94話 山脈
「将軍閣下、いつでも出陣できます。ご命令を!」
「うむ」
会議を終えた若き将軍は待機させていた兵士達に合流した。
空を飛ぶ龍は北東の空から現れており、対応するために連合軍の戦える部隊はそちらへ偏り始めているのが確認されていた。これを好機と見たベニートは南のデュナーク領へと向かうため、南西方面の包囲のほころびを突くことを決めた。
将軍以下兵士たちの任務はその露払いと護衛にある。
はずだった。
「これより我らは東の門より出陣し、混乱する連合軍を殲滅する!」
将軍が放った言葉に兵士たちは一様にうろたえた。
あれだけの数の敵軍に飛び込むのかと。
「案ずるな、我らにはあの空より現れた龍が味方する! 恐れるな! 立ち向かえ! ここであのなりそこない共を滅ぼさねば我らの大切な者達は奪われるぞ!」
その言葉が兵士たちを恐怖から奮い立たせた。
大切な家族がいる。
恋人がいる。
友人がいる。
皆等しく守りたいものがあって、この状況でもなお兵士としてこの場所に立っていたのだ。
だからこそ、将軍の言葉を信じた。
信じ込んでしまった。
「進め! 我らの勝利は約束されている!」
鎧兜で覆い隠された若き将軍の目が、怒りと憎悪に淀んでいることにも気が付かずに。
◇
「何だと!? 将軍が東門から連合軍に突撃を敢行した!?」
避難民を連れ、王都の南門へと手持ちの戦力全てをそろえたベニートの耳に信じられない知らせが届いたのはその時だった。
「どうしたのですか?」
「……将軍が……東門から全軍を連れて突撃したそうです」
「……どういうことですか」
そう言われて見れば確かに周囲を見回してみても将軍とその配下の兵士たちの姿が見えない。
王都南側の大門前にそろっているのは、重臣たちの私兵やマッケイン伯爵の様に他領から私設の軍を連れてきていた領主軍しかいない。そして彼らの後ろにほとんど荷物も持たぬまま、着の身着のままと言った体で集まっているのが王都を共に脱出しようとする避難民だった。
彼らは皆一様に不安な顔をしている。
ここでもし、主力の軍がいないことに気が付けばパニックになりかねなかった。
「……王女殿下、勝手ながら将軍には東門より出て囮として戦うよう秘密裏に指示しておりました」
「マッケイン伯爵……」
鎧を着て、馬にまたがっているベニートの傍に駆け寄り膝をついて報告したのはマッケイン伯爵だった。
それはベニート含む重臣たちには明らかな嘘だと分かったが、それゆえに意図も分かりやすいものだ。
故にベニートもすぐに理解して、
「構いません。私達の成すことは変わりありませんから」
そう言って視線を後ろに待つ民たちに向ける。
彼らはベニートの言葉を信じて集まった者達だ。王都民の中には貴族も含め籠城した方が生き残れると考えた者、王国軍が勝てると考えた者、生きることを諦めた者も大勢いた。
故にここに集まった者達はベニートの言葉を信じたのだ。
彼らを一人でも多く守らねばならない。
王都民たちの不安な顔を見てベニートは硬く決意する。
「王女殿下、これを」
マッケイン伯爵が王家の紋章が刺繍された大きな旗――王国旗を手渡してくる。長槍に取り付けられたその旗は目印だ。
これからの逃避行の中で民たちが、兵士たちが続くための。
「これより我らは南のデュナーク伯爵領を目指します。兵士たちは民のために血路を開きなさい! 民たちよ、将軍以下王国軍が敵を引き付けている今がチャンスです! 全力で付いてきなさい!」
王国旗を掲げながら、可能な限り見える範囲の者達の目を見つめる。
「私達が必ず生きてたどり着かせます! 出陣!」
全員は無理だろう。
そう思いながらも、けれど王女としての役割を果たすためベニートは凛とした声で言い放つ。
南の大門が開かれ、遮られていた陽光が差し込んできた。
目を細めながらも、ベニートは馬を走らせ始めたのだった。
◇
「ハッ、ハッ、ハッ……」
荒い息遣いが耳に届く。訓練中にこんな息を乱す者がいれば叱責は確実だ。そんな軟弱物が、しかも自分のすぐそばにいると言うことに苛立って、将軍はあたりを見回した。
だが視界に入るのは右も左も砂埃と、その向こうから聞こえてくる剣戟の音と魔法が放たれる音だけ。
そこまでを理解して、荒い息遣いをしているのが自分だとようやく理解した。
手の中の両手剣は重く、持ち上げることすら煩わしい。剣先は持ち上げられることなく地面に半分刺さった状態だ。
