隠し味は恋のスパイスです
リシティア王国、と一応名前はついているけれど、僕たちの暮らすこの国は完全に国王の独裁となっているわけじゃなくて、対等な関係の選挙制による議会制度と共に存在している。
それで、僕の所属しているのは、その議会の下に置かれている魔法省、その中の部署のひとつである軍事局諜報部、そこで調査官として汗を流す日々を送っている。
まあ、僕たちのところまで直接的な仕事が回されることは少なくて――警察で止まっているほうが治安的には良いんだけど――もっぱらの仕事は訓練と書類整理なんだけど。
「おっ、いたいた。おい、レクトール」
その日、訓練を終えて、シャワーを浴びてからデスクに戻ろうとしていたら、友人に声をかけられた。
セスト・エストレイア。
学院の頃からの腐れ縁であり親友だ。今は、同省の実験・開発局に勤めているはずなんだけど。
「こんなところでなにをしているんだい、セスト。もう今日の仕事は終わったの?」
僕のほうは、今日の勤務時間は終わって、後は日誌をつけてから帰る予定だったけど。
「いやー、新しいおもちゃ……ごほん、道具の実験してたらまた女子社員に壊されちまって、今、男全員で責任取って掃除させられてるとこ」
このセスト・エストレイアという男は、浅黒い肌に茶色みがかかったボサボサのショートヘア、そしてそれなりにイケメンなんだけど、基本的に欲望に忠実というか、エロや笑いに一直線というか、頭も悪くないんだし、もっとまともなことに使えばいいのにといつも思う、残念な友人だ。
念のために断っておけば、決して、友人であることが残念だという意味ではない。気さくな良い友人だ。
「また? 懲りないね」
まあ、凝りないもなにも、セストはそのために魔法省の実験・開発局に入るという執念すら見せつける奴だから、言っても仕方がないのはわかっているんだけど。
「やっぱり、服だけを溶かすスライムの生成は男のロマン――」
「それで、なにか用があったんじゃないの?」
セストの話を聞く気は――何度もされたことだし――まったくなかったので、強引に話に割り込んだ。
「おっと、そうだった。さっき、シエナがお嬢さんと、それから友達と一緒に来てな。お前を呼んできてくれって頼まれてた」
シエナというのは、セストの妹で、年齢は十一歳、やっぱり初等科の六年生だ。
エストレイア家もそれなりに――僕の家とは比べるまでもなく――お金持ちの家で、セストもシエナも、世間的には、十分にお坊ちゃまとかお嬢様とか呼ばれる立場ではあるんだけど、そのセストがお嬢さん、なんて呼ぶ相手は、僕の周りにはひとりしかいない。
まあ、セストがそう呼んでいるのは、敬意とかじゃなくて、単に、僕のことをからかって楽しんでいるからってだけだろうけど。
「わかったよ。応接室?」
シエナもあの子も良いところの御令嬢だから、ロビーとかじゃなくて、普段は応接室なんかに通される。
「いや。宿題でもしながら待っていますって、図書館にいるって言ってたぞ」
図書館か。
「どうかしたのか、レクトール」
昨日の出来事を思い出して、すこし物思いに耽ってしまっていたらしい。
「なんでもないよ。ありがとう、セスト」
もうすこし、片付けるべき仕事が残っていたけど、それはすぐに終わらせられるし、今すぐにやらなくちゃならないってものでもない。
それに、遊びにとか、見学とかじゃなくて、しっかり許可を取って面会に来て、こうして僕を呼びつけたんだろうから、待たせちゃ悪い。彼女たちだって、学院のこととか、家のこと、お稽古とかもあるだろうし。
一緒に訓練をしていた同僚と別れ、若干、服装の乱れを整えながら、図書館へ向かう。
この魔法省庁の図書館は広く、フロアをひとつ丸ごと使っている。
エレベーターでフロアを上がり、図書館へと向かえば、予想通り、目的の人物はすぐに見つかった。
「レディを待たせるなんて、偉くなったわね、レクトール」
