71話 触手
ひび割れた鎧の隙間から覗くのは無数の金眼。
魔物の気配であることに気が付いたリットが後退ると、グランデが首を傾げる。
「どうしたのであるか。もっと、もっとよこすのである。痛みを、苦痛を!」
両手に握っていた大盾も、大剣も床に大きな音を立てさせながら転がし。
太い両手をリットへと伸ばしてきた。
ゆっくりと迫って来るグランデの兜から刺さる視線が足に絡まった気がした。
足が動かなくなる。
迫る太い指が、リットの金髪にかかった。
「リットに、触るなぁぁぁあああぁぁ!」
直後、グランデのフルフェイスヘルメットにシュウが木製の槍を突き立てた。
ヘレリアを召喚したシュウはリットの異変を察して飛び出したのだ。
一瞬で距離を詰めると、右手一本で流麗な葉の文様が描かれた魔槍を突き刺していた。
「!?」
フルフェイスヘルメットを突き抜けた感触に、刺されたグランデよりもシュウが驚愕した。
「ふむ、これもよい感覚であるな」
そう言いながら、頭に槍を突き刺した状態のシュウに太い腕を振り払う。
「ぐっ!?」
体をくの字に折られるような感覚に苦鳴を漏らしながら吹き飛ばされる。
「シュウさん!」
「だが、やはり痛みは男からよりもうら若き乙女からの方がよいのである」
「あなた、変態の人でしたか!?」
「応、言葉攻めとはまた心躍る物であるな!」
大きく笑い声を上げるグランデに、リットはこれまでとは違った意味で背筋が凍る。
「……あなた、頭を貫かれて生きていられるなんて。本当にどんな体をしているんですか」
本当は分かり切っていたが、あえて尋ねる。
リットが信じたくなかった、と言うこともある。
この世界の人間はすべからく女神セレナの被造物、つまりは子どもだとリットは信じている。
にもかかわらず女神の敵対者である魔物に堕ちるなど正気とは思えなかった。
だからその鎧の下がどうなっているのか感じ取ることは出来ても信じることは出来なかったのだ。
「ふむ、本来は見せるようなものではないのであるが、この鎧も限界であるな」
自分の巨大な体を覆う鎧を見下ろして嘆息するグランデ。
シュウに刺されたのは兜部分だけだと思ったが、吹き飛ばされる時にも穂先が鎧の一部を削っていたらしく体の部分にも気が付けば罅が走っていた。
「この鎧は名工の品と言うわけではないが、某の体を入れるにはちょうど良いサイズであったが故重宝したのであるが致し方あるまい」
そう言って、リットに壊れた貌を向ける。
「どんな体、と問うたのであったな。こういう体であるよ」
そう言うなり鎧がはじけ飛んだ。
無数の破片となって床の上に散らばる。
そして中からはグランデの中身、と言うにはあまりにも異質なものがあふれ出た。
漆黒の液体。
金色の瞳を無数に備えた黒い不定形の液体だった。
それは鎧を壊して割れた杯からあふれ出るようにして白亜の大理石で作られた謁見の間の床を冒していった。
「これが、某の体である。ご理解いただけたであるか?」
グランデの声が聞こえてくるが、その口がどこにあるのかはさっぱりわからなかった。
すでにそこにあるのは漆黒の水溜まりだ。
そこから覗く金の瞳の群れは見るものを不快にさせるおぞましい水たまりだが。
「お前、完全に浸食されてる……いや、同化したのか」
信じられない光景に、シュウは愕然と喉を震わす。
「ふむ、貴様がここにいるということは弟は死んだか。あやつは未だ同化が完全ではなかったであるからな。致し方のないことであるよ」
「そんな状態で、よく理性を保っていられるな」
「ふむ? 何のことを言っているであるか……いや、弟から魔物化のリスクを聞いたのであるな? 確かに某にも聞こえているであるよ。女神を殺せと、神官を殺せと叫ぶ怨嗟の声が。であるが、それがなんだと言うのであるか?」
「何?」
殴られた脇腹を抑えながら水たまりへと近づくシュウにグランデはむしろ恍惚としたような声で言う。
「この声はまるで身を焦がす炎の様に某の身を責め立てるがこんなに心地の良いものはないのである。むしろそこな神官の少女の登場によって呪いの声は大きなものとなり、今某は最高に昂っていると言ってよいのである」
「……ああそうかよ、お前もかっ!」
兄のグランデはいくらかマシかと思っていたが思い違いだった。
この男、弟が生粋のサディストであるのに対して、最悪のマゾヒストなのだ。
「さて、とは言えあまり遊んでいては元勇者に叱責されてしまうのであるな。名残惜しいがここらで貴様らには死んでもらうのである」
一気に殺意が高まるのを感じる。
次の瞬間、水たまりが弾けた。
「!?」
無数の触手のようになった水たまりが四方八方へと伸び、先端は床も壁も柱も無秩序に破壊していく。
恐ろしいほどの強度を持っているようだ。
シュウとリットはそれぞれ触手をすんでのところで躱していた。
