53話 開門
状況が動いたことに気が付いたのは6体目の巨大ドラゴスケルトンを浄化した時だった。遠くで兵士たちの雄たけびを聞いたのだ。
見ればマルクドーブの街の門が開いている。
中からは騎馬にまたがった兵士を先頭に、無数の兵士たちが溢れ出してきていた。
「ようやくか……!」
すでにドラゴスケルトンの数は半分まで減らせている。
数こそ多いものの、一体一体の戦闘能力はそこまで高くはないのがドラゴスケルトンだ。背後から兵士たちに切り伏せられ白骨たちは物言わぬ屍へと変じていく。
統率のとれた兵士達が的確に敵軍を削っていく様は見ていて気分のいいものであった。
「よし、これなら何とかなる」
「ええ、もうちょっとです」
リットと2人十字架の下で頷き合う。
兵士達とは対照的に、カース=トリックの光翼を荒々しく振るい近づくものを片っ端から、あるいは目立つ巨大な白骨を優先的に倒していく。
兵士たちとシュウの持つ強力な武器のおかげで均衡は完全に逆転した。
白骨の群れはあっという間に減っていく。
そしてついに白骨の包囲網は崩れた。
「おい、大丈夫か!」
声を掛けてきたのは城壁から出てくるときに言い争った青年兵士だった。
出会った時と同じ馬にまたがって、今は槍を手にしている。
その姿を見て取って、光翼の動きを近寄って来る敵だけに絞るようにして道を作る。
「ああ、おかげで助かった」
「……不本意だが、礼を言うべきなのはこちらだな」
青年兵士が若干苦々し気な顔をして言う。
あれだけのことを言えば当然か。
顔には出さないようにしつつシュウも少しばかり気まずい。
「いや、あんたらが来なけりゃ勝てなかったさ」
「だとしても、だ。あと、さっきは悪かったな。情けない姿まで見せてしまった」
「構わないさ。最後には来てくれただろう」
「……あれでエレイン様がお許しになってくれればよいのだが」
何倍もの軍勢に打って出たのだ、それだけでも賞賛に値する。そう言ってやりたかったが、あの騎士の気性を考えるにそれでも怒られそうな気もした。
「まぁ戦いはまだ終わっていない。気を抜くなよ」
「怪我人はこちらへ連れてきてください。治療しますから」
「ありがとうございます神官様。よろしくお願いいたします」
リットにも深々と一礼すると青年兵士は去っていった。
後ろ姿からはついさっきまでの暗さも悲壮感もない。
背筋を伸ばし、一体一体的確にドラゴスケルトン達を屠っていく。
「いい人ですね」
リットがその姿を見てほっとしたように言う。
「ああ、そうだな」
兵士たちは先ほどまでの士気の低さなど微塵も感じさせず、次々にドラゴスケルトンを駆逐している。
数では圧倒的に劣る兵士達ではあるが、質においては大幅にドラゴスケルトンを上回っている。シュウによって数の不利が大きく覆された今形成が逆転するのは自明の事であった。
それでも、あの数に立ち向かうためにはかなりの勇気が要ったことだろう。
普通の街であったならば、たとえ今と同じことが起きようとも誰が立ち上がっただろうか。
「さて、それじゃ残りもさくさく倒していくとしようか」
カース=トリックの翼を大きく広げ、未だにまとまっているドラゴスケルトンを一掃しようとしたその時だった。
ぞわり、と危機感から全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。
視線を気配の方へと向けて、視認したものを理解するよりも先にカース=トリックに命令を出す。
翼を大きく広げ、それを交差させて盾のようにしたのだ。
次いで響く轟音と衝撃。
歯をかみしめて衝撃をやり過ごすことに徹する。
翼の下にかばわれた兵士たちもその衝撃を受けて慌てふためいている。
彼らを守る為に今はただ全力を尽くすしかなかった。
翼にかかる圧力がふっと消えたのは、数秒後の事だった。
それと同時に攻撃を受けた部分から光翼がボロボロと崩れていく。
形状を維持できなくなったような感じだった。
「一体、何が起こったんです?」
「あれだ」
