婚約破棄が連れてきた遊び人
「タチアナ・ワレンスキー。君との婚約は破棄する!」
美しい顔を苦々しげに歪めてそうのたまったのは、私の婚約者のブライアン・モルコット。
その理由は?と質問するのもバカらしい。彼は可愛らしい娘と寄り添い、その腰に手をまわしている。
その娘は神妙な顔を……しようとしているのだろうけど失敗して、微妙なニヤケ顔だ。顔よし身分よしのブライアンを手に入れられたと喜んでいるのだろう。
最近このバカが彼女に入れあげていると、友人たちが教えてくれていた。学校でも社交場でも街中でも、いつも二人は一緒にいるそうだ。
だけど、どうせ祖父の決めた結婚だから、バカが誰に入れあげようと構わなかった。
私に迷惑をかけなければね。
「分かりました。祖父に伝えますが、あなたの家からの正式な申し入れを忘れずにお願いします」
「ふん。無理に平静を装って。相変わらず可愛くない」
思わずため息がこぼれそうになるのを、寸でのところで我慢した。
平静な理由、その一。こうなる予感がしていた。その二。今ここは、王宮の広間。舞踏会の最中。隅っこにいるけれど、とてもこんな修羅場(?)をやる場所ではない。たとえブライアンが好きだったとしても、怒り狂ったり泣いてすがったりしてはいけない所だ。
「アホだと思っていたけど、本当に底なしのアホだな」
突如割って入ってきた声。見れば、レーヴェン・ザッツザウェイだった。珍しく女性を連れていない。当代きっての遊び人が、珍しいこともあるものだ。
「私の気持ちを代弁してくれてありがとうございます」と丁寧に礼を言う。「だけどデバガメはいかがなものかしら」
「面白そうなことは見過ごせない性質でね」
「そうでした」
レーヴェンは飄々と生きている遊び人なだけあって、面白そうなことへの嗅覚が異常に発達しているし、首を突っ込まずにはいられない。三十路のくせに落ち着くことを知らないのだ。
少し前までは、彼との接点はなかった。あえて探すならば、親友の婚約者の叔父という、ほぼ他人の関係。だけどひょんなことから親友を通じて言葉を交わす仲になってしまった。
「失礼だな、あなたは」
ふと気づくとブライアンが顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。ちょっとお馬鹿でも、彼は侯爵家の跡取り(予定)だ。面と向かってアホと嘲られたことはないだろう。
「三男の爵位なしが、よくも僕にそんなことを言えたものだ!」とブライアン。
確かにレーヴェンはそのような立場だ。彼はザッツザウェイ侯爵の弟ではあるが、この国の規則に則って、成人した時点で平民となった。
いまだ実家住まいで官庁勤めをしているから、王宮の舞踏会に参加できるのだろう。多分だけど。詳しくは知らないから。
「これは失礼」とレーヴェン。「教養が足りないものだから、つい本心を隠さず口にしてしまった」
謝っているようで、更に貶めている。レーヴェンめ、面白い人だ。
結局ブライアンはプリプリ怒りながら、可愛らしい娘と共に去って行った。
その後ろ姿を見ながら、
「モルコット家の未来は暗いな」とレーヴェン。
「あちらとうちの当主が親友同士なのよ」
私の祖父とブライアンの祖父のことだ。
「ブライアンはあの通りでしょう?侯爵様が心配されて、それでしっかり者の妻を迎えたほうがいいからって私が選ばれたの」
「災難だな」
「本当。私の祖父も、ブライアンがあそこまでとは思わなかったのよ。モルコット侯爵様は良い方だし、親友を助けたかったみたい」
だけど。ブライアンが私を遠ざけ、代わりにどこの馬の骨とも分からない娘をそばに置いている噂は、両当主の耳に入った。私の祖父は激怒し、彼の祖父は孫のアホさに泣いたという。
二人は私に平謝りで、近いうちに婚約は解消される予定だった。だけどそれを知らないブライアンが、何かやらかすような予感はしていたのだ。まんまと当たってしまった。
