55話 傲慢
死竜が鋭い踏み込みと共に一気に肉薄してくる。
目の前に来た時には細くしなやかな素足が真上に伸ばされていた。
まさかりの如く振り落とされた踵を避けると、目の前で大地が真っ二つに割れる。
飛び散った土の破片から腕でかばいながらとっさにバックステップ。
けれど死竜は間合いを離す気はないらしい。
獰猛な笑みを浮かべながら追いすがって来る。
振るわれたのは服の袖だった。
だというのにカース=トリックで受け止めたそれは鉄の如き硬さを持ち、刃の鋭さをも持っていた。
ぎゃりぎゃりと削られる嫌な音を聞きながら、どうにか反撃の糸口を探す。
「ハッ!」
けれど短い呼気と共に鋭く打ち出された掌底がシュウの体を貫く。
「―――っ!?」
上下の区別もわからなくなるほど吹き飛ばされて、地面に背をこすりつけながら止まる。痛みに耐えながら立ち上がろうとするもののすぐには力が入らない。
「逃げてっ」
あれだけ吹き飛ばされたにもかかわらず、未だに肩にしがみついていたマーリーが聞きを察知して教えてくれる。
どうにか顔だけ持ち上げたシュウの前に死竜の白い素足が迫っており、顔面を蹴り飛ばされると思って身構える。
拳以上の力で蹴り抜かれると思っていた衝撃は、ガラスを割るような破砕音の後に届いたが思っていたほどの重さではなかった。
とっさにマーリーが障壁を魔法で作ったのだ。
それでも数メートルは転がったが。
「ふむ? 今何か魔法を使ったか? いや、そちらの小さきものか」
紫紺の瞳がシュウの肩の上で威嚇するマーリーを捉える。
だがそこに警戒の色はない。
絶対的上位からの視線。
あらゆる生命の上位存在たる君臨者。
小さな外見から考えられないほどの存在感だった。
「くっそ、なんなんだよ、あれ」
悠然とこちらを見下す死竜の姿に悪態をつく。
感じていた通りではあるが、異常なまでの強さだ。
どうやって倒せばいいのかを考えると吐き気がするというものだ。
「少し落ち着きなさい。私が魔法で援護をするわ。姿かたちが変わったって、死竜にとってその十字架は有効なはずよ。うまく狙って当てなさい」
「当てるったって、あいつ小回りが利く上に小さくなったからな……」
巨竜だったころに比べればスピードが上がり、その上図体も小さく小回りが利くときている。
カース=トリックの様に取り回しの難しい大型武装にとっては狙いにくい相手だ。
「……それでもやるしかない、か」
そう言ってシュウは立ち上がる。
瞳に写る闘志に気が付いたのだろう。
死竜の顔に喜色が広がる。
「ずいぶんと、嬉しそうだな。あんた」
「そうだの。まだ戦う気があるとは思わなんだ。余もこの体の力には驚かされておるくらいであるからの」
そう言って死竜は体の動きを確認するかのように手を握ったり開いたりして見ている。
「あの男の言葉を聞き入れたことも、あながち間違いではなかったということだの」
「あの男?」
そう尋ねると死竜の顔が不機嫌に歪む。
「先代の勇者よ。奴め死ぬ間際になって魔龍王閣下に取り入りおった。胡散臭い人の子と思っておったが、存外役に立ったことよ」
先代勇者―――セージの事か。
エルミナの城で戦った姿を思い出して目を見開く。
肩の上でマーリーが息を呑んだのも聞こえた。
「我らは魔龍王閣下の御手によって生み出されたとはいえ魔物。それは魔龍王閣下が多くの力を注いで作ってくださった余達始原の竜も同様。人の子への復讐を。女神の討滅を望む魔龍王閣下より受け継いだ根源的欲求を排すことは出来ぬ」
両手を大きく広げて自分の体を見せつけるようにして死竜はのたまう。
「だがこの小さき器へ変じてよりその衝動は遠きに聞こえるのみ。これで我が望みもかなうという物」
「望み?」
魔物である死竜に確固たる意志が存在することにも驚いたが、さらには欲求まで存在するとなれば気にはなる。思わずシュウは尋ねていた。
「余の身は常に死の瘴気を纏っておる。我が前に立つ者たちは皆死に絶えた。故に余は望んだのだ。より強き者との闘争を! 対等たる力同士のぶつかり合いを!」
大仰に述べられた口上には若干の陶酔が混じったもので、目には飽くなき争いへの渇望が見て取れた。
「バトルジャンキーか」
「何とでも言うがよいぞ人の子よ。余の望みを叶えぬというのならば、あたり一帯へ瘴気を振りまいてやるだけだからの」
そう言って口元を三日月型に歪める。
「脅迫とか魔物のやることかよ」
そう言いながらも十字架を構える。
どのみちやるしかないことは分かり切っていた。
槍の如く構えた十字架の先端を割り裂いて光の刀身が現れる。槍の穂先、と言うよりは短い刀であり十字架と相まって薙刀のようなシルエットを形作る。
「ほう、その武器ならばこの状態の余であっても刺し貫かれれば危ういかもしれぬの」
そう言ってますます喜悦の表情を深める。
「救いようのない奴だな」
「自覚はあるでの」
死竜は構えない。
ただ一見無防備に歩み寄って来る。
瘴気を纏い続けている死竜の歩みは普通の人間ならばそれですらも致死の一撃になる。
傲慢。
あらゆる生者の上に立つ屍の王。
「では、尋常に」
死竜が口にした瞬間、地面を割る勢いでシュウは跳び出した。
一瞬にして死竜の間合いへ踏み入るものの、死竜の眼はシュウを見失ってはいない。
その死竜の背後。
シュウを見ていることで死角になる場所に炎の槍が現れる。
マーリーの魔法だ。
けれどそれを死竜は振り返ることもしなかった。
身に纏っていた着物が一部膨張し炎の槍を受け止める。
ならばとマーリーは死竜の足もとの地面を鋭く隆起させた。
だがその魔法は発動する前に死竜が踏み下ろした一撃で粉砕される。
結局一歩たりとも動かぬどころか、死竜の意識を逸らすことさえもできなかった。
シュウの十字架の切先と着物の袖が変化し覆われた死竜の手刀がぶつかり合う。
「よいぞよいぞ。何人でも構わぬ。かかって来れるというのならばいくらでも相手をしようぞ」
「くそっ!」
閃光の如く繰り出された十字架は、死竜の手刀に傷すらつけられていない。
死竜の申告が事実ならばこの十字架の攻撃は効果があるはず。
おそらく覆っている着物が原因なのだろう。
マーリーの魔法を苦も無く防ぐような服なのだ。
シュウは攻防一体の神竜の脅威をようやく肌で実感し始めていた。