95話 戴冠
「これより戴冠式を始める」
厳かな声と共に式が始まった。
白亜の城は、かつてのセレスティアン王国の王城に比べれば質素なものの上、あちこちを急ごしらえで修繕したために見る者が見ればみすぼらしいとすら感じられるかもしれない。
けれどそれは生き残った者達全員の力を合わせて成したものだ。
そのことがベニートは誇らしかった。
跪くベニートの前にセレナ教の大司祭が歩み寄る。
「ベニート・アイト・セレスティアン。汝を女神セレナの御名の元、新女王として認める」
この世界の人間は基本的に一神教、女神セレナのみを信奉している。国王の就任にはその箔付けとして女神からの許可をもらうのが通例だった。
とは言え女神と直接会話して許可をもらうことなど出来はしない。チャンネルを持つ神官たちですら基本はセレナからの一方通行の託宣になるのだ。
なので女神セレナの名を借りるために神官たちが国王に就任する者の名を数日間祈り、セレナからの何らかの託宣がなければ認められた者として発表するのだった。
「謹んで拝命いたします」
白い神官服を身に纏った大司祭が大きな儀礼剣を差し出してくるのを受け取る。
儀礼用の剣は細腕のベニートでも持てるよう軽い素材で見た目だけを取り繕ったものだ。
ベニートは儀礼剣を手に持ったまま大司祭の前を離れ、式典に集まった者達の間を抜けて歩く。
式典会場の謁見の間から続くバルコニーへと向かうと、儀礼用の服を身に纏ったマッケイン伯爵が控えている。
目線だけで促して二人、並んでバルコニーへと出る。
マッケイン伯爵は隣まで進むと跪く。
バルコニーからはデュナークの都が一望できた。
かの龍の襲来から一週間。
急ピッチで復興が進められているものの、未だ爪痕が深く残る。
高い建物はこの城を残してほぼすべてが倒壊している。瓦礫をかき分け隙間を作った場所には王都からの避難民や家を失った者達が住む仮設テントが並んでいた。
新女王戴冠のため、城の周囲に集められた民たちがバルコニーを見上げて新女王から言葉を待っていた。集まる視線は、どれもがこれから待ち受ける未来に対する不安に揺れているようだった。
全ての視線を受け止めながら真っ白な剣を掲げ、ベニートは口を開いた。
「多くの人の命が失われました。しかし我々は後ろを向いてばかりはいられません。私はここにいる……」
そう言って目を隣に向ける。
跪き新女王への忠誠を示していたマッケイン伯爵が立ち上がった。
「マッケイン・デュナーク伯爵を夫として迎え、ここに新しくデュナーク王国の樹立を宣言するものとします」
新しい王国。
新しい時代の幕開け。
それを悟って民たちの目に、不安とは別の色が宿り始めた。
「これからの未来を作るのは私たちです。たとえ何があろうとも、私は戦うと誓いましょう。あなたたち民を見捨てないと誓いましょう。王家の血が絶えぬ限り、この誓いは不変です」
宣言と共に、集まった民たちから歓声が巻き起こる。
「女王陛下万歳!」
「女王陛下万歳!」
新しい女王の宣言に、民たちは希望を見た。
きっと、明日が今日よりもいい日になるだろうと。
新女王がそのために戦ってくれるだろうと思って。
鳴りやまない歓声を前にして、新女王ベニート・アイト・デュナークは自分の初仕事を無事に終えられたことを実感してほっと胸をなでおろしたのだった。
◇
城のバルコニーから空を見上げるとそこには見慣れた夜空があり、ほんの少し前そこを龍の体が埋め尽くしていたなどとはとても思えなかった。
「ベニート様、本当によろしかったのですか?」
マッケイン伯爵―――今は国王が声を掛けてくる。
その目に後ろめたさや卑屈めいた光はなく、ただ純粋にベニートを心配していることが見て分かった。
だからベニートは、あえて微笑みを作る。
「この国には新しい王と、その王国の繁栄を約束する血統が必要です。そう言う意味であなたは間違いなく適任でしたよ」
この地を治める者としてマッケインは優秀だった。今でこそ龍の襲撃で無残な地になり果ててしまったが、他領と比較してもこの領は豊かであったしそれを成したのが目の前にいるマッケインの手腕によるものであることは疑いようがない。
