88話 儀式
「なんだよ……それ」
「シュウさん、動けないんですよね?」
リットの言う通りだった。
シュウの体は、治療してもらったというのにほとんど動くことが出来ない。
原因は、いくつも武器を召喚したことによる反動だ。
「も、もう少しすれば動ける……」
「そしてまた動けなくなるんですよね。もしかしたら次は戦っている最中にそうなってしまうかもしれない……違いますか?」
「……」
「私の回復魔法で動けるようにならないなんて、いったい何を代償にしたらそんなことになるんですか……」
リットの言うことはもっともだった。
威力の高い武器を使えば使うほど、反動は大きくなる。
さっき使わなかったものとなれば、さらに反動のみならず大きな代償を支払うことになる。
そうだとしても。
それで構わないと思った。
目の前の女の子を引き換えにするくらいなら。
「ダメですよ、シュウさん。今危険なことを考えていましたね?」
「っ!」
思考が顔に出ていたらしい。
リットが優しく、けれどしっかりと止める。
「聞いてください、このデュナーク王国の第三王女は生まれた時から神官になることが決まっています。それは第三王女のみが『幽霊女王』の声を聞くからだけではありません」
以前、魔龍山脈を越えるときにリットから聞いた1000年前の話を思い出す。
「あの時は言いませんでしたが、この1000年の間に彼女の願いに共感し何人もの第三王女が女神に願ったのです。『どうか、勇者様を救う力になりたい』と」
幽霊女王は『勇者を救ってほしい』と言っていた。
「女神はその願いを聞き届け、神官となった第三王女にのみ自身の存在を『聖剣』として生まれ変わらせる秘技を与えました。もちろん正式な神官となった私も知っています」
幽霊女王の願いに従い1000年の間に何人もの神官となった第三王女がその秘技を使ったのだろう。魔王を倒すためにこの世界にやって来た勇者を手助けするために。
だが真実は違う。
「私は、第三王女として。この国を守りたい。そしてあなたの事も助けたい。幽霊女王の願いのためだけじゃありません。私の意志で、あなたの隣に立って一緒に戦いたいんです」
この1000年の間幽霊女王が訴えてきた助けたい『勇者』とはきっとただ一人。
魔龍王と化した神原龍人だけだ。
そして女神もまた、それを知りながら――いや、知った上でこんなシステムを作り上げた。
狂っている。
この世界は突き詰めれば女神の箱庭だ。
セージがこのことを知ったのだとしたら、この世界に絶望したのも頷けるほどに狂っている。
「だから私はこの秘技を使うんです。これからの未来のために。あなたと一緒に戦うために」
自分の命を費やそうとしているというのに、リットはふんわりとした優しい笑みを浮かべてそう言うのだ。
「……ダメだ」
だが、シュウはそれを許容できない。
その未来だけは認められない。
「その未来にはリットがいないだろう! そんなのは間違ってる! 大切な人一人救えなくて代わりに救われた世界になんて何の意味があるんだ!」
「シュウさん、たった一人の命とこの国――いえ、世界の人の命。どちらを優先すべきかなんて明らかでしょう?」
「そんなこと知ったことか! 俺が救いたいのはリットなんだから!」
リットの目が大きく見開かれる。
数秒、固まって目じりに再び涙が盛り上がる。
そして、
「ふふっ、それはエゴですよ。シュウさん」
さらに優しさを含ませた笑顔で言うのだ。
「エゴでも何でもいい。俺は、お前を助けるために……っ!」
リットが浮かべる笑顔を見てなぜか不安に駆られたシュウは無理に起き上がろうとした。だがそれをリットが優しく押しとどめる。
「それで充分。もう充分です。だからシュウさん、見ていてください。見せてあげてください。この国は、世界は誰にも縛られないんだっていうことを」
「待て、待ってくれ! 俺の刀剣召喚なら以前の神官が造ったっていう剣を召喚できるかもッ」
「この秘技は、女神様に祈りを捧げることで神官を一度神界に引き上げて作り替えるのです。神の手が直接入った武器を、シュウさんは喚べないでしょう?」
そうだった。
刀剣召喚はこの世界で製造された武器ならばコピーして召喚することが出来る能力だ。神代に地上に降り立った神が人に手を貸して作った物ならば喚べるが、もし別の世界で作られたものであれば召喚することは出来ない。
セージ達が使っていた武器を喚べないように。
シュウの頭がサッと冷える。
「私は、この短い間でしたが一緒にいられてとても楽しかったです。一人で王都からエルミナまで行った時とは比べ物にならないくらいに」
リットの柔らかい手がシュウの頬に添えられる。
この旅の間、ずっとそばに感じていた体温だ。
「こんな未来があるなんて知りませんでした。私は、勇者様を見つけて。その方に自分を差し出して魔龍王を倒してもらう――旅を始めてからそのことだけをずっと考えていましたから」
すっとリットが立ちあがる。
触れていた温度が離れていく。
「そもそもずっと私は不安でした。10年前、魔龍王討伐の知らせが来た後も私には幽霊女王が見えていたのですから」
さくりさくりと地面を踏みしめてリットがシュウから離れる。
「当時そのことを知った父は緘口令を敷きました。幸い、私はこのことを父に相談するまでほとんど誰にも言っていなかったので簡単だったでしょう。でも、だからこそ私はずっと不安でした。それはおそらく父も同じです」
空で、魔龍王と戦い続けるゼストを見上げる。
勇者ではなく、ただの人間が魔王と渡り合う。
その奇跡。
おそらくゼストは魔龍王討伐の知らせの後も一切自分の体を鍛えることをやめなかったのだろう。
リットの言葉を信じたから。
もしもの時に備えて。
「この10年は今この時のためにあったと、私は断言します」
やめてくれ――
シュウの言葉は声にならず、体は言うことを聞いてくれない。
足を止めて、リットが振り返る。
「今こそここで『神剣召喚』の儀式を行い、あなたに女神の剣を託します」
ふわりと舞った金髪と神官服が陽光を反射し煌めく。
神々しくも見えるその姿は、おそらく誰がどう見ても敬虔な神官。
そして神に捧げられる供物だった。
「安心してください、シュウさん」
リットの足元にこれまで見たことのない大きな魔法陣が広がる。
白い光で構成される魔法陣はリットの足元を中心にゆっくりと回転し、徐々に広がっていった。
「私はずっとあなたの傍にいます」
魔法陣の回転が早まる。
魔法陣から白い粒子が巻き上がり、天へと昇っていく。
まるでこれから祈りを捧げる神官を連れていくかのように。
「だ、ダメだ、リット……」
「シュウさん」
どうにか体を起こし、引き留めようとしたシュウの言葉をリットが遮る。
「あなたに託します」
変わらない、きれいな笑顔だった。
リットは笑顔のまま跪き、祈りを捧げ始める。
「だ、ダメだ。ダメだダメだダメだ……!」
どうにかして止めようとするが、起き上がるのが精いっぱいで立ち上がれない。
ならばと這って近づこうとするも、それより先に魔法陣が完成を見た。
「天上にて我らを見守りし造物主たる女神セレナよ、今ここに約定の執行を望まん」
まばゆい光に目を焼かれる。
けれどシュウは目を離すことが出来なかった。
リットがいなくなってしまう。
その焦燥によって。
「リットォォォォォォォォォォォ!」
天上まで届こうかと言う閃光が走った。
あれだけまばゆかった光が粒子となって散り消え、一瞬前までリットが笑顔で立っていた場所には誰も残っていなかった。




