15:ごめんね
トイレで意気込んだものの……笠倉さんは、その、スキがなかった。
◇◆◇
「百井くん、移動教室一緒に行ってくれませんか」
「百井くんは今日は食堂ですか? 私もなんです!」
「百井くん、この問題教えてください」
いつ見かけても百井くん、百井くんと話しかけている。
「ロサ……これもあなたの仕業?」
「ええ。百井遊馬や周りがおかしいって思わないように認識させてるわ。まあ一ヶ月くらいしか持たないのだけど」
「じゃあ一ヶ月の間に笠倉さんが百井くんを落とせなかったら私の勝ち?」
「そういうことね」
なら、案外楽勝……なわけがない!
私は4組、百井くんたちは3組。地歴と芸術科目は1から4組の普通科が2クラス合同の授業として行っているのだけれど、隣同士で行ってるのかと言われるとそうではない。奇数で分けられているのだ。もっと言えば体育は1、2、3組と4、5、6組で分かれる。つまりは休み時間と放課後以外に接点はないのだ。
「体育は男女別としても、明らかに向こうのほうが有利じゃない……」
そして休み時間も接触できない。放課後は笠倉さんが何をしているか知らないけれど、美術部の子の話を聞く限り百井くんに会いに行っているわけではないようだ。でも会えないのは私も同じ。
なんだこれ。分が悪すぎるぞこれ。
「邪魔、だと思ってる?」
ロサが意地悪げに聞いてくる。邪魔するよう仕向けたのはロサでしょ。
「どーせなら、本人に直接宣戦布告すればいいのに」
「そんなの無理だよ……」
そうして気がついたら彼女が転校してきてから土日含め4日経っていた。
合服移行期間に入り、テストは1週間前だ。
◇◆◇
廊下を歩いていたら光賀、と急に背中を叩かれた。振り返ると大原先輩が「よっ」と言うように手を上げて立っていた。
男子生徒にしては珍しい水色のベスト姿。校則では合服時のベストまたはカーディガンの色は水色、グレー、ベージュのどれかとなっている。だけれど男子生徒の大半はグレー、またはベージュだ。女子は3色均等に見かけるけれど、男子で水色を着ているのはおそらく1割もいないだろう。ちなみに私も水色だ。
どうしたんですかと聞く前になんとなく用件がわかった。
「えーと、テスト前恒例の勉強会なんだが……明日の放課後でもいいか?水曜あいてるよな?」
演劇部恒例(らしい)テスト勉強会。とは言ってもいつもではなくテスト後に公演がある時だけだ。1時間ほど通し稽古をしてからみんなで勉強する。それだけだ。
「いいですけど……1年生どんな感じですか?」
「入学すぐの課題テストの結果を聞いたけど、4人中3人が微妙らしい……。光賀、お前の得意教科でいいから教えてやってくれるか?」
去年は常に学年20番内に入っていた部長、副部長、中海先輩が当時1年だった私たちの勉強を見てくれた。おかげで中学の時より勉強の仕方がわかったのだけど……。
「私でいいんですか? 先輩たちのほうが……」
「お前頭いーだろ。それに俺は理科科目専門。李津は数学だし中海サンは英語。古典は光賀すごくできるって聞いたぞ」
「でも、教えるってなったら……」
否定の言葉を続ける私を見て大原先輩はため息をついた。頭をかきながら空気がピンとなるような声を出す。
「逃げんな光賀。国語はお前に任せたぞ」
じゃあな、と言って大原先輩は言ってしまった。
「逃げんな光賀」
この言葉はなんだか、私の抱えている問題すべてに当てはまる言葉のような気がした。
そんな部長との会話の後、今私は5組にいる。
◇◆◇
「あっ……辞書忘れた。次の選択英語でいるのに」
教室に戻った時、クラスの誰かが言ったのが聞こえた。
「あ、私の使う?」
電子辞書だから大丈夫だろう、と思い私は貸した。ありがとうと笑顔で言ってもらえてよかった。
「奏衣……あんた次の選択古典でいるんじゃないの?」
貸したあと、史歩ちゃんに言われた。
その時ようやく自分のしたことに気づいたのだ。
◇◆◇
「……というわけで電子辞書貸してください」
休み時間はあと5分。急がないと。
しかし頼りにしてた花純ちゃんも、隣の席にいた松本くんも首を横に振った。
「ごめんね、うちのクラス火曜は古典ないから持ってきてないの。というか私、紙辞書派だから……」
「あ、ちなみに俺も持ってきてない」
花澄ちゃんも松本くんもだめか……。
あと5組で知り合いといえば……木之下くんしか思いつかないけどお互い面識はないから無理だ。というか5組って野球部多いから見渡しても誰が木之下くんかわかんない。
「ありがとう……他の子当たってみるよ」
とりあえず3組に行ってみよう。百井くんにお願いしてみようかな、なんて不純な気持ち、持ってもいいよね。
……ただ他の子に借りる勇気がないだけなんだからね。他の子も百井くんも同じくらい緊張するのなら後者の方がいいってだけなんだから。友達少ないわけじゃないんだからね。
別に誰にも、ロサにも聞こえてないのに心の中で言い訳始めた私は末期だ。
3組を覗くとほとんどの生徒が教室にいた。次は移動教室ではないようで一安心。ついでに数学の教科書がほとんどの机の上に置かれているので次は数学なのだろう。辞書がかぶる心配はない。
「百井くん」
廊下の近くの席だった百井くんに声をかける。教室は騒がしく、彼の周りの席には誰も座っておらず私が目立つことはなかった。
声をかけられた百井くんが私のほうを見て「どうしたの」と言う。緊張する心を落ち着け、息を吸い込んだ。
「あの、古典の辞書か電子辞書持ってないかな」
「ああ、ちょっと待っ……」
「はい」
急に背中をトントンと叩かれる。そして響く可愛らしくも冷ややかな声。
「使って」
笠倉さんがその整った顔を少ししかめて、電子辞書を私に突き出して立っていた。
前の時間は英語だったのか、と彼女の持った教科書を見てぼんやりと思った。百井くんと一緒に移動教室行ってそうなのに、先生にでも呼び出されていたのかな。
ひどく頭は冷静なのに、声が出なかった。
邪魔だなあ、までは思わなかった。善意なのかもしれない。でも彼女が今回の障害だと知っているから、素直にそう思えない自分がいた。
「……ありがとう」
私は笠倉さんの瞳に目を奪われていた。
よく見たら日本人とは異なる、白に近いグレーのぱっちりとした瞳は細められていた。まるで何かを我慢しているかのように。
なんとか受け取り笑うと彼女も口元だけ笑みを浮かべた。
「あ、光賀さん時間大丈夫? あと1分」
時計を見ると確かにそうだった。走らなくてもいいけれどゆっくりしてもいいわけではない。固まった足をなんとか動かす。
「……選択授業だけど私はホームルーム教室だから大丈夫だよ。百井くんもありがとうね」
その場から逃げるように私は3組から出た。笠倉さんの前を通り4組に戻る。
「ごめんね」
謝罪とも喧嘩を売っているとも捉えれる。すれ違ったときの一瞬、聞こえた気がした。




