50話 兵士
一番外側の市街地を囲む城壁まで来ると、そこには兵士たちが無数にせわしなく動いていた。
誰もかれもが必死に防戦の準備をしている。
土嚢を積む者達や、城壁の上へ武器を運び込む者達。
隊伍を組んで城壁の外へ出て行く兵士たちもいる。
しかしその動きはどれも精彩を欠いているように見えた。
どことなく動きが緩慢で、ちらりと覗き見る顔は誰もかれも暗い。
「これでは勝てるものも勝てないぞ……」
「シュウさん?」
思わずつぶやいたシュウをリットが見上げる。
「いや、何でもない。それよりも、この状況じゃ城壁の上から平原を確認するのは難しそうだな……」
二人がここへ来たのは城壁の上から敵の様子を確認できればと思ったからだった。
だがこの状況ではよそ者を入れてもらうことなど出来そうにない。
「おや、あなた方は……」
そう思って城壁とそこをひっきりなしに出入りしている兵士たちを眺めていると、一人の兵士が声を掛けてくる。
それは先ほど救護所の前まで案内してくれた青年兵士だった。救護所の前で別れて以来だった。
「こんなところでどうされたのですか?」
「ああ、えっと……」
さてどう説明したものか。
「私たちも籠城戦に参加しますので、敵の様子を確認に来たんです」
そう悩んでいたシュウだったが、隣のリットが機転を利かせて説明してくれる。
「本当ですか!? それは心強いです。敵の数は既に数万にも及んでいるようで……いえ、実際にご覧頂いた方がいいですね。こちらへどうぞ」
青年兵士は二人を城壁の上へ上る階段へと先導してくれた。
一ミリも疑っていない青年兵士に若干の罪悪感を覚えるが、その嘘をついた本人をちらりと見れば小さくピースサインを送ってきている。
小さくため息をつくと、シュウは青年兵士の後を追った。
城壁の上に上るとそこからは平原が一望できる。
そう思っていたが、実際に見えたのはその一部だけ。
遠くとも言えない距離は、すでにドラゴスケルトンたちの白骨で埋まっており白い。
その光景に息を呑む。
「この街は東西南北に4つの門を構えていますが、そのすべての前が今これと同じ状況だそうです」
「つまり敵の総数はこの4倍と言うことですか……」
青年兵士の声は若干震えていた。
城壁に上るまで、この青年兵士は戦う意思を喪失していないのだと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。
「怖いか?」
シュウが青年兵士に尋ねる。
彼は一瞬口ごもった後で、目を吊り上げて、
「怖いに決まってるじゃないですか。私たちはこれからあれと戦わなければならないんですよ!?」
「四方を囲まれ、逃げることもできない、か」
「……部下の手前、私も可能な限り弱音は吐かないことにしています。ですが、やはりあれを見てまだ生き残れるとは、とても思えません」
城壁の柵を殴りつけ、青年兵士は悔しそうに言う。
「この街には家族がいます。友人もいます。知り合いも仲間もたくさんいるんです。そして私には戦う義務と責任があります。むしろ戦えることに、一矢報いられる可能性があることには感謝すら感じますよ。けどね……」
青年兵士の顔には泣き笑いのような、奇妙な笑い顔が張り付いていた。
「やっぱり怖いんですよ」
「……そうだな」
それはごく当然の感情だろう。
むしろ戦う気概がかけらでも残っていたことにシュウは感心したほどだった。
「神官様、エレイン様の容体はどうなんでしょうか?」
「怪我は完治しました。失った腕は戻せませんでしたが……あとは彼女の精神次第ですね」
「そう、ですか」
リットのつらそうな報告に、青年兵士は短く答えたがそこにはより色濃い絶望が反映されていた。
「……なぁ、あんたもエレインがいなければ勝てないと思っているのか」
「何だって?」
エレインが戦線に復帰できないことを悟って、本当に諦めきったのだろう青年兵士にあえて挑発じみた言葉を掛ける。