「ブライアンは家督を継げなくなるのじゃないかしら。侯爵様が怒り心頭だもの」
「いい気味だ。こんな素敵な君を傷つけたんだ、それでも罰が足りないぐらいだ」
レーヴェンの言葉に背筋がゾワッとした。
「本当に遊び人ね。よくそんな歯が浮く言葉がスルッと出てくるわ」
「事実だろう」と肩をすくめるレーヴェン。「一向に進展のない親友のために一肌脱ぐ、これは十分素敵だ」
「あなたは楽しんでいたわね」
「面白いことが好きだからな」
私の親友はとても可愛い子だ。大好きな幼なじみと婚約したのに、いまだ幼少期の関係『ボスと手下』のままでいて、一向に恋人らしくなれない。
本人はそれでも幸せそうだけど、婚約者(つまりレーヴェンの甥だ)の方は我慢の限界のようだったから、私が関係改善の作戦を考えた。
それが……。
「婚約破棄作戦なんて考えたから、自分にも回ってきたのかしら」
私の考えた作戦が、流行りの婚約破棄にのっかったものだった。作戦は失敗したけど結果オーライ。二人の仲は進展する予定となった(あくまで予定)。
おまけに何故かこの遊び人が首を突っ込んで来て、私たちは赤の他人から知り合いに昇格したのだった。
「あれが下衆な作戦だったから、バチが当たったのだわ、きっと」
そう言うと、レーヴェンがため息をついた。
「そんな訳ないだろう。あれは良い作戦だったよ。甥は君にとても感謝している。何より、面白かった」
「あなたはそればっかりね」
「それだけで生きているからな」
本気とも冗談ともとれる言い方をしたレーヴェンは、微笑んだ。
「今夜は星が綺麗だ。バルコニーに行かないか」
再び背中がゾワリとした。
「遠慮します、遊び人。あなたと二人でそんな所へ行ったらあらぬ噂を立てられます」
「大丈夫。社交界デビュー間もないお子さまは、私の範疇ではないと皆知っている」
そう言うとレーヴェンは優しげな眼差しを私に向けた。
「まだあのバカっプルがその辺にいる。そんな顔を見せたくも、逃げ帰りたくもないだろう?」
「……私が『そんな顔』をしているの?」
あんなバカのせいで?信じられない。
だけどレーヴェンはうなずいた。
「……星を見たいかも」
そう言うと、レーヴェンは再びうなずいて、おいでと手を差し伸べてくれた。
◇◇
ブライアンは初めて会った時から、お馬鹿臭がプンプンした。けれど悪い人間ではなかったから、彼とは上手くやっていこうと思った。祖父たちの期待を裏切りたくもなかった。
最初のうちは仲良くできていた。それがいつの頃からか距離を置かれるようになり、気付けば彼の隣にはあの娘がぴったりくっついているようになった。
原因は分かっている。私が口うるさすぎたのだ。
祖父たちの思いに応えようと、ブライアンがアホな言動をするたび、注意をした。
空になったグラスをバルコニーの手すりに置いた。ついでにため息がこぼれる。
一体どうすれば良かったのだろう。
私は私なりにがんばったつもりだった。がんばらずに、アホなブライアンを丸ごと受け入れれば良かったのか。
……あの娘は、驚くほど私とタイプが似ている。小柄でふわふわした綿菓子のように可愛らしいタイプ。髪や目の色は違えども系統は一緒だ。きっとこれが彼のタイプで、だから祖父たちは私を選んだのだろう。
何だか分からない様々な感情が渦巻いて、ため息ばかりこぼれてしまう。
「タチアナ嬢。見てご覧、今宵の月はことのほか美しい」
軽薄なセリフに、月ではなくて言った本人レーヴェンを見る。
「星には詳しいかい?星座について説明するとしよう」
「……遊び人は女性が好きそうなことに詳しいの?」
「もちろん。星ならばバルコニーに連れ出す口実、花ならば庭へ誘うきっかけ、って具合だ」
「まめね」
「ズボラじゃ立派な遊び人にはなれない」
「未来の姪の親友のケアも怠らない、と」
レーヴェンは密やかに笑って、私の頭を撫でた。
「遊び人は傷ついている女の子を放っておいてはいけない決まりだ」
「案外、大変ね」
「努力の上に成り立つ名誉職だ。尊敬したか?」
