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リュシィとコンクールと式典と 6

 僕たちの席は、舞台を見て左側の二階ボックス席。

 扇形にせり出すように設置されているその席は、ピアノに詳しい人からすれば、かなり人気の席らしい。

 弾いている指の動きを見るのなら最高の位置だし、ピアノに反射している演奏者の表情もうかがうことができる。

 まあ、僕はほとんど、弾くことなんてできないから、良い席と言われてもよくわからないし、他にとりたかった皆さんすみませんという気持ちが沸くわけなんだけれど。

 とにかく、その席に僕たち四人は並んで腰を下ろす。

 出演するわけじゃないから控室には入れないし、花束は今貰っても困るだけだろうと考え、僕たちと同じように、並べてくれた椅子に飾っている。

 

「こっちまで緊張してくるよ……」


 照明が落とされ、ステージの上にだけライトがあてられるようになると、手に握る汗を誤魔化すようにズボンで拭った。

 

「お嬢さんが自分で大丈夫だって言ってただろ? それなら大丈夫じゃねえか?」


 たしかに、リュシィは嘘をつくのは嫌いだから、嘘をつくことはない。

 大丈夫だというのなら、大丈夫ではあるのだろう。 

 ただし、大丈夫だというのと、無理をしていないというのは、この場合、必ずしもイコールで結ばれるわけではない。


「そうだと思う……いや、普通ならそのはずなんだけどね」


 やっぱり、ユラ・ウォンウォートが式典に参加するだろうという情報は、教えないほうが良かったのかもしれない。

 諜報部に所属する身として、たとえそれが良いものでも、悪いものであっても、情報というのは、知っていたほうが良いものだと思っている。

 だからこそ、リュシィにも式典の情報を教えたわけだけれど、早計だったのだろうか? 秘密裏に周辺、および会場を警護、警戒していたほうが正解だった?

 いまさら考えたところで、まさに後悔だ。

 席に座り、待つことしばし、定刻どおりに場内アナウンスが流れる。客席に座った人たちが拍手をするのに倣って、僕たちも手を叩く。

 とはいえ、プログラムを見ても、リュシィ以外に知っている名前があるわけでもない。

 何度か、こんなコンクールとか演奏会なんかで聴いている人もいるのかもしれないけれど、申し訳ないけれど、覚えてはいなかった。

 しかし、さすがにコンクールに出るような子たち。誰でも知っているような有名な曲を演奏する人もいれば、かなりマイナーなものまで、そのどれも、本当に初等科生なのかと瞠目させられる演奏ばかりだ。そんなこと、僕に言われたくはないだろうけれど。

 小さい、一年生なんかは目一杯手を開いて指を伸ばしているところに微笑ましさというか、頑張れ、という気持ちを覚えたし、高学年でも、普段はしていないおめかしに慣れていないのか、緊張している子――中には、創作なんかに出てくるような、両手足が同時に出ている子も本当にいた――にもエールを送りたくなった。

 知り合いとか、知り合いではないとか、関係なく、どの子にも目一杯の拍手を送る。

 ちょっとひっかかってしまったり、あるいは超技巧の曲を弾ききったり、コンクールにも関わらず、本当に楽しんでいることが伝わってくる演奏だったり。

 出演者によってさまざまだったけれど、皆、一種懸命練習したんだなというのは、十分過ぎるほどに伝わってきた。

 そんな感じで、素直に感動を受けながら、演目は進み。


「プログラム三十一番、リュシィ・ローツヴァイさん」


 午前最後の出演者であるリュシィの名前が呼ばれ、透き通るような薄紫のドレスを纏ったリュシィが、綺麗な姿勢でステージに姿を見せれば、割れんばかりの拍手が沸きあがり、もちろん僕たちも思い切り手を叩く。

