春は繁殖期、スタンピートもいとわろし
スタンピートとは自然状態なら数百年に一度、迷宮やその他特殊な地理条件や魔法的要素、魔力などの不確定要素によってその感覚が変わることはあるが、まぁまぁな時間が空けば発生する魔獣の大量発生の事である。
生態学的には恐らく繁殖期が小規模攪拌なのに対しこちらが大規模な、それこそ生態系内のバランスをあえてぐちゃぐちゃに攪拌することで多様性を維持しようとする自然の動きである。と考えられており、新種の発生や魔獣の進化などさまざまな現象の引き金であるとされている。
いや、そうではなく。
重要なのは人間の住む領域への深刻な損害と数年単位の生態系の大幅な乱れによる資源確保の不安定化である。だが、俺が驚くのはそこからさらに先、なんなのかでも、何が起こるのかでもない!
「そんな!ここのスタンピートは10年前に起きたばかり、最近ようやく安定した生態系が出来たばかりじゃないか!?」
知識というのは力だ。
本は読めるだけ読んできた。その中にこの王都周辺であった大規模な災害、それに属する現象の発生とその期間を考察する資料があった。
「ふふん!素晴らしい、さすが今期の有望新人グラジオ君、そこに疑問を持ってくれるなんてお兄さん感激だ!」
しまった。結界内では彼以外喋れないはずなのに喋ってしまった。だが、彼はそれを気にすることなく。しかし俺に視線を注ぎながら話を続ける。…いや、待て、彼?
「さて、たしかにスタンピートは10年前にあった。だけどね、規模と期間が縮小しているんだ。これが何を示しているのか、森を出てしまった僕のような不心得なエルフにはとんとわからないが…」
嘘つけ、絶対把握してるけど言っても仕方ないか無用な混乱が起こるから言わないだけだぞ、短い付き合いというかそもそもあって間も無く圧迫面接されただけだがわかる。人の上に立つに相応しいぶっ飛んだ思考の持ち主だ。
というかそもそも己の姿すら偽っていたなんてどういう風にぶっ飛べばそうなるんだ。組織の長としての機能はその身体にもあるというのに、そんな状態でよくもまぁココの職員はついてきてくれたものだ。
「少なくとも、今まで100年単位で行われていたサイクルが前回50年にまで圧縮されている。次は一体いつ来るか、そして何が来るか、王都近くで人も多いこの街だが、防備は50年前の襲撃でかなりボロボロだ。修復は進めているけど…次いつ来るかわからない以上、積極的に動くしか策はない、待っていても冒険者ギルドだけが残った荒野なんか意味がないからね?…他に質問は?出来ないならば明日の昼ごろまでに受付嬢に伝えてね。」
そう言って締めくくった彼は結界を解除した。それと同時に俺の目に見える彼の蜃気楼のような姿も元の青年のものになる。
ギルド長は意味ありげに俺に視線を寄越してきたが、彼の事情よりも今の現状の方が重要だ。俺は彼かそれとも彼女か判らないエルフから目を逸らし、ザックの方へと向き直る。
彼は気付のための苦虫でも噛み潰したかのような渋い顔で眉間にしわを寄せ何かを考えていたようだが…どうにもこうにもいくら考えたところで今じゃあ情報がたりない、早急に調べる必要がある。俺もそのような事実があると知っていたと言うだけなのだ。
「とりあえず、明日はいつ会える。ザック」
「…明日の依頼をキャンセルすれば朝稽古の時に会えるはずだ。だが…」
何かをいいよどむ。言おうと口を動かすも躊躇い、伝えようという意志とは別の何かが彼を押しとどめていた。何か事情を知っているのだろうか?それとも学園生のみ何かを知らされているのか、ザックが特別なのか、まぁ今はどうやら珍しく歯切れの悪い彼に付き合っていつまでも起きていても意味はないようだ。
「言いたいことがあるなら明日にしよう。俺はもう寝る」
「…っ!グラジオ、俺はこの依頼を受けることができない、済まないが明日も会えない」
「……そうか」
振り返らず返事をする。なんだ。切羽詰まって多少荒々しいがきちんと宮廷のような丁寧語が喋れるじゃないかと感心する一方、俺はその化けの皮を剥がれたような慌てぶりにどうしようもない何かを感じることしかできなかった。
「なるほど、それでは…」