「しないわ」
手厳しいなとレーヴェンは笑う。
彼の微笑みは都中の女性を腰砕けにするとの噂だ。だけど彼は絶世の美男という訳ではない。美男ではあるけれど、そこそこ。彼より上は沢山いる。
それなのに『都中』なんて言われるのは、きっとこの優しさが根底にあるのを、みんなが知っているからだろう。弱っているところに静かに寄り添って、あからさまな励ましの言葉をかけるのではなく、自然に心がほぐれるような会話をする。
アホでお子さまなブライアンとは大違いだ。
それから私とも。
「相手が婚約者だろうが何だろうが、悪いところを正論で注意されてばかりでは、誰だって嫌気がさすわよね」
「そうだな」とレーヴェン。「だけど根本的に間違いがひとつある」
「何かしら」
「それは親や家庭教師の仕事だ。婚約者の仕事ではないし、そんなことを婚約者に期待するのが間違っている」
穏やかな表情のレーヴェン。
「……私、期待されていたなんてあなたに話してないわ」
「ご婦人の友人が多いからな。噂話には通じている」
「なるほど」
さすが遊び人。
ふう、と大きく息をついた。
「『婚約者の仕事じゃない』のね」
「考えてみろ。身内が出来なかった躾を、赤の他人で年も変わらない婚約者が出来るか?」
「そうね。いやだ、私のこの二年間は何だったのかしら」
「愚かな男について学ぶ時間」
「かなり学べたわ。同世代の中では一番詳しいかも」
「何でも一番になることは良いことだ。それだけ努力を重ねた結果だからな」
レーヴェンはモテるだけある。よくこんな言葉が途切れなく出てくるものだ。
「では次は遊び人について一番詳しくなるかい?」
向けられた顔は、にっこりとした笑顔。
「……デビュー間もないお子さまは範疇外なのでは?」
「そう。だけどマナーとして一応口説いておかないとな」
「じゃあせっかくだから、口説かれておこうかしら。ブライアンにはずっと女性扱いされていなかったから」
そう言った途端に、ポロリと涙が一粒零れて驚いた。
あんなアホ、と思いながらも予想外にダメージが大きかったらしい。
と、目の前が陰ったかと思うと、レーヴェンが涙の零れた目元に軽く口づけた。
「今夜は私が君をお姫様扱いしよう」
離れたレーヴェンは微笑んだ。
「……今の、初キスなんですけど」
「えっ!!」
途端に焦るレーヴェン。さっきまでの余裕の表情はどこへ行った。
「この程度もしたことがなかったのか!?18だよな!?」
「だってブライアンに避けられていたもの」
「いやだからって、ブライアン相手じゃなくても」
「遊び人の自分を基準にしないでくれる?」
レーヴェンはしばらく、うわうわと、おかしな声を上げていたけれど突然我に返った。
「いや、済まないことをした。初めてがこんなおじさんで申し訳ない」
思わず吹き出す。
「遊び人のセリフらしくないわ」
「女の子を傷つけたら、遊び人失格なんだ」
「規定が多いわね」
「だから名乗れる人間は少ないんだ」
「大変、私のせいで貴重種の個体数が減ってしまったのかしら?いいわ、傷ついてないから。失格ではないわよ」
レーヴェンはぷっと吹き出した。
「君は本当に面白い子だな。甥カップルも見ていて飽きないけれど、彼らの親友なだけある」
「それ、女性への褒め言葉としてどうなの?遊び人らしくないわ」
「遊び人としてではないよ。私の素直な感想だ」
「……それなら。私も素直にありがとうと言うわね」
よし、とレーヴェンは言って私の腰に手をまわした。
「だいぶ良い表情になった。広間に行って踊ろう。そのあとは」彼はニヤリとした。「私はね、ご婦人だけでなくて男性諸君にも顔が広い。ブライアンが悔しがるようなイケメンたちで君を囲おう」
「婚約者がいるのにはしたないと思われてしまうわ」
「大丈夫。あの破棄騒動は他にも見ているご婦人たちがいた。今頃広間中の噂になっているはずだ。もちろん君への同情心と共にね」
何ですって!?
それは恥ずかしいよね!?
