ふたりの馴れ初め? 9
「そうか……そんなことが」
聞き終えたウァレンティンさんは、考え込むように顔の前で両手の指を突き合せた。
「私はなにも、まったく知らない相手と話しをしたわけではないんだよ。彼――ユラくんの父親であるライ・ウォンウォート氏とは、会社を持つもの同士、少しばかり縁もあってね。しかし、私も見る目がない。まだまだ修行不足といったところかな」
そうは言っても、すでにユラ・ウォンウォートは親の手を離れているようだし、今回の件の責任を求めるのは、違うだろう。
それに、向こうは表向きちゃんとした、会社なんかも経営している社会人なんだから、そんな程度の常識はあるだろうと考える(本当は考えるまでもないのだろうけれど)のは、仕方のないことだとも思う。
まあ、シエナの言ったとおり、リュシィの意見をちょっと聞いてみるくらいはするべきだったのではないかと、第三者的な僕に言わせて貰えれば、そんな感想も出てくるけれど。
「そもそも、小父様はどうしてリュシィの婚約者なんてこんなに早く選ぼうとしているのよ。リュシィのことを思っているのはわかっているけれど、それにしても、まだ私たち、九歳よ?」
まあ、婚約者という関係だとしても、平均的な結婚年齢からすれば、まだ早すぎると言えるのは確かだ。結婚可能年齢にすら、まだまだだというのに。
もちろん、似たようなことは相手方――ウォンウォート家にも言えることで、政略結婚にしたって、こう言っては悪いけれど、ローツヴァイ家がその数年後まで持つかどうかもわからないのだし、他に丁度いい相手はいなかったものか。
「まあ、他にも理由はあるのだけれど」
そうして、ウァレンティンさんは、結構な厚みの封筒を取り出した。
「それは?」
シエナが受け取り、中身を引き出したので、僕たちも数枚貰って目を通す。
珍しい、紙の資料であり、顔写真付きのプロフィール表、履歴書のようなものだった。
「もしかして……」
なにか思い浮かぶことがあったらしいシエナが確認するように顔を上げれば、ウァレンティンさんは頷かれて。
「シエナちゃんの思ったとおりだよ。それらは全て、リュシィに婚約を申し込んできた相手のプロフィールさ。本当は燃やしてしまおうかとも思ったのだけれど、それはターリアに止められてしまってね」
笑顔を浮かべるウァレンティンさんとは対照的に、リュシィの表情はさらに険しいものになってゆく。
「僕のほうでもいろいろと断りはしていたりもするんだけれど、断り切れなかったというのも本音かな。もちろん、さっき言った理由も本気のことだけれどね」
まあ、これだけの数になるとなあ。
関係のない、ある種気楽な僕だってちゃんと見る気が起こらないというのに、リュシィなんて、手に取ろうとすらしなかった。
「世の中、幼女趣味の人たちばっかりなのね」
シエナがうんざりした様子で溜息をつく。
まあ、リュシィは可愛いから、男である僕としては、彼らの気持ちもわからないでもない。とはいえ、実際に手を伸ばそうとは思わないけれど。
「こんなどこそこの会社だとか企業、グループの跡取りだなんだなんてことで偉ぶっている人には興味ないわね。リュシィもそう思わない?」
シエナの問いかけにリュシィが答えを告げるまでもなく、ここに書かれているような人たちに興味はまったく無いのだということは、雰囲気から察することはできた。
「そうですね。今は、まったく実感も湧きませんし、なんとも言えませんが、相手のことをよく知りもせず、こんなことを言いだすのには、まったくもって理解できません」
まあ、今の段階では、リュシィの性格とか、そういうことには一切構わず、容姿と、後ろ盾とでもいうべきか、ローツヴァイ家の資産が目的だと取られても文句は言えないだろうからなあ。リュシィやシエナもそうかもしれないけれど、私たちをなんだと思っているのか、というのが本心に近いところだろう。
シエナも、そのとおりね、なんて同意を示している。
もちろん、それが現実的なことだとわかってはいるけれど、女の子にとってはそれよりももっと重要なこともあるのだということらしい。
「まあ、いまさら花束を持って挨拶に来たところで、私はあのユラ・ウォンウォートって人のことを許したりはしないけれど」
シエナは厳しかった。
「それにしてもモテモテね、リュシィ。羨ましいわ」
ちっとも羨ましいとは思っていないような声で、シエナがにっこりと微笑む。
というか、シエナだって似たようなものなんだから、羨ましいもなにもないとは思うんだけれど。
「なに言っているのよ、レクトール。私はリュシィみたいに、こんなに熱烈な男性からのアプローチを受けたことはないわよ。ねえ、兄様」
確認するように顔を向けられたセストは、どこか遠い目をしていて。
「もしかして、お父様が全部握りつぶしているだけなんていうことはないでしょうね?」
ウァレンティンさんでも断り切れないということがあったのだから、つまりは断れないだけで申し込み自体はかなりあったのだから、似たような立場のシエナに対しても、同じようなアプローチがあったとしても不思議ではないと思う。
僕にしてみれば、ローツヴァイ家とエストレイア家の違いなんて、ほとんど意識すらできないようなレベルなんだし。
答えを知っていたのか、それとも知らなかったのか、真実は不明だけれど、とにかく、その質問にセストが答えることはなかった。
「見た目が良いというのも、良いことばかりじゃないのね」
世の中の多くの人たちを、男女問わず、敵に回すような発言をしたシエナは、それでも、嫌みっぽさは感じなかった。
シエナ自身、夜空を切り裂いたような黒髪に月のような金の瞳の、類まれな美少女だからだろうか。それとも、その生意気そう……じゃない、えっと、異性からみたときの抗えなさそうな雰囲気というか、魅力というか、そんな感じの性格ゆえだろうか。
「もしかして、口説いてるの、レクトール」
「えっ、全然、そんなことはないよ。いや、別に、シエナが魅力的じゃあないということではないけれど」
友人の妹を、その当人の前で口説くとか、そんなことはしない。
ええっと、としどろもどろになりながら弁明する僕を、シエナは楽しそうに観察していて。
「そうねえ。レクトールならいいかもしれないわね。リュシィの婚約者でも」
急になにを言い出すのだろう、この子は。
しかし、シエナはそんな冗談を言うような子じゃ……いや、結構人をからかったり、冗談を言ったりするのは好きな子だな。
「なにを言っているのですか、シエナ。そんなこと、勝手に決められるはずがないでしょう。さっき、当人の気持ちが大事だと、あなたもそのようなことを言っていたではないですか」
そう言ったリュシィと、僕の顔を見比べたシエナは。
「リュシィはレクトールじゃ嫌なの?」
「嫌とか、そういう以前の問題だと言っているんです」
「だって、レクトールはリュシィと初対面だったにもかかわらず、味方して、あの人たちを追い払ったじゃない。普通、関わり合いにならないようにって、逃げだすと思うわよ」
そうかな?
目の前で女の子が困っているとか、襲われそうになっていたら、普通、逃げ出すよりも助けに入ると思うけれど。
「じゃあ、レクトールのほうは、リュシィになにか不満でもあるかしら。まあ、多分、胸は膨らまないかもしれないけど、それだってまだ、今後に期待というところよ?」
そんな答え辛くなるような補足説明はいらないから。