と、ほとんど動くことが出来ないでいる将軍の視界が黒い光で満たされる。
天空から降り注ぐ龍の光線だ。
数条の光線が、将軍のすぐそばを通り抜けて地面を溶かしていく。舞い上がった砂塵でカーテンが作られ、より周囲の状況がわからなくなる。
「クソッ、誰かいないのか!?」
右手で砂塵を払おうとするがわずかに動くばかりで一向に晴れる気配がない。
だが、すぐそばの地面に見覚えのあるものを発見することが出来た。
「おい! 大丈夫か!?」
一瞬見えたそれは将軍になる前から彼の副官として働いていた男の兜だった。
将軍は慌てて左手一本で握っていた両手剣を放し駆け寄る。
一寸先すらもよく見えない砂塵のカーテンの中、一瞬だけ見えたその場所に駆け寄って勘だけを頼りに探す。
奇跡的にさっき見た兜を見つけることが出来た。
「おい、何とか言え……ッ!?」
首の後ろを支えるようにして起こそうとした腕が、するりとすり抜け頭が地面から上がらない。
その副官には首から下がなかったからだ。
「う、うあっあ、ああああッッッ!」
思わず腰から地面にへたり落ちる。
幾つもの戦場を戦い抜いて来た将軍だったが、長く共に戦って来た副官の――それも首だけとなった姿には動揺を隠せなかった。
その顔は、死の間際の苦痛と恐怖に固まっていた。
地面に転がったままの頭を前にして、硬直する将軍。
そこへ再び黒い光線が降り注いだ。
目の前の空間を薙ぎ払うようして引かれた光線は、副官の頭ごと地面を溶かしていった。
後には副官がそこにいた痕跡は何も残っていない。
「な、何故だ……」
何故こうなった!
天を駆ける龍を見上げて将軍が呟く。
その体にすでに戦うだけの力は残されていなかった。
もはや叫ぶことしかできない。
「どうしてだ!」
見上げた巨龍の口元に光が収束する。
これまで見た物よりも一際大きい。
あっという間に臨界を迎えた光は極太の光線となって放たれた。
将軍の背後にあった王都を一直線に通り抜けるコースで。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
慟哭もむなしく、巨大な爆発音が響き渡る。
王都の方角から津波の様に爆風が流れてきた。重い鎧を装備しているにもかかわらず、まるで紙切れの様に吹き飛ばされる。
ようやく回転が収まったとき、正面には巨龍が覆う星が舞い散る空があるだけだった。
ここにきてようやく将軍は自分の誤りに気が付いた。
あれは自分たちの味方では、もちろんない。
敵の味方でも、ない。
ただ全てを破壊しつくす。
「魔王」
将軍の口から自然と言葉が漏れる。
同時に天に星の如く並んでいた無数の小さな光点から地上へと光線が放たれ、将軍の意識はそこで途切れた。
◇
真っ暗な世界の中一人ただ佇んでいた。
龍人は自分がどうしてここにいるのか全く思い出せなかった。ただ耳元でささやかれる声だけが頭に入って来る。
「龍人、私を守って」
そうだ、守らなければ。
声は龍人にとってとても大切な人の声として聞こえていた。
誰かは分からなかったが、絶対にそうだと思えたのだ。
「ほら」
声に示され見下ろす先に、肥え太った国王の背中が見える。
何人もの兵士達に周囲を固められながら、必死の表情で馬を走らせていた。
一瞬振り返ったその顔が、恐怖に歪められる。
けれどその醜い体ごと、あっという間に蒸発してしまう。
龍人の放った光線によって消滅したのだ。
「ありがとう、龍人。でもまだ終わりじゃないの。私を殺そうとする者達がいるのよ。ねぇ、助けてくれるでしょう?」
ああ、もちろんだ。
声の主を害する者、それが龍人は許せなかったのだ。
彼女との間に立ちふさがる者達も含めてすべてが許せなかった。
「ほら、次はあれを壊してちょうだい?」
そう声に言われて見れば、龍人の視界一杯に大きな都市が映っていた。
平原の真ん中に建つ都市で、真ん中には小さいながらも城がある。
都市の周囲にはどういうわけか疲れ切った表情の人々がそこかしこにうずくまっており、絶望したような表情でこちらを見ていた。
「きっと彼らもいつかあなたの邪魔をするようになるわ? だから今ここで滅ぼしてしまいましょう? そうしたらこれからは私がずっとずーっとあなたのそばにいてあげる」
ああ、それはとてもいい。
そう思えた。
口元に魔力を収束させる。
