48話 欠落
蓋になっていたぼろぼろの板をどけると、顔を井戸から出す。
ゆっくりと顔を出すと、真正面に白い骨。
その空っぽの眼窩と目が合って体を硬直させる。
危うく手を放して井戸の底まで真っ逆さまに落ちてしまうところだった。
「しゅ、シュウさん、どうしたんですか?」
「な、何でもない」
リットにそう言ってからもう一度ゆっくり顔を出す。
そこから見えたのはやはり白い頭蓋骨。
頭頂部には角が付いており、ドラゴスケルトンの物だとわかる。
しかし体はどこにもなくピクリとも動かない。
どうやらすでに死んでいるようだ。
それを確認すると、一気に井戸から這い出る。
あたりを見回せば、どうやら見覚えがある。
「ここ、おとといの晩にいた公園か?」
「どうやらそうみたいですね。しかし……」
シュウの言葉にリットが頷くが、顔をしかめている。
それもそうだ、あたり一面にドラゴスケルトンの骨が散らばっているのだから。
「かなりの数が入り込んだようですね……エレ姉達が無事ならいいのですが」
その視線が、貴族街のさらに奥、スレイヤー辺境伯の城の方を不安げに見つめていた。
「ひとまず、エレインと合流をしよう。状況が確認できれば戦いようもあるかもしれない」
「そう、ですね」
リットと二人、公園を出る。
あの日戦った貴族街の城壁が見えるところまで来てみるが、そこもあたり一面に戦闘の痕跡が見られた。
幸か不幸か、どこにも兵士や市民の死体はなかった。
みんな助かったのか、それとも回収された後なのか。
「そこにいるのは誰だっ!」
そうこう考えているうちに、背後から大きな声を掛けられる。
振り返れば馬に乗った兵士が一人、そこにいた。
まだ若い、シュウと同じくらいの青年だ。
青年兵士と目が合って、緊張につり上がっていた目が一気に弛緩するのを見た。
こちらが魔物ではなく人間だと認識したのだろう。
「すまない、人間か」
「こちらこそすまない。昨日出て行ったところから戻って来たんだが、襲撃あったのか?」
「ああ、見ての通りだ。一度は貴族街まで侵入されて、肝を冷やしたよ。今は市民街まで押し返して、マルクドーブの街全域から魔物は駆逐した……と思ってたんだけどな」
そこで一気に青年兵士の顔色が暗くなる。
「外の魔物の大軍か」
「ああ、外から戻って来たってのは本当らしいな。どうやら連中、駆逐されたのではなく自分たちで撤退したみたいだ。それにしてもよく戻って来れ―――っあ!?」
そこまで言って急に青年兵士は目を見開く。
視線はシュウの後ろにいるリットに向けられていた。
「あなたは一昨日の晩仲間たちを癒して下さった神官様ですよね!?」
「は、はい。そうですが……?」
「ああ、よかった! これも女神セレナ様のお導きだ! お願いします、城へ急いでください!」
「……何かあったのか」
急にまくしたて始めた青年兵士の剣幕にただならぬものを感じて、シュウが聞き返す。
「昨日の戦いでエレイン様が重傷を負ってしまわれたのです! 今はまだ息がありますが、このままでは死んでしまいます!」
「なんですって……!?」
リットの顔が一気に青ざめたものになる。
「す、すぐに案内してください!」
「はい、この馬に乗ってください。申し訳ないですが、お連れの方は後から……」
「その必要はない」
青年兵士がリットを馬に乗せて駆け出そうとするのを制止して、リットを横抱きに抱える。
「このほうが早い」
そう言うなり馬の頭が向いている方向へ駆け出す。
馬と同じ速度で走れるなど、こうして見せでもしなければ信じまい。元々大まかな方向は分かっていたのでこうして実際に走った方が早いだろう。
すぐに追いついてきた青年兵士は信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。
それでも無駄口を叩かないのは、相当にエレインの容体が悪いのかもしれなかった。
時折曲がり角を支持してくる以外では会話もなく、リットも腕の中で身を小さくしているだけだった。
そうして数分が過ぎた頃、ようやく遠くに見えていた城が目に入る。
目に入ったそれは城と言うよりも武骨な砦を思わせた。
その城壁の周囲にはいくつも仮設のテントが並び、手当てを受けた人々があちこちに座り込んでいる。
「エレイン様はあちらの救護テントで治療を受けられています!」
「シュウさん、下ろしてください。ここからは自分で歩けます」
