3:桜の笑顔
次の日検査を受けたが何の異常もなかった。女神の力すごい……と感心するしかできない。でもそんなことは露知らず、思い当たるはずもなく。確かに目覚めるまでは重症だったのにとお医者さんは首をかしげた。
「うーん……一応今日も安静にしてもらいたいから病院に泊まっていってね」
そう言われ病室に戻り遅い昼食をとった。
こんこんと戸を叩く音がする。ちなみに個室だ。普通の4人部屋に移動するのかと思っていたけれど、いつ容体が急変するかわからないからとナースステーションから近いこぢんまりとした個室に私はいる。
いいですよ、と言うと入ってきたのは知らない男の子だった。
「あ、あの、お身体大丈夫ですか……?」
おどおどと話しかけてくる彼は黒い学生服姿で、近所の中学生だとわかった。顔つきはまだ幼い。
「大丈夫だよ」
そう言うと彼はホッとしたようで胸を撫で下ろした。もしかして、この子は……。
「もしかして、私を轢いた人?」
男の子の顔がみるみる赤くなり涙目になる。ああ、やっぱりそうか。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
とうとう目の前の彼は泣き出してしまった。
彼……中学2年生の桜木優矢くんの話を要約するとこうだ。
私と桜木くんはよく事故が多発する曲がり角で衝突してしまったらしい。彼が来た道は傾斜がきつく、そして運が悪いことにブレーキの調子がおかしかったらしい。足で懸命にブレーキをかけるも意味がなく、あまり失速できなかったようだ。
私は衝突して頭から血を流して倒れたらしい。すぐに近くに住む人に助けを求め、救急車を呼んでくれたそうだ。その後のことはパニック状態だったこともありあまり覚えてないそうで……。でも、事故のことはよくわかった。
こういう時って多額の慰謝料……なんだろうけど、私はピンピンしている。死んだんだけど。
よく自転車事故って重たい後遺症が残るから桜木くんは責任を感じていたようだけど、実際に元気な私を見て少しホッとしたようだ。
でも、彼の経歴に傷がついてしまう。
「桜木くん、私から警察や学校に説得してみるよ。事故のことはなかったことにしてって」
「え、だ、ダメですよ」
桜木くんは目をまん丸にした。私もそんな事していいのかわからないけど。でも、目の前の彼の人生を狂わせるなんて、嫌だ。
「カーブミラー見てなかった私にも責任あるし。それに、こんなピンピンしてるのにおかしいよ。自転車じゃなく、人間同士が廊下の角とかでぶつかったのと同じようなもんだよ」
だからね、桜木くんは悪くないよ。
そう言って笑ってみせると、彼は大粒の涙で頬を濡らした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ありがとう、ございます」
桜木くんのご家族や警察との話し合いの結果、女神の力が働いたのかすんなりと私の要望は通った。
慰謝料代わり……なのか、検査費と入院費、あと箱詰めのお菓子を頂いた。何百万もする慰謝料よりは安いし、たぶん何もいらないと言っても相手が罪悪感を感じるだけだろう。ありがたく受け取ることにした。
私としては桜木くんの笑顔が見れただけでよかった。
その日の面会時間ギリギリに勝実お兄ちゃんと海斗が来た。
何故海斗と呼び捨てにしてるかというと、お兄ちゃんと呼ぶと調子にのるからだ。海斗は極度のブラコン、シスコンで私と勝実お兄ちゃんに超甘い。
「奏衣が無事でよかったよー。おにーちゃんすっごく心配したんだからなー!」
病室に入ってくるなり抱きしめられる。苦しい、と肩をたたくと申し訳なさそうな顔をして離れてくれた。
「明日もっかい検査したら帰れるから。海斗も勝実お兄ちゃんも、来てもらって悪いけど帰って自分の事して」
「え、奏衣はおにーちゃんとの久々の再会嬉しくないのか……?」
いや、昨日の朝会ったでしょう。どのみち残業の結果疲れて会社に止まったんだから、私が事故に遭ってなくても顔を合わせるタイミングは変わらないはず。
「おい海斗、奏衣が迷惑してるだろ。はい奏衣、下の売店でお茶買ってきた。今日も早く寝ろよー」
そう言うと勝実お兄ちゃんは海斗を引きずって帰って行った。うーん、どっちが上なのかわからなくなる。
お茶を一口飲み、私はいつのまにか身につけていたロケットを開けてみた。カウントダウンされている数字を見て憂鬱になる。
「そう言えば、これでロサと通信できないのかな」
試しにおーいと声をかけてみるも反応なし。必要な時だけ話しかけてくるのだろうか。それとも、夢の中だけでしか話せないのだろうか。今はまだわからない。
時間が経ち消灯時間となったが寝れない。何度も寝返りをうちこれからのことを考える。
明後日の月曜日から、いや、明日退院してから出来ることをしよう。
前みたいな当たって砕けろ精神ではダメなんだ。
……でも何をすればいいのだろう?
