87話 涙雨
「はああああああああ!」
二刀を一気に振り下ろす。
魔龍王の太い首元をスライスするかのようにして、吸い込まれるかに見えた白刃だったが、それは浅く傷つけるに留まった。
刃が通らず動きが止まったところに細い光線が殺到する。
「チッ!」
慌てて蹴りつけ飛び離れる。
追いすがって来る光線を切り刻みながら着地すると、ゼストが隣に立って叫ぶ。
「おい! 全然攻撃が効いてねぇぞ!」
「思ったよりも硬いんだよ」
ヤジを飛ばしてくるゼストだが、その実隣で飛来するビームを弾いてくれている。
その隙に考える。
あれを倒し切れる武器を。
「……」
手の中に持つホワイト・ルチアを還す。
代わりに手の中に極太の大剣を呼び出した。
シュウの身長よりも長く、姿見のように全身を映すほどに太い剣だ。
あのグランデ・ゴーントが使っていた剣よりも大きいだろう。
そして切先は丸く半円を描くようになっていた。
「うおらぁ!」
ゼストが手の甲で光線を弾いた瞬間を狙って飛び出す。
担ぐようにして手に持った切先のない大剣をスウィングするようにして足元の蛇身に叩きこむ。
GYYYYYYYYYYYY!
多少は効果があったようだ。
わずかばかりだが蛇身が抉れ、足元から身もだえする振動が伝わって来る。
だが、致命傷には程遠い。
「だったら」
大剣を還し、代わりに短いナイフのような長さの双剣を喚ぶ。
刀身が波打つように湾曲しており、紫の色を帯びているのが特徴だ。
それを逆手に持つと、膝を曲げながら同時に体液が溢れ続ける蛇身の傷口へと突き立てる。
GGGGGGGGGGGG!
魔龍王が体を大きく捩る。
足元が大きく揺れ、気を抜くと立っていられなくなりそうだ。
「お、おい! なんだこれは!?」
「毒の短剣だ。傷口から毒を流し込んだんだよ」
シュウの言葉を肯定するように、短剣を突き立てられた傷口が紫色に変色している。
溢れ出す体液も先ほどまでよりもねっとりとした重油のようなものになっていた。
無数に放出されていた光線も数が減り散発的になっている。
本当は神代の巨大な原生生物を切り傷一つで即死させる猛毒が付与されているのだが。さすがに効果は絶大、とまではいかないらしい。
「それでも無理か」
短剣を引き抜いて立ち上がれば、あっという間に傷口は元の色に戻り体液もさらさらとしたものになる。
「だが、まだだ」
毒の短剣を還し、代わりに手の中に洋弓を呼び出す。
灰色の洋弓だ。
ピンと張られた弦を右手で引き、半身に構える。
すると洋弓と弦を引いた右手の指の間にオレンジ色の炎が一直線に奔る。
ぐらぐらと揺れる頭に狙いをつけている間にオレンジの炎は輝きを増し、輝く。
「行け」
引き絞られた弦を放す。
解き放たれたオレンジの矢は放物線を描くことなく一直線に魔龍王の頭をめがけて飛翔した。
それに気が付いたのか、魔龍王の頭の周囲に再びいくつも光点が生まれて細いレーザーが放たれた。
矢を打ち落とすつもりだ。
「無駄だ」
レーザーとオレンジの矢が接触する寸前。
矢が分裂した。
放射状に。
一本の線だった矢は面上に広がり、シュウの視界一面をオレンジの光で満たしたのだ。
魔龍王の放ったレーザーは、より多くの光矢をわずかに焼き払うにとどまる。