シュウは平原の遠く、空から舞い降りてきたそれを指さす。
攻撃が届く直前、空に浮かんでいたそれをシュウははっきりと見ていた。
空を覆う巨大な翼。
四足の体躯は太く頑丈そうだ。
全身を覆う赤黒い血管のようなものはどくどくと脈打ち気味が悪い。
長い尾の先端には針山の様に生えた棘がある。
蜥蜴のような双眸ははっきりとシュウのことを射抜いているのだった。
「死竜だわ……」
肩の上から小さく呆然とした声が漏れ聞こえる。
見ればマーリーが全身の毛を逆立てながら見開いた眼を空に浮かぶ竜へと向けていた。
シュウたちが見守るなか、死竜は徐々に高度を下げながらその巨体を近づけてくる。
「それじゃ、さっきの攻撃は」
「死竜のブレスよ。あれと出会うなんてとんでもない不運ね」
マーリーの声はリットに聞かせないため小声だったが、その警戒感が高まっている。
その視線の先でついに死竜が地面へと舞い降りた。
巨体の割には小さな音を立てて大地に降り立つ。
一瞬、死竜の体を中心に風が舞い上がる。
その風には不快な臭いが混じっていた。
腐臭。
そう呼ぶほかにない臭いだった。
実際、死竜の舞い降りたあたりの地面に咲いていた草花が明らかに枯れ始めている。
「シュウさん、あれはまずいです」
リットが声に恐怖をにじませながら呟く。
「あれは死竜です。存在するだけで周囲に死を振りまく存在。生命力の弱い物や小さいものは近づく前に死ぬほどの瘴気を常に纏っているんです。このまま街に近づかれれば……!」
「……!」
街には子供や老人だけじゃない、怪我人もいる。もし今あの腐臭にまみれた瘴気を浴びてしまったら命はないかもしれない。
何よりあのブレス。
もしもう一度放たれれば受け止め切れるかどうか。
『人間よ』
突然、脳内に重々しい声が響く。
『我は死の撒き手。魔龍王閣下の命によりこの地に来た。おとなしく輪廻の輪へと還るがいい』
そして翼が大きく広げられ、風を巻き起こす。
それに伴って届く瘴気の臭い。
今度の物はかなりキツイ。
事実あたりにいた兵士たちが何人もバタバタと倒れている。死んではいないようだが中には口から泡を吹いている物もいるようだ。
「……」
「行くんですか、シュウさん」
死竜へ向かって歩き出したシュウに向かってリットが訊ねる。
振り返って見下ろせば、服の裾をつまんで見上げてくる眼には不安と期待がないまぜになった眼とぶつかる。
「逃げるわけには、行かないからな」
周囲の兵士たちの絶望に染まった眼を見て。
あるいは向けられるリットと同じ色の視線を感じて。
「……どうか、死なないでくださいね」
「当たり前だろ。まだ、魔王を倒してないんだからな」
そう言ってぽんとリットの頭に手を乗せて撫でる。
一瞬喜色に染まった顔が、すぐに不機嫌なものに変わった。
「こ、子ども扱いしないでください!」
「怖がってるのかと思ったんだけどな」
「そんなことありません。さっさと行って、さっさと帰ってきてください。私は兵士の皆さんの治療をしていますから。ですが……」
言葉を区切って、頭にのせられたままの手を優しく握って下ろす。
「回復が必要になったらすぐ呼んでください。必ず助けます」
「分かった。リットは俺が必ず守る」
お互いの決意を伝え合うと、二人はお互いに背を向けた。
リットは周囲の兵士を助けるために。
シュウは死竜と戦うために。
「いいの? あれ、かなり強いわよ?」
リットから十分に距離が離れたところで肩の上でマーリーが警告してくれる。
「分かってる。マーリーこそいいのか? リットと一緒に離れててもいいんだぞ」
「あれを倒すなら援護が必要でしょ」
「実際あれはどのくらい強いんだ?」
「あれは神竜級の魔物よ。魔龍王以外では唯一自我と知性を持つ魔物。だから幼竜級でしかないドラゴスケルトンがあんな統率のとれた進軍をしていたのね」
神竜級、と言うことは古竜級に属する地竜以上の存在と言うことだ。
カース=トリックを握る手に力が入る。
緊張に渇く喉を、唾を飲み込んで潤しながらそんな姿を見せないようにして一歩一歩進んでいった。