検査の結果何の異常もなく、予定通り昼に退院。お医者さんたちは首をかしげるばかりだが、
女神の力ですとは言えないので奇跡が起きたんだな、と最終結論を下された。
海斗の車で家に帰る。病院から家までの道は特別変わった景色ではないが、ひょっとしたらもう見ることができなかったのかもしれない思うとヒヤリとする。今の現状もかなりやばいのだけど。
途中でコンビニに立ち寄りアイスを買ってもらった。できるだけ太りにくそうなのを……と思うがそんなアイスはなく結局いつも食べてるものを選んだ。抹茶の香りが少し懐かしい。向こうの世界に抹茶なんてあるのだろうか。
あんな風に堂々と告白する宣言したのはいいけど、実際どう行動したらいいのかわからない。ほんのつい最近まで、話せるだけで幸せって満足してたんだから。
「……海斗って、付き合ってた人とかいた?」
「いたけど、どうした突然?」
海斗……じゃなくても家族に知られたら面倒くさいことになりそうだからごまかしつつ聞き出さなきゃ。
「ううん、今年で25になるけど結婚とか考えてるのかなーって。それで、彼女いたんだね」
ミラー越しに見える兄は照れ笑いをしていた。私の中ではブラコンシスコンのダメ兄だったから、彼女がいたとは思ってもなかった。
「大学の時にな。半年ほどの付き合いだったけどいい人だったよ」
「なんで別れたの? どっちから告白したの?」
「別れた理由は聞かないでくれ……。告白は向こうからだったな」
それ以上はなんとなく聞きづらい雰囲気になったので、この話はここまでとなった。また時間ある時に、今度は勝実お兄ちゃんにでも聞いてみるか。今日はバイトあるから忙しいと思うし。
その日は早く寝るように勧められ10時前には電気を消された。普段は余裕で日付が変わってから寝るので、この数日で規則正しくされたな、なんて思うと変な気分だ。また不規則な生活になるんだろうけど。
お風呂に入ってから手足がすごく気持ち悪い。多分しもやけなんだけど、今までなったことがなかったからすごく不快だ。こんな春に、と勝実お兄ちゃんは笑ったが私、は生き返ったことで冷え性になったんだ。試しに自分の首筋を触ったらゾッとしてお腹が冷える感じがした。慣れるまで苦労しそうだな……。
そういえば電源切ったままだった、と携帯の電源を入れた。特に急ぎの話はないようで一安心。
「……好きな人にはメールでアプローチするのかな」
アドレス帳を眺めながらつぶやく。表示された『百井くん』の文字と拡大して少しぼやけた彼の顔写真。
文化祭実行委員みんなで撮った写真だから持ってるわけだけど、ちょうど彼は横を向いてしまっている。私はというと、うまく笑いきれてない顔だ。だからあまり見返したくない……けど貴重な彼の写真。ちなみにこの時はまだ恋愛感情なんてなかった。
メールを送るか送らないか。数分考え込んだと思う。でも、特に話題ないしな……。今日は諦めよう。
とりあえず、片想いの時に何をしたらいいのか情報を集めなきゃ。
今はもう寝よう。そう思い目を閉じた。