『白い粉』 11
もっとも、さっきの挨拶でリュシィが、薬についてあなたのことを僕たちが疑っている、と匂わせはしたから、それを確かめるためのなんらかのアクションはあることだろうから、そこからなにかを掴まなくてはならないだろう。
もしくは、僕たちの予想とは逆に、そんなカマかけには動じず、この場に疑っている人物がいるとわかったことで、なにも仕掛けてこないか。
希望としては、なんらかの動きはあって欲しいところだ。
一応、居場所を掴むことはできるようになったとはいえ、だからといって、日中ずっと監視しているわけにもゆかない。今を逃せば、今度はいつ、そのタイミングに巡り合えるかわからない。
それにしても、こんなに人目のある場所の、どこで行動を起こそうというのだろうか。
彼も出店側である以上、長い間はこの場を離れるわけにもゆかないはずだし。
映画館やなんかとは違い、室内の見世物ではあっても、周囲は明るく、不審な行動をとれば、どうしたって目立つ。
すでに会場してから結構な時間は経っているとはいえ、こちらにわかる範囲では、相手は行動を起こしてはいない。まあ、それは当然といえば当然だから、気にはしていないけれど。
それにしても、この展示の仕方、なんで三方にしかスペースがないのだろうか。
壁をぐるりと回るようにスペースを設けたほうが、たくさん企業というか、個人でも、出展できると思うのだけれど。わざと数を絞っているという感じでもないし。
それに、これは化粧品と衣装の合同展示会ということだったはずだけれど、衣装のほうはてんで見当たらない。
なにかまだあるのか、と思ったところで、会場の証明が落とされる。
そして、空いていた一方の壁際と、そこから伸びる一条のライトの道ができあがり、床が開く。
スモークと共にせりあがってきたのは、ステージ、ランウェイだった。
「皆様、お待たせいたしました。それでは、これより、ステージのほうを開催させていただきます」
ステージ上だけを眩く照らすライトが灯り、スクリーンにブランド、あるいは個人の名前が表示される。
そして、それぞれ、綺麗な衣装を身に纏った女性、あるいは男性モデルが、格好よくランウェイを歩いてくる。
へえ。こんな催しもあったのか。プログラムには一応、目を通していたつもりだったけれど。マネキンに着せているだけかと思っていた。
独特なデザインのものばかりだけれど、こういうのって、どの層に需要があるのだろう。
あの衣装、ちょっと足を出し過ぎじゃないか? あっちは一体、どんな縫製になっているんだろう。うわっ、こっちは随分と大胆に開いているんだなあ。
などと、感心して見ていると、隣から(正確には斜め下から)鋭い視線を感じた。
さすがに脚こそ踏まれなかったものの、リュシィが刺すような視線を向けてきていた。
いや、別に、リュシィのことを蔑ろにしていたわけではないよ? 僕だって、そんなに衣装について詳しいわけではないけれど、ただ、せっかくの舞台で、このために準備してきただろう人達の想いを汲みたかったというか。
「違います。別に、嫉妬していたわけではありませんから」
「嫉妬? なんのこと?」
リュシィはわずかに眉を下げ。
「レクトールはなぜ自分がここに来たのか忘れたのですか? 取引の可能性があるからなのでしょう?」
そういえば、そうだった。
もちろん、リュシィの婚約者役を全うするためでもあったのだけれど、ここに姿を見せたビザール・デヴァハの動向を監視する目的もあったんだった。
都合がいいことに、照明は落とされて会場は薄暗く、ランウェイの上だけに光が集まって注意を惹きつけているこの状況は、取引をするのにはそれなりに適しているようにも思えた。
僕たちだって、この展示会自体を台無しにしたいわけではない。できる限り、何事もなく、遂行させたいと考えているため、なるべく、強引に介入したくはない。
いや、それでも、まさかこんなに大胆にしてくるのか? そういう盲点をついてのことかもしれない、か。
とはいえ、さっきリュシィと一緒に顔を合わせておいたのは正解だった。たとえ暗闇の中でも、彼の居場所は探知魔法で手に取るようにわかる。
人垣を縫うように抜けてゆくと、大胆にもランウェイのショーを観ながら、新作の衣装の展示会に来ているとは思えない格好の男と一緒にいるビザールを発見した。
もうひとりの帽子をかぶった男のほうが、おそらくはディーラーだろう。
もう取引は済ませたのか? いや、それなら、まだ一緒にいるはずがない。
済ませたにせよ、済ませていないにせよ、そんなことは関係ない。所持しているだけでも、罪に問われる物品なのだから。
ブランドのロゴが入ったバッグから取り出したのは、香水瓶のように見えるものだった。
ただし、中身が揺れているようにも、光を反射しているようにも見えなかったので、入っているのは粉――固体だろう。
真っ当なものなら、こんな雰囲気の中で手渡しする必要はないはずだ。
今度は逆に、男のほうからケースのようなものが渡されている。中身は……現金だろうか。
なんにせよ、これで取引は成立したとみてもいいだろう。その瞬間は、きちんと映像に記録した。もっとも、明度が低くはあるけれど。
とはいえ、ここで声をかけてしまうのは、得策ではない。
そんなことをすれば、せっかくの展示会が台無しになってしまう。
僕はセストに、撮った写真と一緒にメッセージを送る。ふたりがここでこのまま別れてしまうと、ふたり同時には追えなくなってしまうからだ。
すぐにセストからは了解の旨を伝える返信が届く。
「リュシィ」
僕は元の場所に戻り、小声で、隣に立つリュシィに声をかけた。
「目的の人物を発見したよ。だから、もしかしたら、少しの間、隣を外すことになってしまうかもしれない」
「……わかりました。お気をつけて、レクトール」
「ごめん。きっと、埋め合わせはするから」
できる限り早く戻るつもりではあるけれど。
ふたりの反応が、会場の出入り口付近へと近づいてゆく。近くで見たい人が多いだろうから、遠ざかってゆく動きを気にする人はいないだろう。それよりも、皆、舞台の上に視線は釘付けのはずだから。
この会場、出入り口は、通常、ひとつだけ。非常口は今は開いていない。
会場内で声をかけてしまうと、今もショーを楽しんでいる人たちに迷惑をかけることになる。
案の定、ふたりはすでに別れていて、僕はセストにもう一度、自分がビザールを追うことを伝えておく。
「すみません。ビザール・デヴァハ様」
僕が声をかけると、彼もこちらを振り向いて。
「ああ、これは。先ほどお会いしましたね。ローツヴァイ家のリュシィ様の御婚約者の」
「軍事局諜報部、レクトール・ジークリンドです」
僕は首から下げて、上着の胸ポケットに入れていた社員証を取り出す。
「現在、巷で出回っている薬剤について、少々お伺いしたいことがあるのですが」
先程の取引現場の写真を見せつけながら尋ねると。
「……やはり、ここに直接顔を出したのは失敗だったということでしょうか」
「失敗なのは、そもそも、あんなものを作り出し、街に流したことですよ」
「何故でしょう? 作り出すのが悪いのですか? 兵器でも、作る人間より、それを使う人間のほうが悪いことは明らかでしょう。私はただ、自分の研究を世に広めたかっただけです。使いだしたのは、彼らのほうですよ?」
「効果を確かめたかったということは、実際、あれがどのような作用をもたらすのかわかっていたということです。当然、その危険性も。ならば、確信犯だと判断せざるを得ません」
たしかに、麻薬をやるほうが悪いというのはわかる。
しかし、それは、悪意を持って広げたほうが悪くない、ということにはならない。