そのまま直進した矢は魔龍王の体に突き刺さる。
瞬間、光が爆発した。
まるで目の前に突然太陽が現れたかのような光にシュウ自身も目を開けていられない。
爆風と光から顔をかばう。
続いて襲ってくる熱波はあたり一面をじりじりと焦がしていった。
「くそっ、どうだ!?」
ようやく戻って来た視界に目を凝らすと、魔龍王の姿が目に入る。
体中を射抜かれ、無残にも蛇身は穴だらけになっていた。
まさしく皮一枚でつながっているという状態だ。
だが――
「ダメか」
あっという間に蛇身が元に戻っていく。
その様は回復と言うよりも再生を思わせられた。
武器を使用した反動で膝から力が抜け落ちる。
しゃがみこんだシュウの頭の上から声が聞こえてきた。
「おい、あれ以上の武器はあるのか?」
隣に立ったゼストが問いかけてくる。
「……まだいくつかあるが、効くかどうかはやってみないと分からないな」
「そうか」
濃い疲労が混じり始めたシュウの声に、意外とあっさりとしたゼストの肯定する声がかぶさる。
そのことに若干の疑問を抱くと同時、強い力で引き上げられる。
「休んでる暇はねぇぞ」
突き飛ばされた空隙をレーザーが通り過ぎていく。
顔を上げると無数の光点が浮かび上がりこちらを狙っている。
だがそれだけではない。
さっき打ち抜いた首部分。
風穴になっていた部分のいくつかが再生を途中でやめ、ぼこぼこと肉が盛り上がっていた。
そこからタケノコが生えて来るかのように新たな首が生まれてくる。
元々の頭ほどの大きさはない。
だが鋭い牙が生え、金の目が並ぶ首がそこにはある。
開かれた咢にはブレスが集まりつつある。
「クソッ、手数を増やしてきやがった! ゼスト、あんたは増えた首の相手を頼む。本体にはもう一度攻撃を試してみる」
そう言って駆け出そうとしたシュウの背中にゼストが声を投げる。
「女神の託宣によれば、魔龍王を討伐する方法は二つある」
「……なんだと?」
周囲状況から隔絶した、静かな声だった。
シュウの足が止まる。
ゼストの目は静かだった。
「大昔の神官が受けた託宣だ」と前置きして続ける。
「一つはこの世界に来た勇者が持つギフトによる討伐。だがそれでは力を持たない俺達や、戦闘に向かないギフトを受け取ってしまった勇者には倒せない」
ゆっくりと歩き出すゼスト。
喋るのを躊躇っているような雰囲気を感じ取って、シュウの頭に妙にねばついた嫌な感覚が広がる。
「女神は俺達人類に希望を与えた。代償を払うことで魔龍王に届く武器を生み出す方法を与えたんだ」
「武器を生み出す方法?」
ゼストが隣に立つ。
真正面から見たその瞳は、静かに見えてその実いくつもの感情を抑え込んだものだったと気が付いた。
「生贄だよ。王族の第三王女は命と引き換えに魔龍王を倒すに足る武器にその身を生まれ変わらせることが出来る」
「なっ……!?」
その言葉にシュウは絶句した。
リットの命と引き換えに武器を作る?
「これまでこの国の王族は未来のため何度もその儀式を行って来た。幾つもの剣が当代最強と言われた勇者の手に渡り、魔龍王と対峙した。もちろん、あのクソガキの時もそうだ」
「おい、ちょっと待てよ……」
何度もその儀式が行われてきただって?