あまり目立つ行為をして集まった人々を不安にさせてもいけないと思ったのだろう。リットの言葉に頷くとゆっくりと下ろす。
「分かった」
先を急ごうとする青年兵士に続いてリットが歩き出す。
心配で仕方がないと言ったところなのだろう。
しかし今、シュウは気になることがあった。
目の前の光景。
避難民たちがそれぞれにうつむいて座る今の光景は一昨日も見た。エルミナでも見たはずだ。
だというのに、その光景に違和感を覚える。
誰もかれもが力なくうずくまっているようだ。
そう、まるで戦意がないような―――
「シュウさん、何してるんですか?」
リットに声を掛けられて、我に返る。
疑問は一度脇に置いて、二人を追いかけた。
二人が立っていたのは一際大きなテントの前だ。
その入り口の脇には鎧を着た兵士が二人、護衛なのか立っており青年兵士と何かやりとりをしているようだった。
シュウが二人の元に追いつくのと、兵士たちが頷いて道を開けたのは同時だった。
転がり込むようにして中へ入るリットに続いてシュウも続く。
中に入ってすぐ、消毒液の鼻を突く臭いがした。
さほど大きくはないテントだったが、中には大勢の人がいた。
ほとんどは白い衣服に身を包んだ医者だとわかる。
そんなテントの中心に、一つだけベッドが設置されていた。
隣には一際仕立てのいい軍服を着た男性が沈痛な面持ちで椅子に座り込んでいた。
ベッドには一人の人間が横たえられている。リットはそこへと駆け寄っていく。
「エレ姉!」
ベッドに横たわる人物に、リットが縋るようにして名前を呼ぶ。
後を追ってベッドの上を見たシュウは息を呑んだ。
そこにいた人物を、一昨日見たエレインとは認識できなかったからだ。
軍服を纏い、貴公子然とした様子だった彼女の姿はそこにはない。
全身を包帯に巻かれ、いたるところで血がにじんでいる。肌が露出している場所の方が少ないくらいだろう。そして荒い息を繰り返している彼女の左腕が半ばから消失していた。すでに縫合は終わっているようで大きな出血はないが、巻かれた包帯の分厚さがより重症の度合いを示しているように見えた。
「君たちは……?」
消沈した声を上げたのは軍服の男性だ。
上げられた顔は土気色で生気がない。
まるでこの世の終わりを見てきたかのようだ。
「お初にお目にかかりますスレイヤー辺境伯。申し訳ありませんが事情は後程。今はご息女の治療が先です」
「治療……治療? 治せるというのか!?」
「ちょっ、おい!?」
急に口の端から泡を飛ばしながらリットに食って掛かるスレイヤー辺境伯をシュウが間に入って抑える。
我を失っているのかかなり力が強い。
「治療を始めます。シュウさん、少しそのままでお願いします」
「分かった」
スレイヤー辺境伯を抑える力を強める。
相変わらずわめいているスレイヤー辺境伯だが、周りは取り押さえているシュウにどうしたらいいのか戸惑っているようだった。
そんな混乱の中でリットの回復魔法が発動する。
テント内を白い光が一瞬満たす。
その光に驚いたのか、テント内にいる人間すべてが動きを止めた。
光が収まって最初に動いたのは、ベッドの上に横たわる人物だった。
「う……スピネ、ルさ……?」
瀕死の重傷だったエレインが、目を覚ましたのだ。
その事実を認識してテントの中の空気が一気に喜びに塗り替わる。
わっという歓声が上がり、同時にシュウにつかみかかっていたスレイヤー辺境伯の腕から力が抜け、地面に崩れ落ちる。
「エレ姉、体の傷は治しましたが辛いでしょう。もうしばらく眠っていてください」
「すま、ない……」
虚ろな目が再び閉じられてすぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
傷は治ったが、心の疲れまでは癒せないのだろう。
そして治せないのは失われた左腕もそうだ。
エレインの左腕は変わらずなくなったままだ。
「シュウさんの時の様に切り落とされた腕があればつなげることもできたんですが……こればっかりはどうしようもないですね」
シュウの視線に気が付いたのだろう、リットが残念そうに言う。
「いや、命を救ってもらえただけで十分だ……」
かすれた力のない声が足元から聞こえてくる。
スレイヤー辺境伯だった。
彼は顔を涙で濡らしながらリットに感謝の言葉を告げた。
「ありがとう、本当に、ありがとう」