だが躱した触手から新たな枝葉の様に触手が生まれ二人を追尾する。
その姿にシュウはある一つの存在を思い出していた。
ゲームなんかでは今や一番ポピュラーと言っても過言ではない存在。
最弱と呼ばれる場合もあれば最強として扱われることもある魔物。
「お前、スライムなのかよ!」
「よく気が付いたのである。某が同化したのはスライムドラゴンであるな」
おそらく弟のスティーダが同化していたのも同じスライムドラゴンなのであろう。
失った臓器やケガを埋め合わせていたのだ。
三次元的に追いかけてくる触手を躱しながら舌打ちをする。
防御力に比例して攻撃力を増すヘレリアでは分が悪い。手の中の槍を送還した。
代わりに喚び出したのはセイジョだ。
「ハァッ!」
四方八方から襲い掛かって来ると言うよりも押し寄せてくる触手を切り刻む。
刃はバターを斬るように通った。切り裂かれて短くなった触手がぼとぼとと音を立てて地面に転がる。
だがそれらはすぐにアメーバの如く集まりより合わさって再びグロテスクな水たまりを作り出した。
「無駄であるよ。某の肉体は既にスライムドラゴンそのもの。貴様では某を斬ることは出来ぬであるよ」
「クソッ、厄介な相手だな」
「シュウさん!」
相変わらず落ち着いた声のグランデにイラついていると、同じように触手を回避していたリットが駆け寄って来る。
「下がってろリット! スライムならこいつで倒せる」
そう言って手に呼び出したのは先のグランデが持っていた大剣にも負けず劣らぬ大きさの大剣だ。
柄から剣先まで真紅の装飾が施されている。
刀身は白く寒々しい色合いなのになぜか見る者に熱を感じさせた。
「蒸発させてやる!」
大剣を天井に向けて高々と掲げると、そこから紅蓮の炎が噴き上がり広いドーム型の天井を嘗め尽くす。
握るシュウを中心にして炎の嵐が巻き起こり後ろに下がっていたリットも壁際へ押し返されるほどだった。
「おぉおぉ! 熱いのであるな!」
「食らえよ!」
床を蹴って飛び上がり上空からグランデに向けて振り下ろす。
一気に炎獄が冒涜的な水たまりに向けて叩きつけられ床一面が真紅に彩られた。
「あぁああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁああああぁ!」
グランデの長い叫び声が謁見の間に響き渡る。
放ったシュウ自身も炎の熱でどうにかしそうだったが、攻撃の反動で炎のない場所に降り立つ。
一面が炎の海で未だグランデの姿は確認できなかったが、これならば跡形も残さず蒸発しただろうと思われた。
「シュウさん!」
だがそんな安堵したシュウの背後から、リットの切羽詰まった声が届く。
はっとした瞬間、高速で炎を切り裂いて触手が飛来する。
鞭のようにしなるそれがしたたかにシュウを打ち据え吹き飛ばす。
「がぁっ!?」
しかも触手の鞭はシュウの放った炎を纏っていて、触れた瞬間に体を焼いて来る。
痛みに数度意識が落ちる。
明滅する意識をつなぎながらどうにか目を開けると、炎の海の中から黒い液体が複数の触手を伸ばしながら盛り上がったところだった。
人の形になろうとしてなれなかったそれは未だ炎を纏っている。
「火責めと言うのもなかなかいいものであるな」
全く堪えた様子のないグランデの声。
むしろ炎に巻かれていることを愉しんでいるようで癇に障る。
「シュウさん、今治します!」
駆け寄って来たリットが回復魔法をかけてくれる。
「にゃぁ」
動けずにいるとマーリーが前足で顔をぺちぺち叩いて来る。
吹き飛ばされた時に肩から飛び降りたようで黒猫に怪我はない。だが前足の叩き方からは不満が漂ってきている。
「シュウさん、聞いてください。ドラゴンスライムには炎は効きません」
「知ってたのか」
「はい。教える前に飛び込まれてしまったので言えませんでしたが」
「……いや、リットが責任を感じる必要はないよ」
元の世界での、それもゲームや漫画の知識を過信した自分のせいだとシュウは反省する。むしろ責任を感じさせてしまったことに後悔を感じる。
「ドラゴンスライム討伐は氷の魔法が有効だと聞いたことがあります」
「氷?」
「固めて、動けなくしたらしいです。あの状態の魔物に効果があるのかは、分かりませんが……」
「いや、参考になった。ありがとう」
ちょうど回復魔法も済んで動けるようになったシュウは立ち上がる。
その肩へ再びマーリーが飛び乗って来る。
「あんたもずっとそこにいなくてもいいんだぞ?」
「にゃ」
自分と同じ危険にさらされる必要はないと言ったのだが、マーリーはぺしっと尻尾でシュウの頭をはたいて拒絶を現す。
おそらく魔法が必要なら手を貸すということなのだろう。
「いや、対処法がわかれば何とかできる」
そう言って未だに炎の海の中で身もだえし続けているグランデを睨み付けた。