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剣の神官と女神の剣  作者: 橘トヲル
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89話 雑音

 

 ふわりと自分の体が柔らかな感覚に包まれて、リットは目を開けた。

 その瞬間に再び重力が戻ってきて、足の裏が地面につく。

 否、ついた場所は地面ではなかった。

 湖面。

 一面に広がる透き通った湖が広がっている。

 透明度の高い水底から太い木の根が水面に向かって伸びているのが見え、その先は太い幹となって一本の大樹を形成している。

 湖面から突き出た大樹は巨大な建造物の如き太さを持ち、頂点は雲を突き抜け見ることはかなわなかった。


「ここは……」


 いったいどこだろうか。

 そんな疑念と同時に確信もあった。


「ああ、来ましたね」


 あたりを見渡していると、透きとおる美しい声がかかる。

 見ればいつの間にか目の前に一人の女の子が立っていた。

 夜色の髪を背中で一つに編み、服はどこかの学校の制服の様に見えるものを着ていた。

 彼女の目を、かけられた黒縁の眼鏡越しに見た時、リットの疑念は一気に吹き飛び膝を地面に落としていた。


「あ、ごめんなさい。これでも……まだ神気が強すぎました、ね」


 柔らかい何かに挟まれて押しても引いても身動きが取れない。

 そんな息苦しさに襲われたリットに女の子は優しく語り掛ける。

 パン――

 両手を大きな胸の前で勢いよく合わせる。

 すると圧迫していた空気がなくなりリットはようやく大きく息を吸いこんだ。


「……女神、セレナ様、ですね」

「はい、お待ちして、いましたよスピネル」


 跪いたまま恐る恐る声を掛けたリットに対して、女神セレナはごく普通の笑顔を見せてきた。


「あなたのことはずっと見守っていました。とても大変な旅でしたね」

「……いえ、そんなことはありませんよ」


 女神からの託宣を受けてからの旅を思い出して去来するのは、やはりシュウと一緒の時間ばかりだった。

 口元に笑みがこぼれる。


「……良き、出会いがあったようですね」

「はい!」


 すぐにはっきりと帰って来る返事に女神セレナも笑みを深める。


「さて、時間がありませんから、本題に入りましょう」


 女神の手に服装に似合わない荘厳な杖が現れる。

 リットよりも5、6歳くらいは年上だろう姿の女神セレナだがその身長と比してもなお杖は長い。

 金色の柄は女神セレナの身長よりも長く、その先端には大きな宝玉が幾つもちりばめられた台座がある。金の杖の台座に埋め込まれた色とりどりの宝玉からは、濃密な魔力の気配を感じる。

