ルナリア学院学院祭 5
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高等科の講堂のほうで開催されている演劇部の公演は、超々満員で、立ち見であっても、観覧することは叶わなかった。
予約の時点でチケットは完売で、当日分も即売り切れになったらしい。
有名な、それこそ初等科以下であっても、せめて名前くらいは誰でも知っているような戯劇が演じられるということだったのだけれど、演じる生徒の人気も、もちろん、芝居自体のレベルも、それから演出のクオリティも相当高いというのが、ホームページやネットの書き込みによる評判だった。
「仕方ないわ。代わりにここに行きましょう」
シエナが提示した行き先を確認した僕とユーリエ、セストの三人は、恐る恐る、リュシィの様子を伺う。
「なんですか、三人とも。私の顔になにかついているんですか?」
「いいや、そんなことはないよ今日もとってもかわいいよ」
と、そんな軽口――本心だけれど――はともかく。
「そうじゃなくて、リュシィはこういうところは苦手だったでしょう?」
文化祭では定番でもあるお化け屋敷は、例にもれず、このルナリア学院でも、初等科、中等科、高等科と、毎年それぞれ、すくなくともひとつ以上のクラスがクラスの出し物として選んでいるくらいには人気が高い。
製作コストやら、製作時間、手間暇を考えれば、かなり面倒な準備の部類に入るだろうけれど、やっている側には、それ以上の楽しみがあるに違いない。たとえば、訪れてきた人の反応とか。
「そうね。せっかくのお祭りですもの。皆が楽しめないんじゃあ参加する必要もないわよね」
シエナが、一見、リュシィに救いの手を差し伸べたような感じだけれど、もちろんそんなはずはない。
リュシィ以外の全員がわかっているけれど、負けず嫌いのリュシィが、そんな風に言われて断れるはずもないということをわかっていて、わざと言っているのだ。
「レクトールもシエナも、勘違いしているようですが、別に、私はこのようなところ、怖いということはありませんよ。ええ、なんともありません」
そうは言っても、以前一緒に行った遊園地のお化け屋敷での様子のことは、全員、はっきり覚えていると思うのだけれど。なにしろ、あんな様子のリュシイは、かなり珍しいから。
「そう? 行くのは初等科じゃなくて、高等科のほうよ? 本当に大丈夫? パンツの替えは持ったのかしら?」
「そのようなものは必要ありません。というか、シエナ、往来でそんなことを口にしないでください」
早く行きましょう、とリュシィに先導される形で、僕たちは高等科のほうの校舎へ向かう。
敷地は同じであっても、意外と距離はあるのだ。
「ええっと、『幻術系統の魔法を使用しておりますが、直接身体に危害が及ぶ心配はありません』ですって」
教室の前に立ち止まったシエナが、プラカード状の看板を読み上げる。
魔法の使用の厳禁など、いくつか注意事項などが記されていて、親切なのか、それともそれらが必要なほどに怖い目に遭わされるための心の準備が必要ということなのか。
「『スタッフへ危害を加えたりしないでください』ですって。リュシィ。いくら脅かされたからって、生徒に手を挙げたらだめってことよ」
「言われるまでもありません。シエナは私のことをなんだと思っているのですか」
待っている間に、中から悲鳴も聞こえてきて、録音を再生しているのか、それとも実際にあげられている声なのか、どちらとも判断はつきかねたけれど、びくりと肩を震わせたリュシィが僕の腕にぴったりとしがみついてくる。
「これは、念のため、はぐれりしないようにです。中は暗闇ですから、どのような危険がないとも限りませんから」
そりゃあ、お化け屋敷なんだから中は暗いだろう。むしろ、明るいお化け屋敷ってどんなだ。
まあ、僕としては、リュシィに抱き着かれるのは悪い気はしないというか、むしろ嬉しいことでもあるから、構わないのだけれど。
