隠し味は恋のスパイスです 6
「ふたりとも、凄いところの生まれなんだなってことは、なんとなく知ってはいたんですけど、あんなに大きいなんて予想以上でした」
ユーリエのそれは、純粋に驚いているという感じで、他の感情――取り入りたいとかそういった類のもの――は一切見受けられなかった。
僕もそうだけど、庶民とはかけ離れた世界だからな。そもそも、そういう風な考えを持ったりはしないのだろう。
リュシィやシエナたちと深く関わりを持つようになってからは、そういった階級(この言い方もあまり好きではないけど)の人たちとも多少は縁ができはしたんだけど、寄ってくる大人たちが子供であるリュシィたちにまでおべっかやらなにやらを使うところを見て――見飽きているので、ユーリエのような好意を見るのは、かなり新鮮で、嬉しいものだった。
「本当だよね。僕も初めてのときはかなり驚いたよ」
初めてリュシィに連れられてあのお屋敷に行ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。むしろ、忘れることなんかできない。
予想しなかったわけじゃなかったけど、あまりにも予想以上過ぎだった。
「なんだか、住む世界が違うというか、クラスでのあの様子も納得というか」
リュシィたちのクラスでの様子を、そこまではっきりと把握していたわけじゃないけれど、同じクラスのユーリエは、いろいろと感じていたことだろう。友達とまでの仲ではなくとも、その雰囲気は。
多分、今日、僕のことを尋ねるためにふたりに話しかけたのにも、相当勇気が必要だっただろうことは、想像に難くない。いくら同学年とはいえ、だ。
それでも、僕の希望としては。
「でも、私はこれからもリュシィとシエナと、仲良くできたらいいなと思っています。ダメでしょうか?」
「全然、そんなことはないよ。むしろ、この先もふたりから離れてゆかないで欲しいって、僕のほうからお願いしたいくらいだよ」
リュシィも友人の多いほうじゃない。シエナは、群れるのは好きじゃない、なんて言っているけど、本当に親しい友人は少ないことだろう。リュシィだけってことはないだろうけど、友達百人なんてことは絶対にないはずだ。
ふたりとも、良い子なんだけど、如何せん、遠巻きにされがちだろうから。
それに、それだけじゃなくて。
「ユーリエはクラスに他の友人もいるよね?」
「いますけど、どうかしたんですか?」
その友人が良い子たちだったらいいなと願いつつ。
「なにかあったら、僕を頼ってくれていいからね。あーっと、宿題でわからないことがあったり、魔法省を見学したいとかでも、なんでも」
あんまり話過ぎると、逆にぎこちなくさせてしまう。リュシィたちとの関係がとかではなく、普通に、ユーリエが学院生活を過ごすうえでのことだけど。
心配し過ぎかな、と思わないでもないんだけどね。でも、なにかあってからじゃ遅いこともあるから。
「ありがとうございます。そのときはぜひ、頼らせてくださいね」
当時、高等科だった僕ですら、多少は僻み……でもないけど、やっかみというか、そんな風に感じたこともあった。それなら、もっと幼い初等科ならどうなるのかというのは、想像に難くない。
いや、初等科でのリュシィたちに対する感情を完全に理解しているわけでもないから、想像の部分は多いんだけど。
「レクトールさん? なにか考え事でもお有りだったんですか?」
変な表情でも浮かべてしまっていたのか、どうも、ユーリエを心配させてしまったらしい。
いかん。僕のほうがそんな不安の種を蒔くようなことをしてどうする。
「いや。今日の夕飯のメニューをね」
そんな風に言って誤魔化した。まあ、我ながら、雑だとは思ったけど。
「うちはお母さんが、今日はお魚だって言ってました。レクトールさんはひとり暮らしなんですよね?」
「そうだね。もう慣れたけど」
僕は実家じゃなく、魔法省の寮でひとり暮らしをしている。
家に負担をかけないためにというのもあるけど、慣れてしまえば、ひとり暮らしのほうがいろいろと融通が利くというか、楽で助かっている。