 一つ一つが人間では扱いきれないほどの量の魔力を保有していることは明らかだった。


「これが最後の確認です。この儀式を行い、あなたを聖剣として生まれ変わらせた場合、二度と人の姿に戻ることは出来ません。それでもこの儀式を行うことを望みますか」


 女神セレナの告げた言葉には力があった。

 姿かたちなどは問題ない。

 彼女の中身は紛れもなくリット達生物を超越した次元の存在。

 問いかける声には慈しみも、悲しみも、憐れみもない。

 純然たる事実を確認している。

 だからリットもはっきりと答える。


「はい。それでシュウさんの力になれるなら。共に、戦えるのなら」

「無論です。この力はかの魔王――魔龍王に抗するための最後の兵器。きっとあなたたちを勝利へと導くでしょう」


 リットの言葉を確認し、女神セレナは杖の先にある宝玉が乗った台座をリットの肩に乗せる。

 跪き、頭を垂れた状態のリットは頭のすぐ脇に置かれた宝玉から一気に魔力が溢れ、自分の体の中に浸透していくのを感じていた。

 それは肉と骨で構成されたリットの体を解くものだった。


「何も恐れる必要はありません。さぁ、心を楽に、するのです」


 女神セレナの言葉と共に、魔力がリットの肉体の中心――心までをも分解し始めた。

 そして本来であれば辿るはずだったこの先の未来までも分解して。

 再構築を始める。

 次第に薄まっていく感覚の中、思い出したのはシュウと一緒に馬車に揺られた旅路の記憶だった。

 自分がなすべきを理解し、信頼できる人が隣にいて、あるいは生まれてからの年月の中で最も心の安らぐ時間だったのかもしれない。


「シュウさん、今戻ります」


 その言葉と共にリットの体が、心が、すべての存在の分解が完了する。

 リットの心が消える瞬間、なぜだろう。

 見たことのない、けれど誰かによく似た女の子に優しく抱きしめられた気がした。


   ◇


「ふぅ、終わり、ましたね」


 そう言って杖を降ろす女神セレナの前には一つの光球となったリットがふわふわと浮かんでいる。

 あと彼女の仕事はこの光球を地上に――勇者であるシュウの元に送り還せば終了である。


「さぁ、これであなたの、願いは叶うわ。地上へと戻り、悲願である、魔龍王の討伐を行っていらっしゃい」


 その言葉と共に光球の下の湖面に光の穴が生まれ、吸い込まれていく。

 これで女神セレナの仕事は終わりだ。


「……最後、なにか不純物、が混じったよう、な? ――まぁどちらでも構わない、か」


 元通りの静かな空間に戻った湖を眺めて呟く。


「後はいつも通り、今回で魔龍王は討伐される。1000年も抗ってくれたけど、彼はもう用済みね」


 女神セレナの口元には、先ほどまでとは打って変わった酷薄な笑みが浮かんでいた。


「これからの1000年は人同士で争ってもらいましょう。彼を相手に弱った人類が、それをバネにして一気に文明を伸ばすことでしょう」


 くるり、と両手を広げて湖面上をターンする。


「1000年我慢を強いられてきた彼らは、もはやとどまると言う選択を選ぶことは出来やしない。欲しいものを生み出し、必要ならば奪い合う」


 誰一人見る者のない湖面のダンスホールで踊る女神セレナ。

 ステップを踏むたびに、湖面にさざ波が広がっていく。


「そうして研ぎ澄まされた先に、人の進化はある。だから、ね」


 歩みを止めて、リットが消え去った湖面に視線を投げる。


「早く私のために、文明の針を押し進めるのよ? 私の可愛い子ども達よ」


   ◇


「あああああああああああ!」


 地面に伏したまま、シュウの口から慟哭が迸る。

 守れなかった。

 また。

 その思いが心のコップから溢れ出すようにして胸を満たしていく。

 思いはそのまま目から涙として流れ出て、地面に黒いしみを作っていった。


「何で、どうしてっ……!」


 どうしてこうなった!

 ガツンと地面に叩きつけた拳がめり込んで大きな音を立てた。

 リットがいなくなってようやくシュウの体は動けるようになりつつあった。

 あと少し回復が早ければ止められたかもしれない。

 シュウの頭にあるのは後悔の念だけだった。


「リット……!」


 ぎり、と噛んだ歯の隙間からその名を呟いた時だった。

 空から何か大きな気配が下りてくるのを感じた。

 見上げると、雲を割りながら真っ白な光の玉が舞い降りてくるところだった。

 白い光球はぶれることなく一直線にゆっくりと、シュウの真ん前を目指して降下しているようだった。

 GYYYYYYYYYYYYYYYYYY!

 耳障りな絶叫。

 視線を向ければ魔龍王の増えた12の首も含めてすべての首が白い光球を睨んでいる。


「や、やめっ……!」


 口に溜まった光で何をするつもりなのか察したシュウが声を上げるが何の意味も持たない。

 13の光線は一気に解き放たれた。

 本体の首が放つ光線は一際大きく勢いもあった。

 あれに打ち抜かれてただで済むとはとても思えない。

 シュウは白い光球が蒸発する姿を想像した。

 だが、現実にはなることはなかった。

 光球の表面数センチのところまで光線はまっすぐ進んだ。

 だがなぜかそこで角度を急激に変えたのだ。

 角度を直角に変えて、いたるところに突き刺さった光線が大地を破壊したことから威力が見掛け倒しだったということはあり得ない。

 しかし白い光球はその攻撃にさらされてなお一直線に降下を続けている。

 シュウはその光景を信じられないと言う面持ちで見守るしかなかった。

 やがて、光球は目の前に降り立つ。

 白い光球はシュウの胸の高さで静止していた。

 柔らかな光。

 理由などないが、シュウは確信した。


「リット、なのか……?」


 その呟きと共に、光球が形を変えていく。

 真っ白な刀身を持つ剣だ。

 それは光が消えると同時に剣先を下にして地面へと突き立った。

 シュウは感覚が戻り始めた体をようやく起こして立ち上がる。

 未だに足は震えるが何とか立って、改めて目の前に突き立った剣を見る。

 幅広の長剣だ。突き立った状態で柄の高さがシュウの胸より上まではある。

 柄本にはリットの瞳と同じ、真紅の宝玉が輝いていた。

 その煌めきを目にして、恐る恐る手を伸ばす。


「っ……!」


 指先が触れた瞬間、剣が大きく脈動した気がした。

 頭の中に走馬燈の様にリットと出会ってからの記憶が流れる。

 そのいくつかはリットの始点から見たもので、どうやら剣から記憶が流れ込んでいるらしい。

 そうしてようやくわかった。

 リットがどれだけ自分を信頼してくれていたのか。

 どれほど一緒に戦いたかったのか。

 これが彼女にとっての救いだと。


「だとしても俺は……お前を助けたかったよ」


 指先で優しく触れるだけだった手で、がっしりと柄を握り込んで持ち上げる。

 その瞬間に体全体へ暖かなエネルギーが流れ込む。

 エネルギーが満ちたことで残っていた気怠さがすべて吹き飛んだ。

 どうやら聖剣の力らしい。


「……行こうか、リット」


 言葉に応じるように、宝玉が煌めいた気がした。


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