これまであらゆるものを消し去って来たブレスだ。
ようやく終われる。
安堵と共に光線を放とうとして、しかし龍人の目があるものを捉えた。
城の上。
バルコニーに立つ一人の少女。
その姿を見た瞬間、頭の中を衝撃が駆け巡る。
一気に思い出されるこれまでの事。
脳内を駆け巡った記憶に、口元から放射されるブレスの向きを間一髪のところで方向を変える。
「どうしたの?」
耳元でささやかれる声。
この声は何者だ。声を聞く度に、この人を守りたかったのだという使命感だけが湧き上がって来る。
「私? そんなこと、どうでもいいことよ。それよりもあの目障りな城、消し飛ばしてしまいなさい」
一瞬だけ、わずかに思い出せた大切な人。
彼女はそんなことを望まない。
ましてや守ってほしいなどと言うことは絶対にない。
真っ暗な世界で、龍人は首を振った。
「いいの? 言うことが聞けないならもう私はあなたと一緒にはいられないわ」
「俺の大切な人は、あそこにいる! お前は誰だ!」
囁きを振り払うようにして大きな声で叫ぶ。
「あら、もう気が付いてしまったのね。勘のいいこと」
「……お前の声聞き覚えがあるぞ。そうか、お前は……」
一瞬で、龍人がいる世界の色が塗り替えられる。
黒から赤へ。
その世界の中に一人の少女が空から降り立つ。
「女神セレナ……!」
「お久しぶりですね、勇者龍人」
目の前に降り立った少女の姿は、初めて会った時から全く変わりはない。
どこかの学校の物に見えるセーラー服を着ていた。
長い黒髪は三つ編みに結われて、文学少女か図書委員を連想させられる。
だが今、龍人の目に映るセレナの目には、龍人を見下す上位者としての色も見て取れた。
「あんたが、ずっと俺に囁いてたのか」
「はい、そうですよ」
にこり、と笑ってあっさりと肯定するセレナ。
その姿には悪意も邪気も感じない。
「あんたのせいで、どれだけの人間が死んだと思ってるんだ!?」
「私のせい? 違いますよ」
何を言っているんですか、と微笑むセレナ。
「あなたが殺したんじゃないですか、ほら」
「!?」
指を刺されて足もとを見る。
そこには無数の死体が転がっていた。
地平のかなたまで続く無限の死体。
そのどれもが断末魔の苦痛を顔に表している。
視線が訴えてくる。
苦しいと。
憎いと。
その感情が、まるで空気の様に龍人の体に入り込んでくるのを感じた。
「な、なんだ! これは!?」
「あなたの千変万化は想像したモノに変身できる。あの時あなたの心は怒りと憎しみに満ち、その感情を爆発させて破壊の化身たるあの龍の姿をとりました」
セレナが静かに語るが、龍人はそれどころではなかった。
頭の中に自分の物とは思えない、抑えきれないほどの感情が押し寄せて来る。
「う、が、ああああああああああああ」
頭が割れるように痛い。
胸が張り裂けそうなほど感情に満ち満ちていた。
「だからこうして流れを作ってあげれば、ほら。簡単に堕ちてしまう」
「お、まえ、は……」
「おや、まだ意識があるんですね。思ったよりも頑丈ですね」
目から血涙を流し、顔を無数の感情に歪ませながら龍人がセレナににじり寄る。
「ではここで一つ情報を開示しましょう。――国王に第三王女を手放してはならないと囁いたのは私なんです」
「!?」
「おかしいと思いませんでしたか? 国の王としては、勇者の力を持つ者の血を王家に取り入れようと考えるのは取りうる手段としてはおかしくない。にもかかわらずあの国王はその選択肢を全く考えなかった。最初からあなたを排除してかかった」
そうだ、あの国王は初めて会った時から龍人にだけはなぜかそんな態度だった。
国王の態度が決定的になったのは報酬としてベニートとの婚姻を望んだところだったが、もともとあの国王はなぜか龍人に否定的だった。
「オマエ、ガ……!」
痛みに頭を押さえながらつぶやいた声は、ガビガビにひび割れて自分の声とは思えなかった。
「はい、つまりはそう言うことです。あなたの邪魔をしていたのは私、女神セレナなんですよ」
ニコリという清楚な言葉はもう似合わない。
その顔に浮かんでいるのは痛みに苦しむものを見下す、愉悦に満ちた暗い満面の笑顔だった。
「イッタイ、ナゼ」
「何故と言われれば、そうですね一言でまとめるなら……世界の成長のため?」
女神の口から出た言葉は龍人には理解できない言葉だった。
これだけ多くの人間を殺し、不幸にして世界の成長?
