『白い粉』 10
「ふーん。でも、こんなに大勢の人が周りにいる中で、わざわざ目立つようなことはしないんじゃないかしら」
話しを聞き終えてから、シエナがそう呟く。
「うん。たしかに、取引自体はしないだろうね。いや、するかもしれないけれど、それはまあ、おいておくとして、この場で取引をするかどうかは関係ないんだよ」
現行犯での逮捕を狙っているわけではない。
とにかく、雲隠れしていたビザール本人が人前に出てくるということ自体に意味があるのだから。
「彼については、すでに手配書も出ているからね。まさか、こんなに堂々と出てくるとは思わなかったけれど」
自分が手配されていることを知らないということはないだろう。
しかし、それでお、こうして公の場に姿を見せるということは、それだけの自信があるのか、あるいは、なにかの必要条件を満たす目的でもあるのか。
前者ならば問題ないけれど、後者だと、その内容がわかっていない分、多少不利にもなり得る、かもしれない。
「替え玉ってことはねえのか?」
「うーん。なくはない、かもしれないけれど……」
「関係者として入っている以上、考えにくい、ってことか」
「うん」
一般入場者ならばともかく、身分確認、本人証明は要求されるだろうからなあ。
「それだと、なんで参加できているのでしょうか?」
ユーリエがわずかに首を傾げる。
まあ、ここに参加するような人たちが、日頃、ニュースをチェックしていないとも思えない。しかも、自分たちに関係のある企業のトップの動向だ。
「そんなの、事前に賄賂でも渡しておけば簡単じゃない」
シエナの言うことも一理あるだろう。
しかし、多分、この場合は違って。
「多分、この参加者の中に彼のお客が混じっているからだろうね」
彼自体は指名手配されていても、お客までがそうなっているわけではない。
分け前を貰っているとか、有効な取引を結んでいるとか、協力者がいるのだろう。もしくは、彼ら自身がその薬を利用しているのか。
受付さえパスしてしまえば、後は実質フリーみたいなものだ。
「……まあ、とにかく、そっちのことは僕に――僕とセストに任せて、皆は展示会のほうを楽しんで」
リュシィはお務めでもあるのだけれど、皆、わざわざ出向いてきたということは、多少なりとも、興味はあるのだろうから。女の子だし。
「さらっと俺を巻き込んだな。まあいいけどよ」
休日出勤の手当てでも貰うか、などと考え出したセストをよそに、展示会が開始される。
もちろん、一般の参加者の人たちも入場されて、会場は満員近くにもなるけれど、僕の目的は展示している企業側のほうなので、目標を見失うということもない。会場のマップは表示されているし。
むしろ僕にとっての問題なのは、リュシィに対して顔見せにくる、企業の人たちのほうだ。
こういうときに助かるのは、僕たちのほうから挨拶に行かずとも、向こうから来てくれるというところだけれど、だからこそ、数も多く、大変だ。
ウァレンティンさんなら、遠慮する人もいるかもしれないけれど、リュシィのほうが、まあ、多少甘く見られやすいというか、とっつきやすそうに見えるというか。
きつめの雰囲気とはいえ、見た目は子供だからな。
「では、そろそろ行きましょうか」
ひと通りの挨拶に来た人たちの相手を済ませ、問題のブランドのスペースへ赴く。
しかし、こうも堂々と姿を見せられると、むしろ罠なのではないかと勘繰ってしまう。
「初めまして、デヴァハ様」
一旦客が捌けるのを待ってからリュシィが声をかけると、ビザール・デヴァハ氏は驚いたような表情を浮かべた。
「これはこれは。ローツヴァイ家の御令嬢。このようなところまで来ていただけるとは」
眼鏡を掛けてはいたけれど、写真で確認したのと特徴は一致する。九十パーセント以上の確率で、本人だろう。
ただし、写真よりも若干ではあるけれど、頬がこけているようにも見える。
化粧品の展示会であるということを考えると、イメージ的にはマイナスだとも思えるけれど、売り子は別にもいるみたいだし、問題ないと判断しているのかもしれないし、そもそも、向こうの事情など、僕たちには関係がない。
「最近、御社では面白いものをお作りになっていると、噂になっておりますから」
「ほう。あなたのお眼鏡にかなったとすると、それは光栄なことでもありますね」
「そうでしょうか? 魔法師としては、興味を引かれても当然だと思いますけれど」
なんでリュシィは自分から危ない橋を渡ろうとするのかな。
そんなことをさせるために教えたわけではないのだけれど。
「はて、魔法師ですか。うちの製品は魔法師の方にも、非魔法師の方にも、ご満足いただけるものと思っておりますが」
「そうでしたか。私の婚約者が気にしていましたから、なにかあるものかと思っていましたけれど」
笑顔を浮かべていたビザール氏が、一瞬、険しい空気を纏う。表情にこそ出さなかったけれど、緊張は伝わってきた。
判断しているのだろうか。
そもそも、自分たちが調べられていることは知っているはずなのだから、ここに僕が乗り込んできた時点で察していたのかもしれない。
それにしても、リュシィが来るのなら、僕が来るということもわかっていそうなものだけれど。
こうして会うまでは、準備万端整えたのかとも思っていたけれど、案外、そうでもないのかもしれない。もちろん、演技であり、こっちを誘っている可能性もあるけれど。なにせ、今は僕とセストだけだし。
どちらにせよ、警戒を怠ることはできないな。
あの三人、ボードマン・カールハイム、マーロ・ストライナー、それからマルティナ・アティールとも関係はあっただろうことは明白だし。
「まあ、こうして一度顔を見られたのは収穫だったな」
「うん。探索魔法に引っ掛けることができるようになったからね」
まったく知らない人物を探知することはできない。
しかし、今はすでに直接顔を合わせて挨拶をした間柄だ。
「動くと思うか?」
「そこが問題なんじゃないよ、セスト。どう動くのかということだよ」
なにせ、扱っているものが麻薬なのだから、動くことは確定している。
彼ら自身が動かずとも、相手のほうから動いてしまう以上、自分たちだけ動かないでいるのは得策ではない。
とはいえ、全面戦争を仕掛けてくるつもりはないだろう。
むしろ、魔法師である僕たちと直接事を構えるのは避ける可能性すらある。本来の標的は非魔法師なのだから。
「まあ、今日ここで動くかどうかはわからないけれど」
わざわざ人前に出てきて、そこで動くだろうか?
動くにしても、個人的にルートを確保するとか、その程度の商談くらいだろうし、それだけでは逮捕の根拠、証拠としては弱い。
ただ話しているだけの相手を捕まえるのは無理だし。
「でも、それなら、サンプルというか、実物を持って来てもいるんじゃねえのか?」
「うーん。それだとしても、強制的に荷物検査をするわけにもゆかないし、もし、なかった場合、面倒なことにならないかな」
やはり、今日のところは顔を見せることで警戒させて、今後の動きを誘うくらいしかできないような気もするけれど。
「けど、今まで、ヤサ探ししても見つからなかったんだろ? なのに、今日、ここに来たってことは、ここでなんらかの目的があるからじゃねえのか?」
そうなんだよね。
そもそも、彼のことは報道もされていて、手配書だって出ているのに、ここにきている人たちが気にしていないというのもおかしな話だと思う。
まさか、わかっていないということもないだろうし。




