74話 筋肉
今年もよろしくお願いいたします。
「スピネルッ!」
筋肉モリモリの男が目の色を変えて駆け寄って来る絵面はなかなかに迫力があった。。
目を吊り上げ、背中から怒りのオーラを迸らせて全速力で駆けてくる上半身裸の男の姿はシュウをしても恐怖を感じるほどだった。
家出をしたリットの事を怒っているのだろう。
だがそれは必要なことだった。
シュウは怒れる父親から守るべくリットの前に出ようとした。
「……」
「リット?」
けれど無言でリットが一歩前に出る。
「うおおおおおおおおおお!」
全速力で駆けてくる国王を前にして、
「ハァ……」
とため息をつくリット。
「スピネルウウゥゥゥゥ! 今までどこに行っていたんだ―――ッボア!?」
全速力で駆けよって来た上半身裸の父親を、リットが無慈悲にも手に持っていた錫杖をフルスイングして殴りつけた。
国王は体の真ん中からくの字に折れ曲がって床に後頭部から倒れる。
ごんっ! という音が響き渡り、床には小さくひびが入っていた。
「痛いじゃないか! 父親に何をするんだ!」
だと言うのに国王は頭をさすりながら普通に起き上がる。
この男、よほどの石頭のようだ。
ひびが入ったのは大理石のように見えたのだが……とシュウは戦慄する。
「陛下、こんなところで護衛もつけずに何をしているのですか? 姉上―――親衛隊長はどうしました?」
「あいつならあのクソ忌々しい元勇者に骨をバッキバキにへし折られてな。涙目になっておったから放って来たぞ」
「一体どこから突っ込めばいいのか……」
やれやれと言った風に頭を振るリット。
その視線がシュウに向けられて、若干嫌な顔をしてから諦めたのか口を開く。
「シュウさん、こちらがこの国の国王のゼスト・エルハンス・デュナーク―――私の父です」
と、ごく普通に紹介された。
紹介された当人はと言えば未だ頭をさすりながら、ようやくこちらへと視線を向けたところだった。
「……これ、どう反応したらいいんだ?」
目の前にいるのはとても国王とは思えない筋肉マッチョのオッサンだし、娘に暴力を振るわれて涙目になっている。
「おい小僧、これ呼ばわりするんじゃない! これでもオレはこの国の国王。つまりこの国で一番偉いんだぞ?」
「本当なのか?」
「実務はすべて母上が取り仕切っていますから」
「なるほど、傀儡政権」
「うるさいわ!」
ひゅん、といきなり立ち上がって振るわれた拳をすんでのところで躱す。
ちりっ、と拳が掠めた頬が熱を持ったようになる。かなりのスピードだった。
「ほう、なかなかやるではないか小僧。名前を聞かせろ」
「……シュウだ」
そう答えると国王ゼストは口の中で何度か「シュウ、シュウか」と呟くと野性味を含んだ笑みを深めて、
「ならばシュウよ、オレと立ち会え!」
そう言って拳を握り構える。
明らかに本気の構え。
受ける気迫は殺気そのもので、とても立ち合いなどと言う生易しい気配はない。間違いなく殺し合いの直前だ。
だがそんな様子を前にして、シュウが気になったのは別の事だ。
相手に有無を言わせぬ傲慢さ。
断られることを一切考えておらず自分の願いが必ずかなうと思っている強者の貌。
「なぁ、この光景前に見た気がするんだけど」
「マルクドーブのエレ姉は陛下の遠縁に当たるんです」
「ああ、それで」
初めて会った時、エレインはシュウに問答無用でいきなり部下になれと魔物と戦った直後に言い放ったのだ。
なんとなくあの時の姿が重なったのはそのせいだった。
「ごちゃごちゃ何を言っているのだ! いいからオレと戦え!」
「うるさい、今それどころじゃないだろうが」
「なに!? 戦いよりも優先されることがあると言うのか?」
「……よくこれで国の体裁を保っていられるな」
「それはこの国七不思議のひとつです。実際は母上達が頑張っているだけですが……」
リットも自分の父親の醜態に呆れるしかないようだ。
いつまでたっても戦う気配を見せないシュウにさすがに国王もあきらめたらしい、構えを解くと不満げに鼻を鳴らす。
「これであきらめたと思うなよ? 小僧、お前とはいずれ必ず戦うからな!」
「機会があったらな」
「よし、言質は取ったからな! 必ずだぞ!?」
「はぁ……」
リットが何度目になるか分からないため息をつく。
これは確かに家出もしたくなるだろう。
一気に疲れたような様子を見せるリットに同情してしまうシュウだった。
「それで、一体何をやっていたんだ?」
ようやく煙が落ち着き始めたゼストの向こう側に視線を向ける。
「誰かと戦っていたのか?」
リットから聞いたグランデの言葉。
セージが国王を探していると言っていた。