「ああ、受けるつもりだ。金入るし、長期滞在を決めた今この街が吹っ飛んだら困るからな」
部屋に戻った俺はとりあえず守秘義務とか関係なくジェシカさんに相談である。相談といってもほぼ事後報告だが、しないよりはいいだろう。
「私も付いて行くべきでしょうか?」
「いや、あー、判らないな、ギルド長やら受付嬢さんに聞けばいいかもしれないが、今回の依頼はかなり面倒くさい、俺自身も言うほど強くないからなぁ…」
そもそもこの話をしたといい事実が明らかになった時点で俺がこの依頼を受ける資格無しとして処理される可能性もある。が、最も大きな問題はそこではない…単純な戦闘力、生存力の問題だ。
ジェシカさんはたしかに魔法使いとしては卓越した近接戦闘技能を持ち、負傷していたとはいえ暗殺教団の暗殺者さえ退けた戦士だが、その戦闘力の源は魔力であり、実際あの戦闘力を常に発揮することは出来ない、完全にそれだけを考えられるなら30分は持つだろうが、繁殖期の森で探査や警戒などで魔力と集中力を消耗していれば彼女の実質的な先頭可能時間は5〜10分程度、そして俺の魔力障壁が中級魔獣程度までの攻撃ならば補填可能な魔力消費で受けられるのに対し、彼女の鎧は余りに脆弱であるし、魔獣が放つ魔法への対策も十分とはいえない…
だが、ザックがこの依頼を受けられないとなると彼女に無理を言って頼み込む事もあるだろう。
「頼むかもしれないけど、基本的にはジェシカを連れて行くことはないよ」
「そうですか…いえ、正直言って今の私が森へ行ったところでどうしようもありませんからね、せめて学生時代の魔導具と装備があればもう少しマシなのですが…まぁ、今無い物をねだっても仕方がないですよね…」
そんな伏せ目がちにして儚げな美女的な美しさを醸し出そうとライオンの雄々しい鬣めいた髪が笑いを誘うが、真面目な話なので苦労して笑みを抑え込む。
まぁ、もしスタンピートが起こるという確証が得られなくとも得られてもまず揃えるのは彼女の装備だろう。金の工面を急ぐ理由はそこにある。彼女の戦闘スタイルは近接魔法師だが、その中でも器用に土魔法による金属生成などの錬金術を行う彼女には適切な触媒と魔導具が必要だ。
例えば魔力の込められた特殊な液体金属があれば剣や鎧の強度上昇、魔法発動による魔力省への軽減、液体金属に精製された金属やそこに込められた魔力によってはより大きな物やより複雑なものを生成出来るようになるし、今彼女が着ている魔獣の革で出来た鎧の様に魔獣の特性や魔法を引き継いだ装備があれば魔力の外付けや回復力の上昇、土魔法全般の強化などなど…錬金術に長けた土魔法使いは術者の持つ触媒や装備によってそれこそ幾らでも化けるのだ。
勿論、それらをきちんと揃えようと思えば莫大な金がいるが、この国をでた暁には彼女のもともと持っていた冒険者証を使い、資金や装備品などギルド預かりになっている品を引き出すことができる。
この国でしない理由は…もはやわかりきった事だが、足が付くのを嫌ってだ。国外ならまだしも国内となるといくら治外法権的な権力を持つギルドでも対応は難しいし、金や品はギルドの持つアーティファクトを使った管理をされているとはいえ最終的には人の手を使って運び出される。そこに圧力がかかれば全ては一瞬で終わる。
というか、今更ながら装備品や金を預けられるのも初級と中級の大きな差だ。そこから考えれば彼女は学生時代に中級冒険者として問題なく活動できるほどの戦闘力があったという事だ。体さばきや基本的とはいえ体術の達人クラスであるピーター氏とはまた別な術理を知る彼女、魔力や外部的な要因が関わらない単純な技量は俺など手も足も出ないし、こと人型相手では自分よりも上の魔力量や膂力を持つ相手を打ち倒せる程の使い手、それが初期装備とはいえ1分もたなかったアルブレヒトがすごいのか、それともアイテムを駆使する術者が近接戦闘職相手にほぼ無手で1分位戦えたのがすごいのか…
ま、考えたところで意味はない、重要なのは彼女はこんなに色々と抜けているし、恐らく戦いから離れて久しいのだろうにもかかわらず普通に強いということ、そしてそうであっても魔獣や猛獣のひしめき、更にそこに不確定とはいえ確実に何らかの異変を抱える今の森は危険であるということだ。




