78話 混濁
終盤に近付いたことで風呂敷をまとめるのに手間取っております。
「女神セレナよ……聞き届けたまえ」
再び床に錫杖を打ち付ける。
先端に連なってつけられたリングがぶつかり合って清澄な音を立てた。
それと同時に床に打ち付けられた石突から真っ白な魔法陣がうっすらと広がって消える。
「被造物たる我らに仇なす者へ裁きを下したまえ」
魔法陣は錫杖を打ち付けるたびに広がって消える。
だがその大きさは徐々に広がり、光も濃くなっていった。錫杖の音が波紋の様に拡散して消えていく。
「このっ!? 女神の兵器がっ!」
それに気付いたセージが目の色を変えて、剣をリットに向けて振り下ろそうとする。
「無駄です」
シャン、と錫杖から音が鳴り響くと同時、リットを中心に最大の魔法陣が浮かび上がる。
そしてリットの体からまばゆい光が一気に溢れ出した。
光はあっという間に天を貫くようにして伸び上がり、直後滝の様に一直線に落ちて来る。
「!?」
発射された地点からはわずかに逸れた光の奔流は、まっすぐにセージへと襲い掛かった。
「な、う、わあああああああああああ!?」
黒刀にまとわりついた黒光ごとセージを飲み込んだまばゆい光の奔流。
動けずに見ていることしかできなかったシュウだったがはっきりとわかる。
この力は女神の神威そのもの。
転移の直前にあの女神から感じた気配そのものだ。
つまりこれは、天罰を下させる攻撃なのだろう。
見る者が見れば神々しく、神の力の前に膝をつきたくなるような光景だ。
女神がこの世界に施したルールを知ったシュウですらそう感じるのだから、人々が女神セレナを信仰し続けたというのもわかるというものだった。
「シュウ、さん」
絶叫を迸らせ続けるセージとは対照的に、か細い声でリットが名前を呼ぶのに気が付いて振り向く。
そこには先ほどと同じように跪き、祈りの姿勢のままで固まっているリットがいたが額には大粒の汗が浮き肌は青白くなっていた。
「時間がありません、すぐに、彼を……」
集中を途切れさせないためか、目線をセージから全く外さずにかすれ声で呟くリット。
その様子を見て、シュウは悟った。
リットは何らかの無理をしている。
シュウが今喚び出せる武器にもいくつかあるが、大きな力を放つには等価の代償が必要だ。これだけの奇跡、当然代償は高いはず。
胸の中に女神セレナへの暗い憎しみと、呆然として身動きの取れなかった自分自身への怒りが湧き上がるのを力に変えて立ち上がろうとする。
「くっ……!」
なかなか力が入らない膝に鞭打ってどうにか立ち上がった。
もはやセイジョを振り上げるだけの力もなく、床に突き立てたまま生命エネルギーを集め続ける。
だが、光はなかなか集まらない。
対してセージに向かって降り注ぐ光の奔流はその力を弱めつつあるようだった。わずかに光が薄れつつある。
リットの限界が近いのだ。
それでもなお、一心に祈り続けるリットの姿に胸が締め付けられるような思いにとらわれる。
このままでは、今度も死なせてしまうかもしれない。
その可能性がよぎったとき、シュウはセイジョが生命エネルギーを集める矛先を変えた。
シュウの体から白い光が立ち上り、それがまっすぐにセイジョへと吸い込まれていく。
周りから集められないなら、最も近くにいる者―――シュウ自身がエネルギー源となるしかない。
だが当然これは諸刃の剣だ。
捧げ過ぎれば剣を振るえなくなる。
命の危険を顧みない行為だ。
「シュウ、さん?」
案の定、すぐにリットから心配の色を含んだ声が発せられる。
それにわずかばかり、口の端をにやりと歪ませて、
「先に危ない橋を渡り始めたのはお前の方だからな?」
グランデとの戦いの後、リットは言った。
代償を支払えば自分の声を女神セレナに届けられると。
もし、シュウが命を懸けるなら、自分も命を懸けて戦うと。