「おうよ。生意気にもあのクソガキがかかって来たからな。ぶちのめしていたのよ」
「やっぱり、元勇者様ですか」
「あんだ、知ってたのか?」
「ええ。襲って来たゴーント兄弟から聞きましたから」
「何っ? ゴーント兄弟だと? あのゴーント兄弟か!」
目に見えてゼストのテンションが上がる。
まぁそうだろうな、と思いつつも残念な現実を伝える。
「もう二人ともいないぞ」
「どういうことだ、逃げられたのか」
「もう二人とも死んだ」
「シュウさんが倒しましたから」
「ほう……ますます小僧と戦うのが楽しみになったぞ」
不敵に笑うゼスト。
どうやら脳まで筋肉でできているタイプの人間らしい。
「……それじゃ、セージは?」
「さぁな。かなり本気で殴ったからな。ミンチになってなけりゃその辺に転がってるだろうが……」
「ここにいますよ」
ゼストが大した興味もなさげに見回していると、少年の声が聞こえてくる。
土煙が晴れたところに立っていたのは黒髪の少年。
体に纏う白い騎士服はミンチにされそうになった直後とは思えないほどに綺麗で、戦闘の痕跡はない。
「全く、諦めの悪いクソガキだなお前はよ」
「ただのオッサンになったあなたには言われたくないですね、ゼスト」
気安く話す二人だが、ついさっきまで壁を壊すくらいの殺し合いをしていたはずだ。
10年前、この世界に来た勇者のセージはゼストと面識があるのだろう。
いや、あるはずだ。
勇者としてこの世界に召喚された以上、国の支援を受けて戦ったはず。
そしてかつて仲間だった者もここにいる。
「……大丈夫か?」
小声で肩の上にいるマーリーに話しかける。
セージが声を掛けてきたあたりから、肩にかかる力が強くなった気がした。
けれどマーリーは一度視線を向けてきた後、大丈夫だと言う様に首を振っただけだった。
それを確認してからシュウは一歩踏み出しゼストの隣に並んだ。
「久しぶりだな、セージ」
「あなたは、確かエルミナの城にいた転移者の方、ですね?」
「シュウだ」
「そうですか。エルミナではよく生き残りましたね」
「……ジルバ達が逃がしてくれたからな」
ジルバとエルミナの領主が力を合わせて逃がしてくれなければどうなっていたか分からない。
「そうですか。あの魔女が。きっともう死んでしまったでしょうが、厄介な人物でした」
興味がなさそうに言うセージだったが、どうやら生死を確認してはいないらしい。
もしかしたらまだ生きている可能性があるかもしれない。
けれど胸の中に湧き上がる希望は抑え込んで、喚び出したセイジョをセージに向ける。
「今度こそお前を倒す」
「僕としても目障りなあなたをここで殺しておきたいのですが……先約がありましてね」
セージの視線はゼストに向いている。
国王暗殺のために来たことは間違いなさそうだ。
「何度来ようとも返り討ちにしてやるよ」
「おい、国王が直接前線で戦うもんじゃないだろ」
そう言って戦う気まんまんの国王に詰め寄ろうとしたところで、
「あなたたちの相手は後でしますよ。―――代わりと言っては何ですが。彼らの相手でもしていてください」
ぱちん、とセージが指を鳴らす。
「!?」
すると目の前の景色が歪んでいきなり背の高い女が現れる。
両手には青白い炎。
掲げられた炎をシュウは突きつけられ、未だ触れたわけでもないのにちりちりと焦がされるような熱さに驚く。
「ちっ!?」
炎を出す手を狙ってセイジョを振るう。
だが、
「んなっ!?」
攻撃がすり抜ける。
切っ先は確かにその腕を切り裂いたはずだと言うのに一切の手ごたえがなかった。
そして突き出された炎の奔流が一気にシュウと背後にいたリットを襲う。
「ぐっ!?」
激流に流されるように転がるが、熱さはない。
周囲を見ればマーリーが魔法で防いでくれたようだ。
後ろを見れば同じく防御魔法の中にいたリットが呻きながら起き上がるところだった。
「すまない、助かった」
「シュウ」
小声で礼を言うと、マーリーが震えた声で名前を呼ぶ。
「まずいわ。あれがいる」
「あれ?」
いったい何が、と問おうとしたシュウだったが、
「ごおおおおおおおおおおおお!」
傲然と天井から降って来たものに思考を遮られる。
見上げると、防御魔法に上から巨大なハンマーで叩きつけた男の姿がある。
グランデにも劣らない巨漢だ。
そのたぐいまれな腕力で放たれたハンマーの一撃は防御魔法に罅を入れ、けれどそれよりも先に床が限界を迎えた。
がらがらと大きな音を立てて床が崩れ落ちる。
防御魔法ごとシュウ達。
そしてそれを追うようにして巨漢と魔法使いの女が一緒に落ちて来るのを、シュウ自身も落ちながら見ていた。