そもそもこの青年兵士がかろうじて体裁を保っていたのはエレインの元へリットを送ったからだったのだろう。
傷が完治したエレインが再び剣を取り、敵軍を圧倒して皆が救われる。
そんな夢みたいな妄想がかなえられることを心のどこかで信じていたのだろう。
「いつまでお前たちはエレインに責任を押し付ける気なんだ。俺は彼女と会ってまだ数回しか言葉を交わしていないが、これじゃあエレインがかわいそうじゃないか」
「ちょ、ちょっとシュウさん!?」
「お前っ!」
何を言い出すのかと驚愕に目を見張るリット。
同時に青年兵士が顔を真っ赤にしてシュウに掴みかかる。それをシュウはされるがままにして、さらに声を張り上げ手元の作業を止めてなんだなんだとこちらを見ている兵士たちに聞こえるように言ってやる。
「お前たちは臆病者だ。エレインを失って、戦う気力までなくしている。これからお前たちも、お前達の家族も蹂躙され殺されるのはエレインがいないからだと彼女のせいにするつもりか」
その言葉を聞いた兵士たちの視線が一斉にシュウを向く。
「てめぇ!」
「ぶっ殺してやる!」
「お前ェ!」
いきり立つ周囲の人々。
それらを一瞬睥睨して、
「行くぞ、リット」
「へっ!? え、え、え?」
青年兵士の掴む手を無理矢理に引きはがし、隣に立っていたリットを抱え上げる。
城壁の端に身軽に飛び上がると、殴りかかろうと駆け寄ってきていた兵士たちの手をすり抜ける。
そしてそのまま空中へと身を躍らせた。
集まっていた群衆の眼が怒りから驚愕へと変貌する。
「嫌なら戦え。生き残るために全力で戦え!」
そう叫ぶ。
壁上の人々がみるみる遠ざかる。
当然だ、かなりの高さから飛び降りたのだから。
リットもシュウの首にがっちりとしがみついて目を瞑ったままだ。
わずか数秒の浮遊感ののち、シュウの足はしっかりと再び大地を踏みしめる。強化された脚力を最大に生かした着地は、衝撃を一切リットまで届かせなかった。
「にゃー」
肩に乗せたままだったマーリーが「よくやるわね」とあきれたような目で見ている。
それに軽く笑い返すと周囲をぐるりと見回した。
城門は少し離れたところにあるが、そこから出て作業していた兵士たちは皆一様にこちらを指さして騒いでいる。
当然だ。シュウだって空から人が降って来れば大騒ぎする。
とりあえずは城壁の上にいる兵士たちが下りてこないうちにここから立ち去らねばならない。
「ちょ、ちょっとシュウさん……」
か細い声に視線を降ろせば、リットが睨むような目で腕の中からこちらを見上げている。目尻には小さな涙が溜まっていた。
「いきなり何てことするんですか! 降りるなら降りると一言言ってからにしてくださいっ!」
「悪い。あんまりそんなこと言ってられる状況じゃなかったからな」
「だったらそもそもあんなことしないで下さい! 私にも心の準備と言うものがですね―――」
「そんなに怒るなよ、ちびったのか?」
「っ~~~~~!」
無言のままぽかぽか殴って来るリットをなだめつつ、歩き出す。腕にはリットを抱えたままだ。
次第にその速度は上げていく。
「このまま戦いに行くんですか?」
「ああ。もうあまり時間がないからな」
「兵士の方たち、すごく怒ってましたよ?」
「わざとやったからな」
「やっぱり……エレインのためですか?」
「自分が負けたせいで街が滅んだなんて知ったら、さすがにつらいだろう。さすがにあの数じゃ、俺一人の手には余る。最終的にはあの街の兵士たちの力が必要だ」
それにしたってあの状態じゃ死体の山を増やすだけだろうが。
街の様子を思い出して内心でため息をつく。
これからやる無茶で、彼らが奮起してくれればいい。
そう考えていた。
「このまま敵の真ん前まで突っ込む。舌を噛むなよ」
平原を走る速度をぐんと上げた。
日は西へと傾き、気の早い月が山の陰から顔をのぞかせ始めている。
今夜は満月らしかった。