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剣の神官と女神の剣  作者: 橘トヲル
54/105

54話 死竜


 近寄るとその大きさがよりはっきりわかるようになった。

 見上げるほどに大きい。

 そして近づけば近づくほどに腐臭が強まっていく。

 すでに足もとの草花は枯れ落ちている。

 シュウは鼻を突く異臭を感覚からシャットアウトして死竜の視線と合わせた。


『ほう、この近さまで寄ってまだ息がある人間がいるとはな』

「お宅の息は臭すぎるな。歯磨きでもしに帰ったらどうだ?」

『礼儀のなっていない人の子よな。すぐに腐肉にしてやろうぞ』

「悪いが負けるわけにはいかないんだ」


 挑発の応酬は、意外と気の短かった死竜が口元にブレスを溜め始めたことで打ち切られた。

 大きく開かれた口元に紫の閃光が収束する。

 ついさっきシュウたちに向けて放たれたものと同じ色の光だった。

 そして死の吐息はすぐに放たれた。


『ゴアアアアアアアア』


 放たれたブレスは溜が短いのか先ほどの物よりもずっと細い。

 一瞬で迫りくるブレスをシュウは跳んで避ける。


『空中では逃げられまい』


 口を開けてブレスを吐き続けたまま、死竜がブレスの向きを上へ逃れたシュウへ向けて不規則な軌道で追いかける。


「そいつはどうかな」


 追いかけてきたブレスを空中でひらりと躱す。

 躱せたのは足の下に敷いたカース=トリックの力によるものだ。十字架からは再び光の翼が伸びて力強く羽ばたいている。


『ほう、人の身で我と同じ空へと上がるか。面白い』


 自分の頭の上を飛んで見下ろすシュウにそう告げると、死竜は再び羽を羽ばたかせ腐臭をまき散らしながら浮かび上がる。

 一瞬目線が交錯し、死竜の瞳が高揚に細まった気がした。


「ゴアアアアアアアアアアア」


 再び、今度はもっと細く短いブレスがノータイムで放たれる。

 それを危なげなく避けると、死竜への接近を試みた。

 死竜は長い首を生かしてブレスの角度を変え、シュウを執拗に狙ってくる。

 けれどそれをシュウは身をひるがえし、上下すらも入れ替えながら躱していった。

 死竜のブレスはその名の通り吐息、つまり口元から発せられている。

 口元よりも内側の間合いに入ってしまえば攻撃が届くことはない。

 間合いの内側に入ろうとしていることは死竜も理解しているのだろう。

 ブレスを吐きながら羽を羽ばたかせ、距離を保とうとしている。

 間合いの詰め合いは位置を変え、高さを変えながら続いた。はたから見れば命がけのダンスに見えたかもしれない。

 均衡を崩したのは、シュウだった。

 死竜の体は、巨大すぎたのだ。

 小回りの利くシュウの方が機動性は上だ。

 首を最大限動かして追いかけてくるブレスをアクロバットに躱して肉薄する。


「カース=トリック!」


 足もとの十字架に指令を送る。

 大きく展開していた羽の先が、鋭く伸びて死竜を穿たんと伸長する。

 ブレスを中断して躱そうとした死竜であったが、シュウは距離を維持して逃がさない。

 十字架の羽は死竜を捉える。


「ガアアアアアアアアアアア」


 死竜の絶叫が空中に響く。

 羽の先端は死竜の体を焼き焦がしながら穿っている。

 刺し貫いたまま、死竜を地上へ向かって押し込んでいく。


「はああああああ!」


 ぐんぐん地上が近づいてくる。

 けれどもシュウは死竜に圧力をかけ続けることをやめなかった。

 このまま地面に縫い止める。

 その思惑は当然死竜に読まれる。

 死竜の咢が光翼を間に挟みながら開かれる。

 シュウへと一直線に向けられたそこにはすでに紫の閃光が収束していた。

 まっすぐに放たれたそれをシュウは真正面から受けてしまう。

 口の端をにやりと歪める死竜だったが、それは一瞬で疑念へと変じる。

 光翼の拘束は緩むことなく、ブレスが纏っていた瘴気が晴れるとそこには無数の傷と爛れた皮膚をさらしながらいまだ立つシュウの姿がそこにあったからだ。


『人の子よ、なぜ死なぬ!?』

「こいつを装備している間は天使の加護とやらが付くらしいぞ」