「あの、レクトールさん。私も手を繋いでもいいですか?」
「もちろん。エスコートさせて貰えて光栄だよ」
遠慮がちに、しかし、意志を持ってユーリエが差し出してきた手に、リュシィに抱き着かれているのとは反対の手を重ねると、照れたような、はにかんだ笑顔を見せてくれる。
なんとなく周囲から視線を感じて、首筋のあたりがひやりとしたのは、どういうことだろう。まだ、お化け屋敷には入っていないのに。
「両手に花ね、レクトール」
一歩前に出ているシエナが振り向いて微笑む。
もちろんシエナは、セストと手を繋いでいたりはしない。
薄暗い教室内に入ると、おどろおどろしい音楽が聞こえ始め、生暖かい風が吹き抜けている。
「……そもそも、恐怖というのは、有害な事態や危険な事態に対して、防衛本能的に生じる情動のひとつであって、そのような感情はないほうがよいはずなのに、わざわざそれを自分から体験しにゆくなど、理解に苦しみます」
絶対に離さないという強い意志を感じられる力を込めて僕の腕に抱き着くリュシィは、自分に暗示でもかけるかのように、ずっとうわ言のように呟いている。
「あら。でも存在が揺るがされるということは、つまり、進化の前兆でもあるはずだし、上手くすれば新しいことが開かれるチャンスでもあるということではないかしら」
対照的に、シエナはとても明るい口調だ。
どうでもいいけど、きみたち、お化け屋敷をもうちょっと純粋に楽しめないかな? いや、お化け屋敷を楽しむというのも、変な話ではあるけれど。
「本当にすごい作り込みですね。私もちょっと怖くなってしまいます」
そう言いつつ、周りを見回したユーリエは、むしろ感心している気持ちのほうが大きいのだろう、潜んでいるキャストに向かって微笑んだりもしていて、結構余裕はありそうだ。いつの間にやら、手も放しているし。
まあ、このリュシィの様子を見ていれば、ユーリエの態度も理解できる。
シエナとユーリエは楽しそうに足取り軽く進んでゆくので、僕と、腕に捕まっているリュシィはどうしても遅れ気味になる。
「レクトール。おまえはお嬢さんをしっかりエスコートして来いよ。シエナたちは俺が見といてやるから」
「頼むよ、セスト」
セストがやや前へと向かい、僕とリュシィがわずかに後ろに取り残される形になる。
「最初は五人いたのに、三人になって、今はふたりきりだね」
もちろん、ふたりきりだからといって、甘い雰囲気なんかは微塵もない。
有名な童謡とかにもあったけれど、こういうときって、だんだん人数が減っていって、最後は一人、あるいは誰もいなくなるんだよなあ。
リュシィの腕を掴む力が強くなる。
「あっ、ごめん。別に怖がらせようという意図があったわけじゃなくて、ただのひとりごとだったというか、えっと――」
「レクトールは、私を置いてひとりで行ったりはしないでくださいね」
意識しているわけではないだろう、若干、上目遣いでおねだりしてくるリュシィのなんと可愛いことだろう。
周囲に他の人がいなかったことに、僕は感謝した。いたら、リュシィは死んでもこんな姿を見せたりはしなかっただろうから。
「大丈夫だよ。リュシィをひとりにしたりはしないよ」
そう微笑みを返せば、リュシィは少し頬を染めて、顔を逸らした。
本当に可愛いなあ、もう。
「……やっぱり駄目だよ、シエナ」
「なに言っているのよ、ユーリエ。ユーリエだって、リュシィの可愛いところを見たいでしょう?」
後は、曲がった先の壁の向こうからそんな小声が聞こえてこなければ最高だったのに。
とりあえず、リュシィが気付いていないのが幸いだ。中は撮影も禁止だし。
「どうかしましたか、レクトール」
「ううん。なんでもないよ」
ひとり占めできなかったのは少し残念だったけれど、それを言うことはできないし。
まあ、こうしてリュシィが可愛いところを見せてくれていることに、満足しておこうかな。