「だがあいつに持たせた剣はすべて失われた。有事のため、勇者がいない時にも進んで儀式を行い剣となって後の世代に残してくれた者たちもいたのだ」
だがゼストの口は止まらない。
「だから今、奴を倒すのならばスピネル・メルキド・デュナーク第三王女を剣と成すのだ。当代の勇者よ」
シュウは目の前が真っ赤になるほどの怒りに突き動かされた。
「ふざけるなよッ!?」
ガッ、とゼストの襟元に掴みかかる。
だが奇妙なほどにゼストは抵抗しなかった。
「お前、自分が何を言ってるのか分かってのか!? 娘を、死なせるってことなんだぞ!?」
目を剥き、怒りに震えるシュウを前にして、けれどやはりゼストは感情を動かさない。
凪の向こう側に、感情を隠したままだ。
「お前が、ヤツを倒すと言うのならばそれでもよかった。だが、現実はどうだ。オレ達王族は、責務を果たさなければならないのだ」
「……!」
感情を一切見せようとしなくなったゼストに、シュウはやりきれない思いに胸を突かれる。
目の前の男は、既に覚悟を決めている。
娘を失う、殺す覚悟を。
その覚悟をさせたのは、シュウ自身だった。
「俺のせいか……」
「小僧……」
初めてゼストの声に感情がこもる。
「違う、これは必然だ。王族が負うべき責務なのだ」
「っ……! そんな責務なんざ、クソくらえだっ!」
「おい、小僧!?」
ゼストを突き飛ばし、シュウは駆け出した。
新しく生まれた首は全部で13ある。
その全ての口の中にブレスが収束していつでも撃てるようになっている状態だった。
「はああああああああああああああ!」
再び切っ先のない大剣を喚びだす。
正面から首が4つ迫る。
4本のレーザーが襲い掛かるのを大剣で切り裂きながら進んだ。
レーザーがすべて放出されたところで今度は5本。
前後左右を取り囲むように伸びてきていた。
一斉に放たれたそれを、今度は隙間を縫うようにして躱す。
上を、下をすり抜け。
半身を焼かれながら、大剣で切り裂きながら。
「認められるかよ……!」
もしここで、リットを生贄にすることを認めてしまったら。
いったい何のためにここまで戦って来たのか。
認めるわけにはいかなかった。
だが、無情にも限界は訪れる。
「!?」
光線の隙間をかろうじて潜り抜けたシュウの眼前に、大きく開かれた咢が現れたのだ。
手に持った剣を突き出す暇もなく、咢が閉じられる。
「ぐうぅっ!?」
体に乱杭歯が突き刺さる感触。
締め付けられる感覚と共に、体中の骨がバキバキと悲鳴を上げる。
「うおおおおおおお!」
ズドン、と横から大砲で打ち抜かれたかのような衝撃に襲われる。
ゼストの拳打が噛みついていた頭ごと打ち抜いたのだ。
咢が開き、衝撃に吹き飛ばされる。
「オレが時間を稼ぐ、その間に決めろ!」
ゼストの声を聞きながらも、シュウはなすすべもなく蛇身を通り越して地面まで吹き飛ばされた。
◇
「ぐっ!?」
硬い地面の上をバウンドして叩きつけられる。
視界が明滅し、頭がミキサーにでもかけられたかのようにぐわんぐわんと揺れた。
しばらくして、背中から冷たい土の感触を感じるようになる。
それでようやく自分が仰向けに倒れていることに気が付いた。
遠くからレーザーが空気を切る音と細かい振動が伝わってくるようになったのはもっと後になってからだった。
指先一つ動かない。
まるで自分の体が死んでしまったかのような感覚。
起き上がろうとしても体に全く力が入らないどころか、全身が冷たい水に沈んでいるかのように冷たかった。
その感覚に、急に春の陽気のような温かさが浸みこむ。
最初に熱を持ったのは右腕。
あの乱杭歯でひき肉の様にされた腕だった。
そこから暖かな感覚が徐々に全身へ向かって伝播し、体、両足、左腕、そして頭まで感覚が戻ったところで視界がようやく戻った。
「リット……」
「……」
こちらの顔を覗き込むようにしていた彼女から、金髪が枝垂れのように流れ落ち、真紅の瞳がこちらをじっと見つめているのだった。
どうやら死にかけの自分をリットが癒してくれたらしい。
そう理解して、シュウは起き上がろうとした。
だが、未だに腕は微動することしかできず起き上がれなかった。
「シュウさん」
そう呼びかけられて、もう一度目を合わせると彼女の眼のふちから水滴が溢れ出してきた。
涙がぽたぽたと雨のようにシュウの頬に降りかかる。
何故か、とても優しく温かいと思った。
「私の最後のお願いを聞いてくれますか?」