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『白い粉』 9

 ◇ ◇ ◇



 薬のほうも重要だけれど、リュシィの出席する展示会も大切な案件だ。

 なにしろ、前回、ユラ・ウォンウォートの件で心労が溜まっていたとはいえ、リュシィはコンクールを途中退場、後の式典に関しては欠席してしまっている。

 真面目、律儀で、責任感も強いリュシィのことだ。あれから大分経って、普段の調子を取り戻しているようには見えるけれど、あのときの事を気にしていないとは思えない。

 もっとも、あのときとは違い、今回のリュシィはいち参加者という立場ではある。しかし、ローツヴァイ家のひとり娘という肩書は、伊達ではない。たとえ、僕という婚約者(役)が隣にいたとしても。

 それに僕だって、いつまでも慣れないことでは済まされない。

 たしかに諜報科は、魔法省という組織の中でも人前に――まともに――出ることは少ないけれど、いずれはそういうこともしなければならに立場になる、かもしれない。

 そして週末。

 リュシィとは違い、展示会そのものへの参加はしない僕は、いつもどおり、持っている服の中でもっともマシである魔法省の制服を着て、ローツヴァイ家へと赴く。

 もしかしたら、普通にスーツ姿のほうが良かったかな、などと思いつつ。


「待っていたわよ。遅かったわね、レクトール」


 ローツヴァイ家にたどり着けば、シエナとユーリエ、それにセストまで揃っていた。

 もちろん、全員、ドレス、あるいはスーツ姿だ。

 

「……えっと」


 どういうこと? とリュシィに説明を求めるべく視線を送れば。


「すみません、レクトール。私のミスです」


 珍しく、覇気のないお詫びが返ってきた。

 

「ごめんなさい。ふたりのデートの邪魔をしてしまったみたいで」


「デートではありませんっ」


 シエナがからかうような口調で言えば、リュシィが即座に否定する。

 これが、焦って、とか、図星をつかれて、とかだったら嬉しいけれど、そうじゃなくて、ただ、シエナにからかわれたのに反応しているだけだからなあ。

 

「いや、僕は大丈夫だよ。むしろ、知り合いが増えてくれるのは嬉しいよ」


 べつに、知り合いがいることへの安心感ではない。

 この程度で安心感などと言っていたら、一生かかっても、リュシィの隣に立つのに相応しい男にはなれないだろう。

 そうではなく、単純に、ふたりの姿が見られたということが緊張の緩和につながったのかもしれない。


「リュシィとふたりだと、緊張しっぱなしだからね」


 そもそも、リュシィみたいに可愛い女の子の隣に立っていることに緊張するし、本当に僕みたいなのが相手でいいのか、とか、ちゃんと、婚約者役として防波堤の役目は果たせているのか、とか。

 嬉しいは嬉しいのだけれど、平静を保つのには苦労する。

 そういう意味で、ユーリエやシエナたちが来てくれたことは嬉しいし、きっと、リュシィにとってもプラスに働くだろうと思っている。

 もっとも、リュシィが僕とふたりきりが良かったと望んでくれていたのなら、それは嬉しいことだけれど、僕ばかりが喜んでいたら悪かったかな。つまり、僕のほうはリュシィとふたりきりが嫌だったと誤解させてしまったのなら、謝らなければならないだろうけれど。事実は、全然そんなことはないわけだし。