「ついでだから独身で婚約者のいないイケメンを見繕う」とレーヴェン。
「……あなたの友達?」
「そうなるな」
「じゃあ遊び人仲間じゃない!」
「大丈夫、みな、傷心の令嬢への態度は弁えている」
「私の評判が大丈夫ではないわ!」
「大丈夫だって。心ある人は、今夜ばかりは遊び人たちが、お姫様を守る騎士になったと思うさ」
「そうかしら!?」
「そうだとも」
そうして私は広間に連れ去られ、レーヴェンの言った通りにイケメンに囲まれ、次から次へと踊った。
婚約破棄騒動の噂を聞いて心配してくれた親友カップルも、ずっとそばにいてくれた。
何だかよく分からない狂騒の中、すっかりブライアンのことは忘れて、楽しい気分で舞踏会が終わったのだった。
◇◇
それから。
ほどなくして、ブライアンは学校を退学した。彼の愚かさに呆れた侯爵が、精神を鍛え直せと一言、孫を異国の旅商人に預けたそうだ。お供も付けずに。
一応あれでも侯爵家の人間だから、諸外国の言葉は話せる。けれど甘やかされて育った彼は、使用人なしで服が着られるかすら怪しい。
さてはて、どうなることやら。
ブライアン意中の娘は男爵令嬢だったらしいが、両親の壮絶な怒りを買って、修道院に送られたという。だけど彼女はそこでブライアンが帰るのを待つと言っているそうだ。
どうやら本気で彼を好きだったらしい。
それならどうして、まともな手順を踏まなかったのだ。それともその判断がつかなくなるぐらい、恋で盲目になっていたのだろうか。
そうして、私。二人の祖父に謝られ、あちらからは慰謝料が、こちらからは詫びのプレゼントがたんと届いた。
あんなアホと結婚しなくて済むのだから私にとっては慶事だけれど、ありがたくいただいた。
さて、そこで問題がひとつ。
なんとなくあの晩に、自分でもまずい予感はしていた。そしてその予感は見事に的中。
私はレーヴェンを好きになってしまった。
だって弱っているところを、あれだけ親切にされたらそうなっちゃうよね。
だけどあの人は自他共に認める遊び人で、恋人が何人いるのかも分からないような男だ。
しかも私は範疇外とはっきり言った。
全く、あの遊び人はどうしてくれるんだ。
だけど私だってバカじゃない。傷つきたくもない。
好きな気持ちは誰にも言わず、胸の奥底にしまった。
顔を会わせれば弾む会話を楽しんで。舞踏会で誘われれば一緒に踊って。
ただの知り合いから、親しい知り合いにステップアップした。
それ以上は望まない。望まれてもいないしね。
これまでレーヴェンを軽薄な遊び人だと思っていたけれど、祖父や父に探りを入れたら、筋金入りの遊び人だと判明したのだ。
侯爵家の三男に生まれたレーヴェンは、幼い頃から将来を見越して、熱心に勉学に励んでいたそうだ。その甲斐あって政治経済法律に通じる優秀な官吏となった。
その才は国王陛下すら認めるもので、いずれは大臣になるのではと噂されているそうだ。
人は見かけによらない。
ただ、侯爵家出身でも家を継がない彼の身分は平民だ。このままでは大臣にはなれない。
そこで陛下も友人たちも、跡取り男子がいない貴族の家の娘と結婚して、婿養子に入るよう勧めているそうだ。
だけどレーヴェンは、そんな窮屈な結婚をして大臣になるより、気兼ねなく遊べる生活を選ぶと宣言しているという。
そんな彼に恋するなんて、私は本当にバカだ。ブライアンといい、男運がないのかもしれない。
ポツリぽつりともたらされる縁談を断りながら、しばらくの間はレーヴェンとの今の関係を大切にしよう、と思うのだった。
◇◇
やがて私は学校を卒業し、親友カップルが結婚をし、気付けば生産性のない片思いが始まってから一年が経とうとしていた。
レーヴェンと私の間柄に何の変化もなく、親しい知り合いのままだ。私たちの会話が面白い、なんて彼の友人たちにもてはやされるが、それだけ。