民たちもそれを理解してこの領主を慕っているのだ。
その土地で新たな王国を拓くと言うのであれば、これ以上の伴侶は存在しないだろう。
……だがもちろん、マッケインが問いたいのはそんなことではない。
「そうではなく、勇者殿の事を待たなくて本当に……」
よろしいのですか、と言う問いは最後まで口に出来なかった。
ゆっくりとした動作で歩み寄ったベニートが細い指でふさいだからだ。
「もう、待たなくて良いのです」
努めて平静を装いながらベニートは答えた。
亜人族・魔人族戦線に送り込まれた軍は跡形もなく消失していたことは既に調査部隊の知らせで知っていた。かろうじて生き残った者達はほとんどが正気を失っており、まともなことを語れるものは誰もいなかった。
結局、勇者とその仲間たちの行方は分からないままだ。
だが報告を聞いた者達は誰一人として彼らの生還を期待してはいなかった。
それほどまでに、あの日天に現れた存在は圧倒的だったのだ。
「……私は、生涯あなたを支え続けると誓います」
「ふふっ、急にどうしたのですか?」
改まって礼を取るマッケインの言葉にベニートが思わずと言った様子で笑う。
「宣言です。彼の勇者は真実あなたを愛していた。同じ人を心の底から愛したものとして、彼とあなたに対するこれが私の礼儀だ」
「……」
「あなたの心まで欲しいとは言いません、ですがどうかあなたの重荷をわずかでも分けて下さい。そして隣を歩むことをお許しください」
マッケインはベニートが本当は勇者と共に戦場で、彼の隣で戦いたかったことを知っている。ベニートがいかに勇者の役に立ちたかったのか、対等な存在として共にありたかったのか。
今自分が代わってしまった場所こそ、本当は勇者がいるべき場所だったのだ。
卑屈になるでもなく、まっすぐに思いを素直に伝えてくる男の姿にベニートは自分も答えるべきだと思った。
「許しなど、必要ありません」
ベニートはマッケインの手を取る。
「私にはあなたが必要なのです。ですから、共に歩んでください」
「……はい」
マッケインの目に安堵の光が灯る。
「それに、彼とはいつかまた会えると信じています。どんな形かは、分かりませんが」
そう言って、闇のとばりの向こう。
新たに出来上がった急峻な山脈を仰ぎ見る。
いつか、きっと会えるはずだ。
何故かベニートにはそんな予感があった。
その時こそ、彼の隣を歩んでいこう。
◇
「うふふふ」
夕暮れの空が反射する湖面の世界で、セレナは一人嫣然と微笑んでいた。
事はほぼ彼女の思惑通りに進んだ。
龍人たちを異世界から召喚し、あの世界に巨大な戦乱を巻き起こしたのはセレナだ。
彼女が求めていたのは戦乱後の世界。
大きな戦いの後には大きな発展が常に存在する。
その中でどうして人間種に大きく肩入れしたのか、そう問われれば彼女はこう答えただろう。
だって、私と違う姿のヒトなんて私の世界にいらないもの、と。
「うふふふ」
龍人があのような姿になったことは予定外ではあったが、計画も若干の修正で済んでいる。向こうの世界で1500年ほどの計画が1700年くらいに伸びた程度だ。誤差の範囲内である。
「それにしても、『千変万化』はあんなに強いギフトじゃないはずだったのだけれど。どうしてああなったのかしらね。転移者に渡すギフトは確認しておく必要があるわね」
腰かけていた巨大樹の枝から宙へと身を躍らせる。
だが重力に引かれて落ちるようなことはない。
ここはセレナの世界だ。
彼女が方であり秩序。
宙を踏みしめながら空と湖の狭間を歩く。
「あの龍のシステムは使えるわね。これから送る転移者にはその因子を埋め込んで……それを利用すれば、あるいは……。そうだわ、神官を通じてあの龍を世界の敵『魔王』として認定してあげましょう」
くるくる、くるくる。
何もない中空を円を描くように滑らかに滑る。
「ああ、楽しみだわ。もう少し、もう少しで私は……」
大仰に一人でダンスを踊るかのようにくるくると回りながら陶然と呟く。
誰もいない世界で独り、セレナは舞い続けていた。