 まあ、リュシィに限って、そんなことはないだろうけれど。


「はやく行きましょう。遅れては示しがつきませんから」


 そうして僕たちは、ローツヴァイ家の所有する、五人で乗ってもスペースの余る大きな車で、会場へと向かう。

 開場時間前であるにも関わらず、会場となるビルの前には、待機列とでも呼ぶべき列が形成されていて、警備員の人たちが整理に駆り出されたりもしていた。


「えっと、人気のあるブランドかなにかなの?」


「レクトール、知らないの?」


 女の子の化粧品だとか、衣装の話なんて知らないよ、といえば、シエナが今日この展示会に参加することになっているブランドについて説明してくれる。

 設立の年だとか、ブランドとしてのコンセプトだとか、いままで使ったことのある中でのお気に入りの話だとか。

 もちろん、全部なんて聞いている間もなく、関係者入り口から入った僕たちは、さっそく、会場へと案内される。

 化粧品だとか、衣装だとか、やっぱり、あまり興味は持てないけれど、まあ、今日も真面目に務めをこなしますかと、参加企業の一覧を眺める。

 中には、僕でも知っているようなブランドがあったり、それなりに大きな――。


「なにか気になるところがありましたか?」


 端末から、この展示会についての情報を調べていたところ、たまたまその名前を見つけた。

 おそらく、僕が手を止めたことが気になったのだろう、リュシィがすこし緊張しているような面持ちで尋ねてくる。

 ん? 緊張?

 

「いや? なんでもないよ」


 すこし気にはなったけれど、動揺は(多分)見せず、笑顔を返す。

 

「……そうですか」


 あれ? なんだか、リュシィがすこし残念そうだな。

 なんでだろう。


「まったく。ねえ、レクトール。今、どのページを見て止まっていたの?」


 代わりにシエナにそんなことを尋ねられる。

 いや、僕の好みうんぬんというより、皆には化粧品なんてまだ早いと思うのだけれど。あんまり早いうちから使い過ぎるのも良くないと聞くし。

 三人とも、お化粧なんてしない素顔のままで十分過ぎる程に、綺麗でかわいいから。

 というか、そもそも、僕は化粧品そのものについて気になって見ていたわけではないし。


「そんな、レクトールさん……」


 ユーリエは若干染めた頬に手を当てる。 

 

「そんなことはわかっているわ。それで? どうしたのか教えてくれる?」


 シエナは余裕のありそうな態度ながらも、気にしていることを隠しきれておらず。

 変に勘のいい三人のことだ。しかし、これはチャンスでもある。


「セスト。この人が参加するって知っていたの?」


 そこに表示されていたのは、とある製薬会社と、責任者の写真入り簡易プロフィールだった。


「ん? ビザール? 誰だそれ? おまえは知ってるやつなのか、レクトール。そういうことには興味なさそうだったけど、意外だな」


「知ってるもなにも――」


 言い淀んでから考える。

 あれ? セストになら話してもいいのでは?


「なんだよ。もったいぶらずに教えろよ」


「うん。でも、ちょっと待ってね」


 僕は聞き耳を立てている初等科生三人組に。


「あの、きみたち」


 やっぱり、できれば、聞いて欲しくないなあって。

 

「いいわよ。私たちには構わず続けて」


 シエナはにっこり微笑む。見る人が見れば、というより、僕たち以外ならば魅了されてもおかしくない素敵な笑顔だったけれど。


「構うから。あのねえ。内緒話をするときというのは、大抵、他の人に聞かれたくない内容についてなんだけれど」


 君たちが知ったら、この前みたいに、変なことをすると言い出しかねないでしょう。

 はっきり言って、すでに三人の関心は引いてしまっていて、不利な状況なのだから、これ以上、余計なことは話したくない。


「ひどいわ。私たちは所詮、他人ということね」


 他人というか、一応、機密情報扱いだから、関係者――省内の人間以外に話せないということなんだけれど。


「じゃあ、すこし、ひとりごとを聞かせてくれないかしら」


 いや、それって……はあ。

 仕方ない。

 好奇心の虜になっているシエナは、どうやっても諦めそうにないし、知っているほうが対処、対応はしやすい。

 というより、知らないでいるということのほうが危険に繋がる可能性が高い。これは、彼女たち自身の安全にもかかわることだからな。

 そんな理屈で事情を漏らしてしまう僕は、あまり諜報科に向いていないのかもしれない。


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