隠し味は恋のスパイスです 2
「彼女? シエナ、彼女ってなんのこと? シエナはレクトールさんとお付き合いしていたの? さっきも正妻がどうこうって言ってたけど」
今さら注意しようとしても、すでに吐き出されてしまった言葉をなかったことにすることはできない。
僕がシエナの口を塞ぐよりも早く、ユーリエがシエナに質問してしまっていた。そもそも、塞ぎたかったのは、彼女の前で、という言葉のほうなので、焦ったところで意味なんてなかったんだけど。
「いいえ。私じゃないわ」
シエナの悪戯っ子のような視線がリュシィを捉え、それを追うような形で、ユーリエの視線もリュシィへと向けられる。
「私もリュシィも、レクトールとは家族ぐるみのお付き合いをしているの。よかったらユーリエも混ざる?」
言っていることは正しいんだけど、シエナが言うと、なんというか、いちいち誤解を与えそうな言い方になっているように聞こえるのは穿ち過ぎだろうか? いや、完全に誤解ってわけでもないんだけど。
しかし、シエナの性格上、本当にそうして楽しんでいるという線のほうがあり得るのではと思えてしまう。
「なんだ、そういうことか。びっくりしちゃったよ」
ユーリエはほっと溜息をついて。
「じゃあ、リュシィとレクトールさんは、別に、お付き合いしているってわけじゃないんだね」
自分の中で納得したらしく、また無邪気な笑顔を浮かべている。
多分、この場合にユーリエが言っているお付き合いというのは、男女のそういう関係のことだと思うんだけど。
たしかに、一般の人が思い浮かべるようなお付き合いというのは、僕とリュシィの関係性を表す上では不適当かもしれないけど、ここで黙ったままでいるのは不誠実なようにも思える。
「実は、僕はリュシィの婚約者ってことになっているんだ」
これは別に秘密でもなんでもないし、ここの職員なら誰でも知っていることだ。
今ここで僕が話そうと話すまいと、魔法省を利用していれば、いずれ勝手に耳に入ってしまうことだろう。特に、ユーリエがリュシィやシエナの友人だというのならなおさらだ。
「えっ! そ、そうなんですか……」
ユーリエは驚いた表情を浮かべた後、しゅんとしたみたいだったけど、すぐにまた顔に疑問を浮かべる。よく表情のかわる、感情表現が豊かだって言えばいいのかな。リュシィとは正反対だな。
「あれ? でも、ことになっている、というのはどういうことですか?」
そして、失礼かもしれないけど、存外に鋭い。
しかし、詳しい話などできるはずもないので。
「そのままの意味だけど。なにか不思議に思うところがあったかな?」
僕とリュシィは、今のところ、婚約者ではある。それは間違いがない。
この場にいる、ユーリエ以外の、僕を含めた三人は真実を知っているけれど、それは決して他人に明かすことはできないから。
「いえ。なんとなく、引っ掛かるような気がしたんですけど、やっぱり、なんでもありません」
そう、ユーリエは諦めてくれたけど、子供の好奇心というのはなかなかに恐ろしい。これ以上突っ込まれなくて、御の字といったところだ。
「そう? 言いたいことがあるなら、なんでも聞くよ。もちろん、僕に答えられることにも限度はあると思うけど」
内心の安堵を隠しつつ、僕は笑顔を浮かべた。
「盛り上がっているところをすみませんが、私はそろそろ。稽古の時間に間に合わなくなりますので」
そうリュシィが立ち上がる。
最後に僕のほうへと一瞥くれたけど、なんとなく、その顔が怒っているようにも見えたのはなんでだろうか。
やっぱり、少しでも疑われるような言動をしたからかな? しっかりとその務めを果たせということなのかもしれない。
「もう遅いし、送ってゆくよ」
遅いとはいっても、この時期だし、まだ夕方くらいかなとは思うけど。
「あら、ありがとう。気が利くじゃない」
それじゃあ、行きましょう、とシエナが立ち上がった僕の腕にぎゅっとしがみついてくる。
肘のあたりに、初等科六年とは思えない膨らみを押し付けてくるけど、やはり、先程と同じで僕は気にしていない。というより、シエナの目的は僕たちの反応を見て楽しむことなので、反応したらシエナの術中ともいえる。
まあ、しなかったらしなかったで、それでもシエナは悪戯っ子のように微笑んではいるんだけど。
「そ、それじゃあ、私も……えいっ」
「ちょっ、ユーリエ?」
シエナに触発されたってことでもないだろうけど、反対側の腕をユーリエも、こちらはそっと抱きしめるようにだけど、くっついてきて。
シエナの行動は、ある意味、予想通りだったけど、ユーリエのことは予想できなかったというか、そもそも、出会ったばかりなので予想なんてできるはずもなく、僕は焦ったような声をあげてしまう。
こっちを振り向いたリュシイの顔が、なにか言いたげにも見えたけど、結局なにも言われたりはしなかった。
普通であればそこまでで、このまま平穏に過ぎてゆくのだろうけど。
「見て、レクトール。リュシィったら、自分の婚約者が目の前で他の女に誘惑されているのに、無視よ、無視。ちょっと薄情だと思うでしょ、レクトールも」
薄情とか、そういうことじゃなくて、リュシイは気にしてないだけだと思うけどな。
リュシィが本心から望んでこの立場にいるわけではないんだし、とりあえず、今のところ、形だけ保っていれば。
「可哀そうなレクトール。私が慰めてあげるわ。だから、今夜家に遊びに来て」
なにが可哀そうなのか。
というか、シエナは事実を知っているよね? 知っていて楽しんでいるんだろうけど。
「ほら、ユーリエも。お礼がしたいって言ってたじゃない。真心込めたクッキーをあげただけで満足?」
さらに、ユーリエのほうまで煽るようなことを口にする。
「ふたりで、婚約者に蔑ろにされているレクトールをもてなしてあげましょう。いろいろと」
さすがに背後でこれだけ言われれば気にはなるのか、ちらりとだけ振り向いていたリュシィに、シエナは、どことなく色っぽい流し目を送る。
これ以上、煽って事態をややこしくしないでくれという僕の願いは、聞き届けられるはずもなく。
「シ、シエナがそういうのなら。レクトールさん。私も頑張ってご奉仕しますね」
ユーリエまで笑顔でそんなことを口にしだす。
いや、シエナに感化されないで。頑張るとか、そんな必要ないから。
「あんな冷たいリュシイのことなんて放っておいて、三人で楽しみましょう?」
なんで僕がシエナたちの歓待を受けることを確定事項みたいに言うの。
てゆうか、リュシィの反応をいちいち気にしないで。
「ほら、私ほうがリュシィよりいろいろと、レクトールを楽しませられると思うわよ」
すでに密着していたシエナが、さらに身体を押し付けてきたところで、リュシィの歩みが止まり、こちらを振り返る。
普段は冷静沈着で、真面目なしっかり者だけど、いや、だからこそ、自分の婚約者ということになっている僕が、他の女性に誘惑されるのは許してはおけないということだろうか。
ともかく、リュシイの中での許容できるラインを踏み越えたらしい。まあ、まだ初等科の、十一歳の女の子だからな。
「やっぱり、ダメです。他人に疑いを持たれるような行為を、認めるわけにはゆきません」
そういって、僕とシエナの間に割って入り、しかし、リュシイは僕の腕をとるような真似はしない。
「あら、私だけ? ユーリエのほうはいいの?」
差別じゃないかしら、と楽しそうに金の瞳を細めるシエナ。
まあ、リュシィの身体はひとつしかないからね。