56話 狂闘
死竜との攻防は加速を深めるものになった。
無手の死竜が繰り出す攻撃は基本的にその小さな体躯が届く範囲に限られるが、身に纏った着物の形状を変化させて盾にすることも武器にすることもできる。
今もまた、鋭い勢いで放たれた素足の回し蹴りを回避したところに着物の一部が細く伸び、刺突が追加された。
かろうじて攻撃をいなせば、回し蹴りの体勢をすでに立て直した死竜が拳を振りかぶっている。
一瞬で間合いをゼロにした拳がシュウに届く寸前、地面から隆起した土の盾が死竜との間に立ちふさがる。
黒猫の魔法だと認識するよりも先に死竜は目標を土壁に変更した。
小さな幼女の手に他ならない拳だというのに、厚さ5センチはあろう土壁は粉々に粉砕される。
続けてもう片方の拳を突き出そうとして死竜は土壁の向こう側にシュウがいないことに気が付く。
「シッ!」
短い呼吸と共に、土壁を囮に背後へ回り込んだシュウが十字架を振り下ろす。
死角から放たれた致死の一撃は、とっさに下から後ろに向けて逆立ちの要領で蹴りあげられた素足によって跳ね返されてしまう。
「くっ!?」
不意を突いたはずの一撃に更に不意を突かれ、十字架を抱えて背後へと跳び退るようにして間合いを開ける。
一方で死竜の方も側転の要領で長い着物の裾を翻しながら間合いを開けている。
数メートルの距離を開けて再び対峙して、死竜は笑みを浮かべる。
「ほう、その忌々しい気配のする武器ならばと思っておったが、想像以上だの」
そう言う死竜の先ほどまで真っ白だった細い足、踵のあたりから焦げたような煙が出ている。
カース=トリックが有効と言うのはどうやら本当だったらしい。
大してシュウの方はと言えば小さな傷こそ多いものの、未だに大きなダメージは負っていない。
「このままなら何とか―――うっ!?」
「シュウ!?」
ごぽり、と喉から何かがせり上がってきて口からびしゃびしゃと地面にぶちまけられる。
赤黒い血だった。
「ほほほ、今さら効いてきたのかの」
「くっ」
最初の掌底のダメージが今さら効いてきたらしい。
あるいはここまでの戦いで悪化したか。
「ほうれ、行くぞ」
そう言うなり再び死竜が突っ込んでくる。
その動きに技術的なものはほとんど見当たらない。
直線的で単純な攻撃。
だが、死竜としての肉体をもってすればおおよそ人の体でできうる限界の動きが可能だ。
人の姿かたちを保ったまま肉体の強度は神竜級。
故にその一撃は大地を割り。
空中でありえない動きを披露してくる。
しかもその動きは徐々に洗練されつつあった。
わずかでもその攻撃を出させないようにするためシュウもまた間断なく攻撃を続ける。
だが死竜の肌に対しては先端の光刃しか意味をなさない。
痛痒を感じさせることは出来てもダメージになっていないのだ。
それがわかっているからこそ、死竜の方も光刃以外の攻撃をほとんど度外視している。
十字架部分での攻撃はほとんど避けずに受けるくせに、光刃部分での攻撃は必ず避けるのだ。紫紺の瞳は刃の部分からそらされることはない。
「体も温まってきおったの。ではさらに行くとしようか」
また攻撃のスピードが上がった。
あまりの動きに舌打ちをしたくなるが、そんなことをしていては攻撃を食らってしまう。
シュウは歯を食いしばりながら攻撃を受け続けるしかなかった。
振り回された左の手刀に続いて着物の袖がふわりと続いてくる。
その袖が突如として形状を変え大きな刃になった。
「くっそ……!」
手刀の指先をギリギリで躱し、爪の先がかすめて頬に浅い傷を負っていたシュウから見れば顔の真横に剣が出現したようなものである。
避けることは出来ず、刃を下に向けたままの十字架の半ばで受け止めた。
ギリギリと響く音がかろうじて断頭台の刃が首へ届かなかったことを証明していた。
首がいまだつながっていることへの安堵よりも先にシュウはカース=トリックへと命令を出していた。
地面に向けられていた光刃を伸ばす刀くらいのサイズだったそれを大剣ほどの太さと長さに。地面へ向けられていたその切先はまっすぐに地面へと伸び突き刺さる。
その様を一瞬視線を下げて確認した死竜は、いきなり自分めがけてその光刃が逆袈裟気味に飛んでくるのを見て初めて目を剥いたように見えた。
シュウの首先まで伸びた袖は力をこめられたまま未だ動かずにいる。もし少しでも十字架のバランスを変えれば光刃よりも先にその首を叩き落とすはずだった。
死竜はそこでようやく気が付いたらしい。