リットは神官のくせに自分だけが安全な場所で守られているのを良しとしない性格だ。あの父親を見ればなんとなくその理由もわかろうというものだ。
だったら、こちらも遠慮はしない。
存分にセージを殺せる手を尽くそう。
その決意が伝わったのだろうか。
リットが一瞬目を大きく開くと、再び集中に入る。
天上から降り注ぐ神威の威力が勢いを取り戻し、光が強くなる。
「ぐっ、の……! あなたたちっ、これでいいのですかっ!? 魔龍王を倒したとしても、再び魔王がこの世界に現れるのですよ!?」
光の奔流を浴びながら、身動きの取れないままに叫ぶセージ。
その声には深い恨みが、呪いが混ざっている。
「奴は何度もこの世界に争いを巻き起こし、無為な闘争を繰り返させています! 僕の仲間たちも、彼女も、皆犠牲になったのです! 僕のことを裏切ったのだって、女神の託宣のせいでっ……!」
セージの目に浮かぶ狂気が握った黒刀に力を増やさせる。
一気に抵抗が増え、リットが汗の滴を流した。
だがその様子を見て、シュウは頭の中によぎるものがあった。
「……なぁ、セージ。あんた、何の話をしているんだ?」
「何を!」
噛みつけるのならば噛みついていただろう。
そう思えるほどの剣幕で狂気の視線をシュウに向けてくる。
「お前の仲間たちは確かに魔龍王との戦いで死んだ。でも、そこにこの国の裏切りはなかったはずだ。もしそんなことをしていたらマーリーも黙っていないはずだ。違うか?」
「な、それは……」
黒刀の勢いがわずかに鈍り、セージの目から狂気が一時薄れる。
「……お前、誰の話をしているんだ?」
「ぼ、僕は……」
何かを必死に思い出そうとしている様子のセージ。
だがきっと答えは出ないだろう。
セージの異常なまでの女神への憎しみは、多分彼自身の物ではない。
魔龍王の力の一部を受け取ったときに魔龍王から一緒に受け入れてしまった物。
おそらくは、魔龍王の記憶の一部なのだろう。
この国が裏切ったのも、『彼女』というのもマーリーから聞いた魔龍王になった神原龍人の話に類似している。
「シュウさんっ!」
リットがシュウのセイジョを見て叫ぶ。
真っ白な刀は再び強烈なまでの光を放っていた。
エネルギーは十分だ。
手の中のセイジョは力の放出を今か今かと待っている。
光の奔流に包まれたままのセージに目を向ければ、その目は未だ焦点を合わせず何かを必死に思い出そうとしているようだ。
その姿に剣を振るうのを躊躇う気持ちが湧き上がるのをねじ伏せる。
今すぐにでも手を下さなければ、リットの身が危ないかもしれない。
何を代償にあれほどの攻撃を行っているのか分かったものではないからだ。
当然、シュウ自身もかなりの無理をしている状態だ。
ぎこちない動きで、セイジョを再び持ち上げる。
「すまない……」
ため込まれていたエネルギーを一気に開放する。
再び白い光が暴風の如く吹き荒れ、天へ向かって刀身を伸ばす。
「僕は……僕は……」
セージの口元が言葉を紡ごうとして何も形作らず意味のない言葉を繰り返す。
目は焦点を失うどころか左右に大きく眼球を動かし、まるで壊れたロボットのようでもある。
もう終わりにしてやろう。
10年魔龍王の呪いと恨みをため込んで生きてきた元勇者の戦いを終わりにしてやるべきだ。
掲げたセイジョを振り下ろす。
「はあああああああああ!」
一瞬で、セージの姿がまばゆいばかりの白光に包まれる。
解放された力が暴風となって渦を巻き、セージに殺到する。
袈裟懸けに振り下ろされたセイジョから伸びた白光の刀は、女神の神威ごと消し去った。
神威に包まれていたセージにも白光の剣は手を伸ばす。
セージの手に握られた黒剣にまとわりつく黒光が、神威の拘束を逃れたことで無秩序に暴れ出しセイジョの白光に対抗しようとするが―――手遅れだ。
勢いはなおも増し、フロア全体が真っ白な光に包まれた。