70話 拳術
「心配いりません。人間相手なら、私でも戦えますから」
「結構な自信であるな。相手をするのである」
グランデが油断なく大剣を抜くのをじっと見つめるリット。
半身になって左手の錫杖を突き出す。
深く腰を落とし槍のように構えた。
「ほう、神官でありながら武道の心得があるようであるな。さすがは第三王女」
「……知っていたのですか?」
リットがぴくり、と眉を吊り上げ聞き返す。
「無論。これから討ち入る相手を知らずに戦いを挑むなど、愚か者のすることである。ああ、あの弟は別であるがな」
次第に謁見の間の奥へと戦いの場を移していくシュウに一瞬視線をやって、リットは尋ねるべきことを思い出す。
「この城の者たちを殺したのですね」
「ほとんどは弟が喜々としてやったのである。某は必要な分だけ、であるな」
大剣と大盾を構えて言うグランデの声に罪悪感のようなものは一切ない。
「父を―――国王も殺したのですか?」
「そちらは目下捜索中、元勇者様が当たっているのであるな」
「……と言うことはまだなのですね」
「あの元勇者にかなうものなどいるはずがないのである。それほどにあの元勇者は異質であるよ」
ここで初めてグランデの声に感嘆のような色が混じる。
「絶対的な力、とはあのものの持つ力のことを言うのだと初めて知ったのである。我らのジルディオ帝国をあっという間に支配下に置き、ティアーク神聖国をも手のひらの上で躍らせる。恐ろしき男よ」
語り口を聞きながら、リットは若干首を傾げざるを得なかった。
声に熱が入り、次第に震えていくのだ。
だが、それは恐怖によるものではない。
何か異質な崇拝のような感情を見た気がした。
「ではあなたは初めて見るかもしれませんね」
「何をであるか?」
「その元勇者が倒されるところを、ですよ」
その言葉と共に、右手で錫杖を大きく振りかぶる。
一瞬で張り詰めた弓のようになった右手を解放した。
「!?」
鎧の下で一瞬驚く気配があって、すぐに盾を体の正面に持ってくる。
大きな音を立てて錫杖は弾かれた。
だがそのおかげでグランデの視界は盾によって塞がっている。
錫杖の発射と同時に駆け出したリットは、グランデが錫杖を弾いたのを確認した時には大盾を前にして右の拳を振りかぶっている。
「無駄なのである」
ドンッ、と大盾が壁の如く撃ち出される。
だがそれよりも一瞬だけ早く、リットが身をひねって撃ち出される前の盾を足場にもう一段高く飛ぶ。
グランデの頭上で宙返りした後、踵を垂直に打ち下ろす。
「ぐむッ!?」
肩に叩きこまれた踵落としはグランデの予想をはるかに超えた重みがあったようだ。
衝撃を殺し切れず膝が大理石の床にめり込む。
後方へ宙返りして間合いを取ったリットは膝をついたままのグランデに油断なく視線を送った。
膝をついてなおグランデの目線はリットよりも高い。
膝をつきながら目線を下げて、グランデは声を震わせて言った。
「貴様、今のはなんであるか? その小さき体から放たれた武技とは思えぬぞ」
「……家庭の方針です」
鼻を鳴らしながら不満げにリットが答える。
だがそれ以上は答えない。
ただ拳を握りしめた。
「そう、であるか。特殊な家庭、否。王家であったか」
「先に言っておきます。私の攻撃はあなたの鎧では防げません。鎧で身動きのとりづらいあなたは私の攻撃を躱すこともできません。……降伏しなさい」
最後通告のつもりで、視線に力を籠めて言い放つ。
その言葉を、グランデは身じろぎ一つせず聞いていた。
だがすぐに、どこかからかたかたと小刻みに何かがぶつかるような音が聞こえ始める。
その音は次第に大きくなっていき、それがグランデの鎧が震えている音だと気が付いた時にはグランデが立ち上がり大声を上げていた。
「ふははははははははは! 愉快! 愉快であるな!」
呵々大笑し続けるその姿に一瞬リットは戦いの場だということを忘れた。
グランデも同様だったかもしれないが。
「何がおかしいんですか?」
「なに、某は貴様のような相手をずっと探していたのである。圧倒的窮地であるのにもかかわらず失われぬ戦意! そして某の体に響く痛み! これぞまさしく戦場!」
ぐわっ、と大盾と大剣を両手で掲げる。
リットの身長から見ればそれはまさしく壁だった。
「かかって来るがよいのである!」
「言われなくてもそうさせてもらいます!」
地を蹴るリット。
一瞬前まで自分が立っていた場所が大剣で叩き割られる。
グランデの左手側、大盾の方へと回り込むと低く腰を落として真正面から拳を叩きつけた。盾に当たった部分からグランデの腕を伝って全身へと衝撃が伝播していくのを感じ取る。
だが手ごたえを実感する間もなくリットの左手側から水平に大剣が飛んできた。
分厚い大剣の攻撃を飛ぶようにして躱し、今度は兜めがけて蹴りつける。
右のつま先が命中した瞬間に体を回転させて左の足で回し蹴りを放つ。
グランデはわずかに傾いただけだったが、その隙に背中を伝って地面に飛び降りた。
そこへ降ってくるのは再びの大剣。
転がって離れながら避けると続けて横薙ぎの大振り。
かがんで大剣が頭上を通り抜けていくのを見ながらもリットは止まらない。
姿勢を低くしたまま右わきの下にすくい上げるように拳を当て、一番の気合いを発する。
「ハッ!」
ズドン、という大砲を撃ったような音が響き、踏み込んだリットの足もとが砕け散る。
グランデは今度こそ衝撃に耐えきれずにたたらを踏んだ。
「やはり鎧を無効化する攻撃なのであるな」
鎧を突き抜けて、体に直接ダメージを与える技だということに気が付いたらしい。だがそれでもグランデの声には余裕がある。
鎧には罅一つ入っていないが、手ごたえからしてかなりのダメージのはず。
「鎧を突き抜けて体にのみ響く痛み……素晴らしい」
「?」
声のトーンが急に変化し一瞬違和感を覚えたリットだったが、豪速で突き出された大剣を紙一重で左に避ける。
耳元をうなりを上げて通り抜ける大剣に冷や汗が流れた。
だが腕が伸びきっている今はチャンス。
大剣に体を擦るようにして隣を駆け抜け、突き出された右腕の真下。
さっきと同じ場所に今度はまっすぐ拳を突き出す。
「ハアアアアァァァ!」
拳をねじり込むように叩きつける。
今度の攻撃は鎧ごと破壊する!
そのつもりで叩きつけた拳は見事に脇腹を打ち抜いて、鎧に罅を入れた。
グランデもさすがに立っていられなくなったようで、膝をつき右手の大剣を床に突き立てて体を支えていた。
「!?」
だが、ぴしりと亀裂の入った鎧を見てリットの顔が青くなる。
背筋を凍らせるような寒気が走り抜け、慌てて距離を取った。
「ふはっ、ふはっ! いいぞ、いいぉおぉ! 心地の良い痛みだぁああ! もっとだ! もっとくれえぇぇえぇぇ!?」
兜の向こうから聞こえてきたのはそんな愉悦交じりの絶叫。
その内容もおぞましいものだったが、リットを警戒させたのは別の事だった。
「あなた、それは一体何なんですか?」
ひび割れた鎧の隙間から覗くのは黒い物体。
そこから感じたおぞましい気配に指をさすと。
黒い物体にいくつもの線が走りカッ、と見開かれる。
見れたのは無数の金眼。
魔物の目だった。