 一礼したところでさらに拍手が起こり、リュシィは静かにピアノの前の椅子に座り、高さと位置を調節した。

 最初の曲は、ヴィリア・ランデルバルドなどという名前の人の協奏曲だということらしく、ものすごくテンポの速い超絶技巧の曲だった。

 最初にシエナがわずかに眉を動かしたのがわかった以外は、ずっとステージの上のリュシィに目が釘付けだった。

 リュシィが弾いているからなのか、直前までの人よりも、ステージまでの距離が近く感じられる。

 音のひとつひとつが、胸の奥に深く響いてくる。

 リュシィのコンクールに出るところを見たことがないわけではないけれど、何度目かなんて関係なく、感動するものは感動するものだ。

 

「今、繰り返しを飛ばしわ」


 シエナがポツリとつぶやいた。

 演奏中だから、それは本当に小さな声だったけれど、同じボックス席に座っている僕たちにも聞こえないということはない。

 

「本当なら、今の曲はあそこで繰り返すはずなのよ。もちろん、そのまま弾ききる場合もあるし、間違っているということではないのだけれど、リュシィにしては変ね」


 どちらかと言えば、リュシィには完璧主義のきらいがある。

 そんなリュシィが、短いパターンを選んだことに、シエナは違和感を覚えたらしい。というか、シエナもこの曲を知っていて、弾けたんだね。

 演奏中に端末を弄るなんてことはできないし、シエナの発言の正誤が確認できるわけではないけれど、こんなところで嘘をつく理由もないし、意味もない。


「どういうこと、シエナ」


 僕たち、他の三人の疑問を代表したようにユーリエが尋ね。


「リュシィはなにか、急いでいるみたいね」


 それってどういう――という質問をする必要はなくなった。

 リュシィはそのまま曲を弾ききり、ひと拍おいてから、会場内に、先程のものに倍する拍手が沸き起こる。

 その歓喜のまま、リュシィは二曲目に移り。

 やたらと長い一音――を鳴らしたのち、倒れるようにして、椅子から崩れ落ちた。


「リュシィ!」


 間髪入れず、僕はボックス席から、ざわめきや悲鳴を上げる人を無視して、舞台上に降り立つと、そのままドレス姿のリュシィを抱きかかえる。

 触れただけでわかる。

 

「なんで……」


 リュシィの身体は熱を帯びていた。

 こうして触れただけでわかるほどの高熱だ。

 駆け寄ってくる司会者に、


「体調不良により、リュシィの以後の演奏は辞退いたします」


 腕の中で荒い息を繰り返すリュシィが、なにか言いたげに僕の服の裾を弱弱しく掴もうとしてくるけれど、そこまで腕が動かない。

 本当に、朝普通に見える程度に強がれていたのが不思議なほどだ。

 いや、兆候はあった。しかし、それに深く立ち入らなかった僕の責任だ。

 ご両親がいないのだから、身内と言ってもいいだろう、僕がしっかり見ていなければいけなかったのに。


「セスト! 車回して!」


「おう!」


 客席の上に向かって叫べば、即座に返事があり。


「失礼いたします」


 僕はリュシィを、俗にお姫様抱っこと呼ばれる格好で抱きかかえ、客席の間を真っ直ぐに出口まで駆け抜ける。

 もちろん、最大限、揺らさないよう注意した。当然、魔法――固定、加速、飛行、その他――を併用してだ。

 

「いつから?」


 エントランスに向かいながら腕の中のリュシィに尋ねる。

 

「……朝から、すこし」


 答えが返ってくることを期待していたわけじゃない。むしろ、黙ったまま休んでいてくれたらよかったけれど。


「なんで言ってくれないの」


 それほど信頼がないのだろうか。


「……言ったら、レクトールは止めるでしょう?」


「止めるに決まっているだろう」


 僕だけじゃない。誰だって止めるはずだ。

 そうだ。


「家の……ローツヴァイ家の使用人の方達は?」


 会わなかったはずがない。

 ご両親は出張中でも、リュシィ以外にも、人はいたはずだ。


「それは……」


「ああ、いや、やっぱりもういいよ。無理にしゃべろうとしないで。聞いておいてあれだけど」


 一分も待たず、僕とユーリエの前にセストの運転する車が停まる。

 僕とリュシィが乗り込んだところで、すぐに発進させられた。


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