77話 黒白
先に床を蹴ったのはシュウの方だった。
白刃をセージに向かって斬り下ろす。
難なく黒刃で受け止められ火花を散らした。
力が拮抗したところでセージが体の重心をずらし、シュウが一瞬だけ体勢を崩す。
その間に回転するような動きでセージの体が動き、目の前に踵の後ろが迫る。
「くっ」
とっさに柄の真ん中で受け止めるが衝撃が襲ってくる。
床の上をすべるようにして後退った。
そこへまっすぐにセージ黒刃が伸びてくる。
無数の突きが残像を残すような速度で放たれた。
隙間のない槍衾のようなそれをかろうじてセイジョで払いのけるとわずかばかりセージの目が開かれる。
「思ったよりもやりますね」
「言ってろ」
突きをしのぎ、胴に薙ぎ払うような一撃を加えるもセージが大きく頭上に跳躍。
セイジョを振り抜いたまま一瞬硬直するシュウに向かって頭上から首を狩るような一撃を見舞ってくる。
まるで曲芸のような一撃だった。
すんでのところで避けるが、浅く切られたようで首から血が流れた。
流れ出た血がそのまま服を濡らし不快な感覚を覚える。
沸騰しかけた頭を振ってどうにか冷静さを保つ。
セージの動きはエルミナの城で戦った時よりもずっと速く感じた。
あの時は手加減されていたのかもしれない。
だが負けるわけにはいかない。
今も必死に魔法をかけ続けているリットの気配を遠くに感じながらそう思う。
自分が倒れればセージは間違いなくゼストを殺す。
それはだめだ。
リットが悲しむ。
おしてその先にあるのは間違いなくリットの死だ。
「負けるわけには、いかないんだ」
ぎりっ、とセイジョの柄を強く握る。
マーリーはセイジョの鍵を解いたと言った。
セージの方が一枚上手の今、使い時だろう。
セイジョの情報を読み取ろうとして、けれどシュウは足元から這い寄る冷気に身を震わせ、一瞬セイジョに向けた視線をセージに戻す。
「あなたは面倒ですからね。ここで確実に殺しておきましょう」
吹き抜けになった天井に向けて黒刃を高く掲げている。
そこへ向かって天井の開いた穴、そして通路や隙間から無数の黒い光が風の様に吹き抜けて収束していく。
通り抜ける黒光と共に吹き付ける風を受けるだけで身が縮こまるような、魂のふらつきを感じる。
エルミナの城で見た、セージの技だ。
あの時よりもはっきりと感じる。
この光は死者が残した怨念。
あるいは死の淵にある者たちが抱える絶望だ。
生にしがみつこうとする、切なる願い。
けれど強すぎる思いは妄執となって黒い怨念と化している。
セージの剣にまとわりつくそれは天井近くまで伸びあがり、黒刀の外側に剣の形をとる。
「跡形もなく、消してあげますよ」
セージの不気味なほどに静かな声が耳から入り、シュウの心を凍てつかせる。
怨念の塊のようなその巨剣を見て、体が動かない。
振り下ろされれば文字通り跡形も残らないだろう。
そんな予感をひしひしと感じる。
だが不意に、硬直していた右手に力が入るようになった。
「なんだ?」
見下ろせば、右手に握ったセイジョから暖かな光が漏れている。
刀身全体を包み込むかのような光は柄から腕を登ってシュウの体全体へと伝播していく。
凍り付いていた体が暖かくなり、硬直が解けた。
「これが、こいつの力、なのか?」
シュウは驚きに目を見開きながらもセージに対抗するように刀を掲げる。
すると冷たい怨念の風が吹き抜けるだけだった謁見の間に暖かな白い光が風の様に流れ出す。
怨念の黒光をかき分けるようにして集まりだしたそれは見る間に密度を増し始めた。
謁見の間が、冷たいセージの黒光と暖かなシュウの白光とで二分される。
「何なんですか、それは……目障りですね」
セージの瞳に不快感が増す。
それもそうだろう、今セイジョに集まっているのはセージが使っているのとは真逆の力、生きている人間の生命力や希望と言った感情だ。
セイジョは、マーリーたちがセージの剣の力をコピーしたもの。