そろそろ気持ちに踏ん切りをつけて、適当な相手と結婚すべき頃合いだろう。
婚約破棄された当初は、結婚は私の好きにしたらいいと言ってくれていた両親も、最近そわそわしている。娘が売れ残らないか心配なのだろう。
そんなこんなで、ある日、幾つか届いている釣書を侍女と二人で検討していると。執事がやって来て、レーヴェンが来ていて会いたいと言っているがどうするかと尋ねた。
彼が私に会いに来るなんて初めてのことだ。しかも約束もなしになんて、何があったのだろう。
驚いていると執事が、彼は祖父の元を訪れていて、そのついでのようだと教えてくれた。
それなら分かる。
了承して、レーヴェンに会うことにした。
彼は顔が広い。いっそのこと、彼に釣書を見せて、結婚に適した人を選んでもらおう。
応接室に入るとレーヴェンはひとりで椅子に座り待っていた。祖父との用事は終わったらしい。
挨拶を交わすと彼の目は私の手の中の紙束に向けられた。
「それは?」とレーヴェン。
「釣書」と私。「選びようがなくて。あなたは社交家だから彼らにも詳しいのじゃない?意見を聞かせて下さいな」
「どれ」
とレーヴェンは釣書を受け取った。
「あなたの用件は何かしら」
「後でいい」
珍しく真剣な顔つきでレーヴェンは釣書に目を通している。
我ながら自虐的だとは思うけれど、彼の人を見る目は信頼できる。この一年でそれが良く分かった。
しばらくするとレーヴェンは釣書をテーブルの上に重ねて置いて、私の方へ押しやった。
「お勧め順だ」
「ありがとう」ひとつ目のそれに手を伸ばす。「それならこれがイチオシね」
「いいや」
彼はそう言うと懐から封書を取り出して、釣書のてっぺんに載せた。
「一番はこれだ。この話をしに侯爵に会いに来た」
「縁談を持って来たの?」
なんで突然そんなことを。
さすがに、これはへこむ。
載せられた封書を手にとる。
「来春、隣国に大使として赴くことが決まってな」
レーヴェンの言葉に彼を見た。
「……おめでとうございます」
それは凄い。大使は国の代表だ。それに任命されるということは、それだけ信頼できる人間と陛下からのお墨付きをもらうようなものだ。
だけど大抵の場合、既婚者が選ばれる。行事や夜会などに出るにはパートナーがいた方がいいからだ。独身のレーヴェンが選ばれるなんて、余程のことだ。こんな遊び人なのに、本当に仕事はできるらしい。
「ああ、なるほど。国を離れる前にと、私を心配して縁談を持って来てくれたのね。ブライアンとの破棄騒動に居合わせてしまったから」
封書を開く。
「……大使は名誉なことだがね。私はどこにいても面白く楽しく過ごしたい」
「さすが遊び……」
開いた紙を見て目を見張った。正式な釣書ではないけれど、三代前からの家系図に、本人を含め全員の詳細な経歴、財産目録、これが事実に相違ないとの第三者のサイン。
レーヴェンを見る。
「一緒に来てくれないかな」とレーヴェン。
「……どこへ?」
「隣国」
手元の釣書に目を落とす。
再びレーヴェンを見る。
「君がいれば、どこで暮らそうが毎日楽しいだろう」
「……私は娯楽要員として帯同するの?」
「それもある」
レーヴェンがため息をついた。珍しい!
「自慢じゃないが、口説き文句は星の数ほど口にしてきたが、求婚は初めてなんだ。もっと面白い演出をしたかったけれど、何も思い浮かばなかった」
「『求婚』」
その言葉を繰り返してから、再び釣書を見る。何度見ても、レーヴェンの名が書いてある。
ふと視界に入った彼の両手が、膝の上で固く握られていることに気がついた。
いつも余裕綽々で飄々としているレーヴェン。なのに今は、微妙に顔が強ばっている。
これは本気で求婚されているのかも。
……本当に?
またいつもの軽口やおふざけではなくて?
胸の奥底にしまった筈のものが爆発する。
本当に?
そんなことある?