最初に振りむき、金の瞳を楽しそうに細めて、小悪魔っぽく微笑んだのは、黒髪ロングのお嬢様、シエナ・エストレイア。セストの妹だ。
「このお代は高くつくわよ」
「私たちも今来たところですから、シエナの言うことを気にする必要はありません、レクトール」
耳にかかる長い銀の髪を払いながら、ぱたりと手にしていた文庫本を閉じたのが、リュシィ・ローツヴァイ。
ローツヴァイ家のひとり娘である、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ女の子だ。もちろん、実際にそんなことはなくて、学院でも慕われていて、家族仲も、今は、良好だったはずだ。
「あら。正妻気取ってるの、リュシィ。他の女の子と話すのも許せないなんて。ねえ、レクトール、こんな重い女とはさっさと別れて、私のところに来てくれてもいいのよ。いろいろサービスしてあげるわ」
そんな風に、僕にしな垂れかかるようにしながら、耳元でささやくシエナ。
リュシイと同じ学年だというのに、腕には、十一歳らしからぬ膨らみというか、やわらかいものが押し付けられる。
もっとも、シエナは本気なわけじゃなくて、ただ、リュシイをからかいたいだけなんだけど。
「いいや。シエナにそんなことはさせられないよ」
だから僕がいつものように笑顔で躱せば、やはりシエナもいつものように、頬を膨らませ――る演技をす――る。
「あら、レクトール。なんでそんなにつれないことを言うのかしら。私、いつだって本気よ」
そうだね。
いつだって、本気でリュシィをからかっているんだよね。
でも今日は、リュシィだけじゃなくて、もうひとり。
「あれ? きみはたしか、ユーリエさん、だったよね」
昨日、梯子から落ちてきた、肩にかかるくらいのふわふわの金の髪に青く澄んだ瞳の女の子、ユーリエさんが、ぱあっと顔を輝かせる。
「覚えていてくださったんですか! 感激です!」
そうして可愛い女の子に喜んでもらえるのは素直に嬉しいことだけど。
「そりゃあ、あれだけ衝撃的だったら、忘れるほうが難しいんじゃないかな」
なにせ、昨日の今日でもあるし、空から女の子が降ってくる、なんて、小説の中とかでしかみられないことを地でやってきたんだから。
「ユーリエがあなたにどうしてもお礼がしたいというので、連れて来たのですが、迷惑でしたか?」
リュシィの問いかけには首を振り。
「そんなことはないよ。仕事はあと少しだけだったから」
まあ、新人らしく、デスクでやらなくちゃならない仕事のほかにも、雑務やらはいろいろとあるのだけれど。
「あの、昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。これはその、つまらないものですけど」
ユーリエさんが学院指定鞄を開いて取り出したのは、丁寧にラッピングされたクッキーで。
「学院の調理室をお借りして作ったんです。お口に合えば嬉しいんですけど」
「わざわざ作ってくれたの? わあ、ありがとう、嬉しいよ」
本当は図書館では飲食は禁止なんだけど、僕はそっと包みを開いて、クッキーをひとつ摘まんで口へと運んだ。
わあ、このクッキー、美味しい!
口ざわりもまろやかで、甘過ぎもせず、かといって、物足りなさを感じることもない、絶妙の焼き加減だ。
「とっても美味しいよ。ユーリエさんはお菓子作りが好きなの?」
「はい。家でもよく母と一緒に。お口に合ったのならなによりです」
褒められて照れているのか、若干頬を紅く染めるユーリエさんは、はにかむように微笑んだ。
「それから、ジークリンドさん。私のことはユーリエで構いません」
「わかったよ、ありがとう、ユーリエ。僕のほうもレクトールで構わないからね」
そう告げると、ユーリエは嬉しそうに「はい、レクトールさん」と呼んでくれた。
「あら。彼女の前でナンパなんて、レクトールも隅に置けないわね」
ぎょっとするようなことを言うのは、もちろん、シエナだ。