「あ、あのっ、よかったら、今度、レクトールさんのところにお邪魔しても構いませんか? お礼にお食事のお手伝いでもしますから」
それともうちに来てくださっても、なんて、ユーリエが思い切ったような表情で告げてきて。
「ありがとう。でも、今日もクッキーを貰っちゃったし、とってもおいしかったから、そんなにお礼とか、もう十分だから気にしなくても大丈夫だよ」
「いえ。こうして送っていただいているお礼です」
そんなこと、気にしなくてもいいのに。というか、気にする必要なんて全然ないのに。
でも、まあ、好意から言ってくれていることは感じられたし、どうしても断らなくてはならない理由もない。今日のお礼みたいな――たとえば、クッキー程度なら。
そもそも、お礼を求めての行動ではないんだけどね。
しかし、それでユーリエの気が済むのなら。僕だって拒絶したいなんて気は全くないし、むしろ、ありがたい申し出ともいえる。
「そう? ありがとう」
実際、あのクッキーはおいしかったし。
でも、無理はしなくていいからね、とは伝えておく。
「そんな。無理なんてことはありません。私、お菓子作ったりするのも好きですから」
それはわかる。いや、あのクッキーの味を知っているから、今日わかったといったほうが正しいのかもしれない。そんなに差はないだろうけど。
ユーリエの自宅は、一見、普通の一軒家だった。
住宅街の一角という感じで、僕の実家とも大差はない、というと失礼かもしれないけど、リュシィやシエナたちのような豪邸ということはなかったので、内心安堵したのは秘密だ。
ユーリエの案内で辿り着いたころには、周囲も暗くなり始めていた。
だからということもないだろうけれど、ユーリエの自宅と案内された民家の前の道路には、ユーリエとよく似た感じの、女性が出てきていた。
身長はユーリエよりも高く、同じ金の髪も、腰のあたりまで伸ばされている。
その女性は、目の前に車が停まったことを不思議に思った様子ではあったけど。
「ただいま、お母さん」
ユーリエが姿を見せれば、ほっとしたような色が顔に広がったのが見て取れた。
「おかえりなさい、ユーリエ。遅くなるときには連絡しなさいって言ったでしょう。心配したのよ」
そう優し気に微笑む母親に、ユーリエは、ごめんなさい、と謝っていた。
「でも、リュシィやシエナとも一緒だったし、レクトールさんに送ってもらったから」
そこで、ユーリエの母君の視線が僕を捉える。
今のユーリエの説明では、かなり不足があるだろう。誘拐犯に思われても不思議はない。まあ、それで通報されればされたで、僕の身元は紹介して貰えるんだろうけど、されたいとは思わない。
「お初にお目にかかります、御婦人」
敬意を込めてお辞儀をし、社員証を取り出して身元を明らかにする。
こんなものがどこまで信用に値するかって問題はあるけど、それを考え過ぎても仕方のないことだ。
「僕――私はレクトール・ジークリンドと申します。ユーリエさんは、今日、御友人と一緒に魔法省のほうを訪ねていらしたのですけど、このような時間になってしまいましたので、僭越ながら、送りのドライバーを務めさせていただきました」
「え、あっ、はい。それはどうも、こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ユーリエの母君は、少し戸惑ったような様子ながらも、そんな風にぺこりと頭を下げられ。
「迷惑などということはありません。私のほうが勝手に言い出したことですし、むしろご心配をおかけしてしまったことを、お詫びしなければなりません」
ここまで心配させてしまうのならば、先に家庭へ連絡は済んでいるのかどうかの確認はしておくべきだった。
「じゃあ、またね、ユーリエ」
リュシィやシエナと友達のこの少女とは、この先も会うことになるだろうという予感はする。
というより、僕が魔法省に勤めていて、この子たちが学生である以上、一定以上の確率では、遭遇することにもなるだろう。
「はい。またです、レクトールさん」
笑顔を浮かべたユーリエは、バックミラー越しで確認する限り、というより、確認できる限り、見送りに出て手を振ってくれていた。