その力は周囲に存在する生物から少しずつ生命力を集め、邪悪な力を持つ者を消滅させる剣として叩きつけるものの様だ。威力は読み取った情報が正しいならさすが女神から渡された武器だと納得できるレベルだった。
効果としては今セージが持っている物とほぼ同じだろうが、エネルギー源が真逆となる。
そのことにセージが不快感を覚えたのだろう。
変わり果てたセージにとって、この力は対極に位置するもののはず。
あるいはこれなら、本当に倒し切れるかもしれない。
「行くぞ……!」
収束した力が臨界に達する。
セージの黒刀もいつ発動されてもおかしくない。
お互いに大上段に構え、剣にまとわりつく黒光と白光の柱を支えている。
「……僕は、僕たちは。必ずこの世界を作り替えなければいけない」
セージの目に、本気の光が灯った気がした。
必ずそのすべてを打ち破る。
シュウもまた、セージを握る手に力を籠めた。
剣を振り下ろしたのは、二人同時だった。
「ああああああああ!」
「はあああああああ!」
黒光と白光が交錯する。
放出されたエネルギーがぶつかり合い、王城の天井を吹き飛ばすほどの風が吹き荒れた。
剣にまとわりつくようにして伸びた二本の光の柱は、接触した部分から強烈な光を発して目を晦ませる。
それでもなお、二人が剣から力を抜くことはなかった。
少しでも力を抜けば押し負ける。
それがわかり切っていたから。
故に二人は持っている力のすべてを注ぎ込んだ。
「ううおおおおおおおお!」
結果はすぐに表れた。
色も何もわからない、ただ純粋な衝撃に二人の体は弾かれ吹き飛ばされたのだ。
「ぐうっ!?」
床を何度もバウンドしながら転がり、どうにか目を開けるとさっきよりも風通しのよくなった天井が見えた。
すでに天井はなくなっていた。
さっきのは制御しきれなくなったエネルギーの余波だろう。
ボロボロだった天井はそれに耐えられなかったのだ。
仰向けに倒れながら、その有様を確認したシュウだったが同じく吹き飛ばされただろうセージのことを思い出す。
「つっ……!」
起き上がろうとして、全身に痛みが走る。
それと同時に、再び集まり始める黒い光を目の端に捉えた。
「セージッ……!」
立ち上がり、さっきと同じように剣を大上段に構えるセージの姿がそこにあった。
だが、その体はいたるところが欠けている。
ダメージは相応にあったようだ。
「言ったでしょう? あなたはここで確実に殺すって」
その顔に痛みや苦痛の色はない。
エルミナでもわかっていたことだが本当に人間をやめているらしい。
対するこちらは全身ボロボロだ。
どうにかセイジョを杖代わりにして上半身を起こすが、それ以上立ち上がれない。
仕方なくその体勢のまま再び生命エネルギーを集める。
だが、セージの剣に黒光が集まっていくのに対して白光はなかなか集まってこない。
内心焦りながらも当然か、とも思う。
集めているエネルギーは生きている人々の生きたいという思いや希望だ。
一度吸い上げてしまったら溜まるまでに時間がかかる。
対して向こうは現世にこびりついた死者の無念や怨念、そして生きている人々の恐怖。
この状況でどちらが多く残っているかなど、考えるまでもない。
「くっ……」
「なんとも弱弱しい光ですね。今、その光も消してあげますよ」
セージの手の中の黒刀に纏う黒光が臨界を迎える。
あとは振り下ろすだけでもう一度あの攻撃が来るだろう。
わずかな希望にかけて集めたエネルギーを解放するか。
それともあの攻撃に対抗できる武器がないかを考えたわずかな逡巡。
「許しません」
セージが勝利を確信し、シュウがわずかな希望に懸けるかを迷った一瞬に差し込まれた声があった。
カンッ、と音を響かせて床に錫杖を突き立て自身は片膝をつく少女がそこにいた。
「リット……」
うつむけていた顔をまっすぐにセージへ向けると、金の髪に隠れていた真紅の瞳があらわになる。
まるで炎が踊っているのではないかと思うほどの激情がそこに映っていた。
「あなたは、私が止めます!」