『白い粉』 13
相手も魔法師だ。僕が障壁を解いたことはすぐにわかっただろう。
しかし。
「捕まえましたよ」
「なっ」
ポケットに突っ込まれた手が引き抜かれる前に、その手首を押さえることに成功する。
結界により範囲が限定され、その狭い空間の中でなら、認識阻害系の魔法であっても捕らえることはできたようだ。相手の魔法を破ったわけではないけれど、結果的に捕まえられたのだから、同じことだ。
そして、掴んだときには、続けてその手首を捻る。
相手がいまだに探知阻害の使用を切り替えないうちに、そのまま床に叩きつける。もちろん、手首は離さないままだ。
肉体的な能力は高くないようで、うめき声を漏らしたビザール・デヴァハは、立ち上がる様子を見せない。
「そのまま、両手を見える位置に出して、動かないでください。できることなら面倒は避けたいので」
意識を奪ってしまうと、たとえ車までであっても、護送が面倒になる。自分で歩いてもらうほうが圧倒的に楽だから。
しかし、僕が手錠を取りだそうとした隙を狙い、掴んでいた手を振りほどかれる。油断していたつもりはなかったけれど、結果的に騙された形だ。
「……先ほども申し上げたとおり、本来、今日、私がここへ来たのはあなたを捕まえるためではありません。他に、もっと大切な用事があったためです。ですので、早いところこちらには片を付けて戻りたいと思っているのですが」
通常であれば、こんな風に、こちらが焦っていること、時間がないことを知らせるのは、デメリットしかない。
焦りが伝われば、その隙をつかれるし、時間がないことを伝えれば、時間稼ぎにでられるかもしれない。まあ、今回の場合、増援を要請してあるため、後者の可能性は低いだろうけれど。
では、なぜ伝えたのかといえば、最後通告に他ならない。
これ以上は、こちらも制圧に本気にならなければなりませんよという、警告だ。
「まあ、そうおっしゃらず、付き合ってくださいませんか」
そして、こんな状況にもかかわらず、ビザール・デヴァハは余裕のありそうな笑みを浮かべている。ダメージによる苦痛はありそうなものの、それは決して、敗北を認める類のものではない。なにかを待っているような、そんな目だ。
すでにこちらは増援を要請しているし、場所も割れているはずだ。体力的にも敵わないだろうことは、今の攻防で分かったはず。
ならば、彼が時間をかけようとする意味はなんだろうか。
「そのような時間は……」
言いかけたところで、自分の感覚がずれているような感じを覚える。
魔法の行使にも支障が出ているようで、自分で作った結界が消失しているのが感じられる。ただし、自分で障壁を形成している感覚はあるのにも関わらず、だ。
矛盾しているようだけれど、そう説明するしかない。
僕は結界を解除しているつもりはない。しかし、現実として、自分の真後ろにまで範囲を縮めていた結界が消失している。
「ようやく効いてきたみたいですね、その様子だと」
ビザール・デヴァハが自身の左手首を指さすので、僕も自分の左手首を確認してみると、小さくはあるけれど、なにか、針でも刺されたような跡があった。注射器だろうか。
「なるほど。魔法師に使用するとこうなるわけですね。概ね、実験結果のとおりだ」
自身の研究結果を確かめるようにつぶやかれたその言葉で。
「……なるほど。これが例の薬の効果というわけですか」
「優秀なんですね。理解が早い。私は至魔法師薬と、便宜的にはそう呼んでいますが」
魔法師でない人間が使うと、自身が魔法を使えるかのような幻覚を見る。
では、魔法がすでに使える魔法師が使うとどうなるのか。
さすがにそんな実験はうちでもやっていなかったけれど、効果のほどは、今、僕がその身をもって体感している。
要するに、魔法が使えている、という錯覚を覚えるわけだ。
自分では使えているつもりだから、感覚がずれていることに気が付いても、なかなか修正ができない。
自分では、いつもどおりに、魔素を取り込み、魔力へと変換しているつもりなのだ。普段無意識でやっていることを、今は意識的にやってもみたけれど、結果は変わらず。要するに、意識できていると錯覚させられていた。
「……その名称は無理があるのでは? 実際に魔法が使えるわけではないのですから」
「良いのですよ、気分で。プラシーボ効果、思い込みの力というものがあることはご存知でしょう? 自分がそう思えていれば、その者は幸せでもあるはずです」
これが普通の毒とかだったなら、その成分だけを抽出して、入れられた血管から排出するということも可能だっただろう。排出した後、身体の機能を戻すことも同様に。
ただし、それは、魔法が十全に使えればの話だ。
僕は医者ではないし――たとえ医者であってもできるのかどうか詳しくは知らないけれど――この場で魔法を使わずに自身の血液に混ぜられた薬の成分だけを抽出して排出する、などということはできない。
「……先ほどの口ぶりですと、すでに魔法師でも実験済みということですが、御自身ででも試されましたか?」
「結果の観測は、開発者として、当然の欲求ですよ」
ならば、いつ頃この効果が切れるのかも、把握されているというわけだ。
個人差というのもあるだろうけれど、こちらの回復を待ってくれるはずもないだろう。
状況的には圧倒的不利、どころか、かなり危機に陥っていると言っても過言ではない。しかし、だからといって、ここで僕が倒れるわけにはゆかない。
「おや。まだ戦う意思があるとは。大した精神力です」
ビザール・デヴァハが感心している表情は、本気のようにもみえる。
「ええ。生憎、体調不良程度で休めるほど、満足に人員のいる部署ではありませんから」
婚約者の大切な舞台とかであるならば、遠慮なく、仕事を休んだりはするけれど。
幸い、ずれているのは魔法を使おうとする感覚だけで、肉体の感覚まで無くなっているわけではないらしい。それも幻覚でなければ、だけれど。
室内ならば、走って逃げられても、追いつくことくらいはできる、かもしれない。いや、先程までの戦闘で見せた程度の肉体能力ならば、間違いなく、こちらに優位はあるだろう。もちろん、相手が加速の魔法を使用してきた場合は別だけれど。
ただし、そうはならないだろうと予想している。
ここで逃げたところで、薬の効果が切れれば(それがいつになるのかはわからないけれど)また魔法は使えるようになるだろうし、探索魔法からは逃げられない以上、ここで僕を無力化にくるはずだ。
「どうですか? やはり、魔法が使えるというのは素晴らしいことだと実感できるでしょう?」
「そうですね。使い方を誤らなければ、魔法師の犯罪者に対する、新たな対抗、対応策として、有用かもしれません」
現在のところは、AMFの装置に頼っているわけだけれど。
この薬が実用化できるのなら、別のアプローチによる魔法の抑止力として使えるかもしれない。
もっとも、これは薬の主成分ともいえるものであり、依存性、その他、諸々の問題があるため、そのままでは使いようもない。
まあ、魔法が使えないという意味でも、魔法師に対して、依存症は発揮されないだろうけれど。
「研究者としては、このままあなたを持ち帰り、人体実験のお供にしたいところですが、持ち運ぶのも面倒ですし、かといって、居場所を探知されるあなたをこのまま生かしておくのも都合が悪い。いずれ、魔法は使えるようになってしまいますしね。なので、残念ですが、ここであなたを始末させていただきます」