十字架によって受け止められていたはずの袖が、不可視の盾によって受け止められている。
マーリーの障壁魔法だ。
さすがに真正面から受け止めることは出来ないが、一度受け止めたものをわずかな受け止めることは出来た。
瞬きをするような一瞬の出来事だったが、これでわずかなりとも攻撃が届くならば。
そう賭けての一撃。
「小癪なぁっ!?」
死竜の口から、初めて焦りのような声を引き出すことに成功する。
光刃は膨張した着物の一部によって防がれるが、一層輝きを増して切り裂きながら進む。
死竜は無理やりに、体をひねって躱そうとしているがこれは躱すことは出来ない。
光刃は地中でかなりの長さまで伸びているのだから。
「おおおおおおおおおぉぉぉ!」
光刃の切先が、初めて死竜の体を深々と抉る。
肉を切り裂く嫌な感触は一瞬で、死竜の左わき腹から入った刃は右肩までを深々と切り裂き抜ける。
だが両断するほどではない。
死竜が着物を変形させてかばったことで時間を稼いだのだ。そして無理矢理に体をひねって躱そうとしたことが原因だ。
とどめを刺すなら今。
その思考がシュウの頭を埋め尽くす。
けれど死竜は危機感の薄まった一瞬を逃さなかったのだろう。
攻撃の衝撃を逃がすかのように回転しながら、右手の人差し指を一直線にシュウへ向けて突きつける。
間合いの外。
これまでの動きから攻撃は届かないであろうことを認識してシュウの頭に一瞬だけ空白が生まれる。
その一瞬で、死竜の指先に紫紺の光が凝縮した。
「!」
じゅっ、という嫌な音はシュウの腹から聞こえた。
「うがっ!?」
「シュウ!?」
熱い、という感覚は人体の焼ける嫌な臭いの後に感じた。
立っていることが出来ず膝から地面に崩れ落ちる。
震える手で痛む腹を抑えると、出ている血は少量だったが完全に貫通している。
ブレスだ。
死竜が最初に口から放っていたブレス。
高火力だったから警戒はしていたが口からだけではなく指先からも出せるとは思っていなかった。
痛みに耐えながら顔を上げると、死竜の方もカース=トリックのダメージが大きいのか膝こそついていないもののようやく立っているというような状態だった。
「よもやこれほどとは思わなんだぞ、人の子よ」
それでも顔に悠然とした笑みを浮かべていられるのは人よりも上位の存在ゆえか。
あるいはただの戦闘狂ゆえか。
いずれにせよまだ戦いは終わっていない。
死竜が立っているのを見て、シュウも立ち上がろうとするが激痛が走り足に力が入らなかった。
「ダメよシュウ! 今動いたら」
「けどっ」
死竜がゆったりと歩み寄ってくるのが痛みで霞む視界の中に見える。
「貴様はよくやった。人の子の身でありながら余に本気を出させたのだからな。よもやこの体になってブレスまでを放つことになろうとは思わなんだ」
そう言いながらも体に纏う黒い着物がその右手に集約していく。
「貴様は誇ってよい。この死竜を楽しませたのだからな」
天に向けて高く掲げられたその手に黒い巨刀が形成される。
幼女の肉体の倍はあろう大きさだ。
動けない今の状況で振り下ろされれば、まず間違いなく死ぬ。
「あたしが時間を稼ぐわ、その間にあんたは……!」
「っげほ!」
耳元で囁くマーリーへの返答は口から零れ落ちた血になった。
「苦しかろう、今楽にしてやろうぞ」
目の前に白い素足が現れる。
見上げた目線は冷たい狂気をはらんだ紫紺の瞳とぶつかる。
動かない手で何とか十字架を構えようとするさまを愉しんで見ているようだった。
そして黒い巨刀が振り下ろされようとしたまさしくその瞬間だった。
「リジェネレーション!」
背後から聞こえる少女の声。
はっと振り向こうとした瞬間、シュウの全身が暖かな光に包まれる。
あっという間に腹に空いた風穴がふさがり、痛みがなくなった。
振り返ったシュウが見たのは肩を大きく上下させ、苦しそうに胸を抑えたリットの姿だった。
「リット!」
「ご無事、ですか、シュウ、さん?」
それだけ言うとリットは前のめりに倒れる。
痛みのなくなった体で慌てて駆け寄り抱きとめる。
「リット、しっかりしろ!」
声を掛けるもリットはきつく目を閉じたまま荒い呼吸を繰り返しているだけだ。
顔色はかなり悪い。
「まずいわね、死竜の瘴気に当てられてる。幾ら神官で女神の加護があってもこの近さじゃ……」
「くっ」
自分が怪我を負ってしまったことで無理をさせた。
それが無性に腹が立つ。
「ぐああああああああああああ」
突然、背後で絶叫が上がったのはその時だった。