湧き上がって来る感情が、怒り一色に染まりつつあった。
「そのためにあなたたち勇者を召喚したのですよ。調和の取れつつある世界を攪拌し、新たなステージへと導くために。あなたにはそのために、出来るだけ多くの人間を巻き込んだ戦争をしてもらう必要があった」
「アラソイヲ、トメルタメジャ、ナイ?」
「あなたたちが人間種についてから、戦争が収まったことがありましたか? むしろ激化の一途だったでしょう。まぁ、亜人族と魔人族側にも変異種として加護を与えたのも私なのですけどね」
すべてが女神による自作自演だった。
そう龍人の頭が理解すると同時、体の内側から湧き出してくる負の感情を抑えることが出来なくなった。
「ウオオアアアアアアアアアアアア!」
「あは、壊れちゃいましたね」
頭が割れるように痛い。
「オマエオマエオマエオマエオマエオマエオマエオマエ」
「そうですよ、私が全ての黒幕、なんですよ」
女神セレナのうっとりとした声は、感情の波にもまれながらも龍人の耳にかろうじて届く。
「憎いでしょう? 殺したいでしょう? 私と私の生み出した全てが。幸せで、平穏な世界から呼び出されて争わされて、ずっと苦しかったでしょう? でも全てが私の掌の上だったんですよ」
「ニクイニクニクイニクイニクイ!」
「そう、そう。それでいいんですよ」
はっきりと、女神セレナの口調が興奮を帯びたものになる。
「アア、ア、アアア……」
すべてを壊したい。
龍人の龍化した体が暴走していた。
精神は未だ暗闇の世界で叫んでいたが、それと呼応するように地上へと無差別に光線を降り注がせていた。
地上を無力な民たちが駆けまわり少しでも生きながらえようとするのを無慈悲に消し飛ばしていく。
その残忍な行為を、けれど龍人の心は楽しいと感じてしまっていた。
「人を殺すのは楽しいですか? そうですよね? 彼らは私の生み出した者達の末裔。私の物なのですから、それを壊すのはとても楽しいでしょう?」
この世界の人間はすべて女神の被造物だ。
特に女神と強いつながりを持つ神官を殺した時、龍人の心は踊った。
女神への怒りを少しでも晴らせるのだから。
「ウウオオオオアアアアアア!」
暗闇の世界で龍人は咆哮する。
だが同時に彼の視界にはわずかな光がちらちらと映っていた。
バルコニーで一心に祈りを捧げる少女だ。
もはや名前も思い出せない。
だが、彼女こそが自分が本当に守りたかった存在なのではないか?
そう思われて仕方なかったのだ。
だから龍人は最後の理性の力を振り絞るしかなかった。
わずかに残った理性の心に反して、体は感情の波に翻弄され争いと殺戮を望んで暴れまわっている。
時間稼ぎでもいい、この体をどこか遠くへもっていかなければと思う。
体と心が相反し、けれどその戦いは心がわずかに勝った。
「カナラズ、オマエモ、セカイゴト、コロス」
「ええ、お待ちしていますよ」
殺戮を求める体に反して、わずかに残った理性によって龍人が動き始めた。
◇
「王女殿下、おさがり下さい! 危険です!」
すぐ後ろで護衛の兵士が騒いでいるが、ベニートは動かなかった。
バルコニーに出てただひたすらに女神へ祈りを捧げる。
どうか国民をお救い下さい、と。
そして龍人にも。
どうか私に力を分けて下さい、と。
そうしている間に女神への願いが届いたのか、ベニートには分からなかったが上空の龍が動き出した。
一直線に平原の北へと飛んでゆく。
巨体が動くことで発生する空気の流れは暴風そのものだ。
ベニートの周囲を固める者達からも悲鳴が上がる。
長い尾を引きながら、龍は北の大地に消えた。
その直後だった。
立っていられないどころの地震ではない。
巨大な振動。
ベニートも地面にぺたりとくっついて身動きが取れない。
突き上げるような揺れと言うよりも衝撃そのものの地震に、バルコニーの床から空まで吹き飛ばされてしまうのではないかと思う。
「……! っ……!」
口すら開けられず、視線だけをかろうじて外へ向けたベニートは見た、遠く大地を突き破るようにして天を突くようにそびえるような山脈が形成されていく。