 まぁ実際は肩の上にいたマーリーが障壁を張ってくれなければ溶けていたかもしれない。

 痛みを我慢しながら仕掛けたハッタリは思ったよりも効果があった。

 大きな土煙を立てながら死竜の体を地面に叩きつけることに成功したのだ。

 伸ばされた10の羽先はしっかりと死竜の体を貫通し、その体を大地へと縫い止めている。


「悪いけどこれ以上あんたとやり合っている余裕はないんでな」


 十字架の短い方の先端が左右に展開し、中から光が溢れ出す。

 光はそのまま十字架の先に大きな刀身を作り出した。

 シュウは十字架に乗ったまま、光の剣の切先を地上でもがき続けている死竜の心臓へと向ける。


『おのれ、女神の眷属め!』


 恨み言を叫ぶ死竜へ向けて、剣の十字架は発進する。

 光の剣は狙いたがわず体の中心を捉えることに成功した。


『オオオオオオオオオオ』


 絶叫を迸らせる死竜の目から、光が失われる。

 首が力なく大地に横たわり、もがいていた体も弛緩していた。


「やった、のか?」


 十字架の上でシュウが呟く。

 巨体の割にあっけなく肌を貫通できたことに若干の戸惑いを覚えながらも、じわじわと討滅できたことに喜びを感じるシュウ。

 けれど、


「……いや、まだよ!」


 ひげをぴくぴくと揺らし、警戒していたマーリーの方が一瞬早く気が付いた。

 どろり。

 と、死竜の肌が黒く溶けていく。

 硬い外皮がどろどろの粘液になって溶けて地面に広がって気持ちの悪い毒沼を作っていくのだ。

 発せられる瘴気の量が増えたことを感じてシュウは再び空に飛び上がる。

 その視線の先で、死竜の体は完全に肉片どころか骨すらも残さずただの毒沼と化してしまった。


「何が、起こったんだ?」


 呆然と呟く中、毒沼の中心が小さく盛り上がっていくのに気が付く。

 まるで沼の中から急に浮上してきたようにそれは現れた。

 少女だった。

 10歳前後、リットよりもなお幼い容貌の少女だった。

 足もとまで届く長い紫紺の髪と瞳を宿し、肌は白雪の様に白い。

 毒の沼地の中から現れた彼女の肌の上を死竜の液状化したものが流れ落ちていく様は見ていて気持ちの良いものではなかった。

 少女の視線が茫漠としたものから宙を飛ぶシュウへと焦点があったのはそれからわずかの事だった。

 その瞬間、シュウの心臓が氷の手に握られたかのように跳ね上がる。


「何よ、あれ」


 未だ気が付かないマーリーの声に構わずシュウは高度を落とした。


「どうしたのよ」

「死竜だ」

「え?」

「あの殺気、死竜で間違いない」


 徐々に高度を落とすこちらを見て、少女の口の端が獰猛に吊り上がる。ぎざぎざの人間とは思えない歯が並んでいた。


「魔物が人間になったっていうの? そんなこと、今までなかったわよ!?」

「でも現実に起こってるんだ。認めるしかないだろ」


 シュウはカース=トリックを沼地の端に降ろした。

 真正面に少女を見据える。

 やはりかなり小さい。

 130センチくらいだろうか。

 細く華奢な手足だけではなくつるりとしたお腹や胸もむき出しだが、表情と目だけは妖艶な大人の物であり違和感が激しい。


「ふむ、降りてきおったか。潔いことよ」

「お前、死竜、何だな」


 先まで聞こえていた脳に響く声などではなく空気を震わせた少女の声だ。

 その姿にも思わず確認をせずにいられなかった。


「何を言っておる見ればわかるであろうが」


 そう言ってない胸を張る死竜。

 その様からは全く先ほどまで死闘を演じていた死竜とは思えなかったが、纏う気配は死竜そのものだ。

 今一度気を引き締める。


「では、第二ラウンドといこうかの」


 それと同時に地面に出来上がっていた毒の沼地が死竜へと収束していく。

 毒沼は死竜の小さな体を覆い、赤黒い色の着物へと変じた。

 袖とすその長さが全くあっておらず、地面に垂れ流しになっていかにも動きにくそうであったが、シュウは微塵も油断をする気にはなれなかった。

 カース=トリックを構えて冷や汗を垂らす。

 先ほどまでよりも強い。

 なぜだかそんな予感が緊張を強いているのだった。


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