レーヴェンは自他共に認める遊び人なのに。
「やはり駄目だろうか」
そう尋ねるレーヴェンの顔は、確実に強ばっている。
「……駄目ではないわ」
答えながらも心臓が口から飛び出そうだ。顔も熱い。
「だけど面白い返事が思い付かないの。娯楽要員としては失格じゃない?」
「その答えだけで十分面白い」
レーヴェンは立ち上がるとテーブルを回って私の元へ来た。そして床にひざまづくと片手を胸に当てた。
「私、レーヴェン・ザッツザウェイは今ここで、遊び人を卒業することを誓う」
「え?それ?」
思わず拍子抜けする。ひざまづいたら愛を誓うのだと思うわよね。
「全てはタチアナ・ワレンスキーへの愛のために」
そう言ったレーヴェンは、都中の女性が腰砕けになるという微笑みを浮かべた。
思わぬ時間差攻撃に、息が止まりそうになる。
私と違って遊びなれたレーヴェンは、キザったらしく私の手の甲にキスをした後立ち上がって、更に額に口づけた。
「続きは正式に婚約をしたら」
とレーヴェン。
「まだ駄目ではない、としか言ってないわ」
経験の差を見せつけられて悔しいので、ごねてみる。心臓がバクバク鳴っているのなんてバレているだろうけど、構わない。
レーヴェンは、えっと叫んで青ざめた。
「あなたらしくて面白い求婚をしてくれなくちゃ嫌。私も気のきいた返事をしたい」
「やり直し?」
「やり直し!」
「分かった、作戦を練って出直そう。その代わり、ひとつ約束をしてくれ」
「なあに」
レーヴェンは再び私の手の甲にキスをした。
「及第点がもらえるまで頑張るから、他の男と婚約しないでくれ」
「分かったわ、恋愛だけにしておく」
「それも駄目!」
「ひとつじゃないじゃない」
「他の男に関することは駄目、でひとつ」
二人で笑いあう。
ふとレーヴェンが顔を寄せた。耳に小さな声で
「好きだよ」
と囁かれた。
彼の顔を見上げると、真っ赤だった。初めて見る。
「真面目なのは苦手なんだ」
とそっぽを向いて言う。
「遊び人だから?」
「元、だ」
私も立ち上がって、レーヴェンの耳に囁いた。
「ああ、くそっ」とレーヴェン。「なんだこれは。信じられないぐらい嬉しい」
そう言って彼は私を抱き締めて。
ずっと隅に控えていた執事がすかさず、ゴホン!と咳払いをした。
◇◇
私が聞いたレーヴェンの話で、事実と少し違うものがあったらしい。 婿養子を勧められているやつだ。
実際は跡取りのいない老公爵に気に入られていて、養子に入ってほしいと請われていたそうだ。ただ条件があって、それが結婚すること。レーヴェンの代で途切れたら、養子の意味がなくなってしまうからね。
それで私と結婚が決まったレーヴェンは、公爵家の養子となった。もちろん名字も変わった。
「私への誓いは無効ということね、遊び人。あれはレーヴェン・ザッツザウェイの名前のものだもの」
そうしょんぼりしたら、彼は慌てて新しい名前で誓い直した。
案外に可愛らしいところがある。
それとおまけ。夫婦になった私たちが隣国へ出立する直前に、ブライアンが帰って来た。別人のように立派になっていて、両親祖父母は歓喜にむせび泣いたという。
あの祖父の血をちゃんと受け継いでいたか、と私の祖父も喜んだ。
けれどブライアンは、愛しの男爵令嬢が修道院に入ったと聞いた翌日、姿を消した。なんと彼女を連れ出して出奔したらしい。
手順を踏めば許したのに、とモルコット家の面々は唖然として、それから、馬鹿は直らないのかとがっくりしたそうだ。
お気の毒に。
とにかくもブライアンと彼女の幸せを願うよ。二人のおかげで、面白く楽しい人生を送れる伴侶が見つかったから。
と、元遊び人のレーヴェンは嬉しそうに言ったのだった。
お読み下さり、ありがとうございます。
タチアナとレーヴェンの出会いは
『「婚約破棄だ!」と叫ぶのは』
になります。
が、こちらの話とはあまり関係がありません。
タチアナの親友カップルの話です。
もしご興味がありましたら、合わせてお読みいただけると幸いです。
◇以下 2019,11,1 追記◇
レーヴェンが求婚するに至った心理の話、『遊び人の卒業』(短編)をアップしました。
良ければ合わせてお読み下さると、嬉しいです。
また、誤字報告をありがとうございます。
◇◇
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