こっちは心配しなくていいから、おまえはしっかり傍にいてあげろよ」


 そんな風に言ってくれる上司に、画面越しに頭を下げつつ、通話を終え。


「どうだって?」


「うん。あっちも無事に、つつがなく進行したそうだよ」


 一応、セストは部署が違うから警備の担当ではなかったはずだけれど、伝えてはおく。もし、リュシィが倒れなければ、一緒に来ていたはずだから。

 

「そうか。お嬢さんの晴れ姿を期待していたお偉いさん方には悪いが、こっちとしては、結果的に安心できたってことだな」


「そうだね」


 リュシィの晴れ姿を期待していたお偉いさん方、というセストの言葉に含まれる意味を理解して、うんざりとした気持ちにもなりかけたけれど。

 

「まあ、これが吉と出るか凶と出るかは、わからないけどね」


 いっそ、大舞台で、皆が警戒している中に事を起こしてくれたのなら、すくなくとも、リュシィたちの安全は僕たちで守れそうだった。来るとわかっている脅威なら、対処もしやすい。

 これで、僕たちの目のないところ、たとえば、昔のように登下校中を狙われるとか、予想できない場面のほうが、警戒は大変だからな。



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