44話 鉄壁
家を飛び出ると、目の前には森へと続く小道が伸びている。
森と家の境を見てシュウは思わず「あっ」と声を上げた。
霧が薄くなっている。
「まだ完全に破られたわけじゃない。だけど、あれがここに入ってきたらそれも時間の問題ね」
「あれ?」
地面に四足で立つマーリーが緊迫感をはらんだ声で言う。
聞き返したシュウが見たのは森に対して警戒心を全開にした黒猫の姿だ。
シュウも同様に森の奥を見てみるが、まだそこに何らかの姿を見出すことは出来なかった。
「ちっ、厄介ね。シュウ、あんた武器を召喚できるって言ってたわね」
「ああ、でも何でもは無理だ。実際に見たものか、名前や由来がはっきりしたものじゃないと」
「何よそれ、使い勝手が悪いわね」
「喚び出すときに明確にイメージしないと、同じような武器が幾つも出てきて頭が耐えられないんだよ」
「……なるほどね。ちなみに今出せるのは?」
そう問われて、今シュウが呼び出せるものを順番に答える。
一本ずつ答えていくと、マーリーの顔がどんどん険しくなっていく。
「いまいち決め手に欠けるわね」
「後は、これだな……」
そう言ってセイジョを喚び出す。
どれも決め手に欠けるというのなら、一番手になじむものを喚ぶのがいいだろう。そう思ってのことだ。
「あんた、それ……」
手に雪の様に真っ白な白刃が現れた途端、マーリーが目の色を変える。
「これか? 単純に手になじむくらいで特別な力はないぞ。それともこいつで戦えそうなのか」
「……いいえ。でも、そう。そうなるのね」
なぜか頷きながら、マーリーの眼はセイジョから離れないでいる。
その思考も、何かを深く考えているようで心ここにあらずと言った様子だ。
「おい、結局どうするんだ? マーリーの魔法でどうにかできないのか」
未だ姿を見せていない敵にどう対応するべきなのか、シュウの心には焦りが生じ始めていた。
「ああ、ごめんなさい。あたしの魔法じゃあいつにはほとんど効果はない……せいぜい牽制くらいにはなるかしら」
「いったい何なんだこっちに向かってる敵ってのは」
「あれは―――」
その正体を口にしようとしたマーリーだったが、それより早く森からそいつは現れた。
初め、それはまさしく巨大な鎧にしか見えなかった。
狼の意匠が施された、壮麗な真紅の鎧。そして巨大な逆三角形に近い形の盾。こちらにも真紅の狼の意匠が施されており二つが対になった存在であることを主張している。
だが次第にはっきりとしてきたその姿は、単に鎧と言うわけではなく中に着ている人がいた。
鎧と兜の隙間から覗くしわくちゃに干からびた、黒い肌のヒトガタ。
パッと見の印象はゾンビやミイラの様だった。
「ミナト……」
マーリーが呆然と呟く。
「ミナト? 勇者パーティの一人の炎狼の守護者ミナトか!?」
聞き覚えのある名前に記憶を掘り起こすと、かつての勇者パーティの一人の名前が浮かび上がる。
エルミナの街の広場で見た銅像では、確か巨大な盾を持った人間だったはず。
「あれが元勇者なのか!?」
「……いいえ。あれは死体を魔王が操っているのよ」
シュウの言葉に反応を返したマーリーだったが、そのセリフはどこか自分に対して言い聞かせているようなものだった。
しかしそれも当然か。昔の仲間の死体が自分を襲おうとしているのだ。ショックを受けないはずもない。
動揺するマーリーから視線を引きはがし、改めてミナトと向き合う。
とても大きい。
森からのっそりと表れたその身長は2メートルを超えている。本当に元人間なのか疑いたくなる存在感だ。
「シンカン……メガミ、ノ、テサキ……コロス……」
鎧の中のミイラが口を開くと、低く淀んだ声があたりに流れた。
どうやらリットを追ってきたのは間違いないらしい。
「あいつ、強いのか?」
「当たり前よ。すでに理性は失われているから当時ほどじゃないはずだけど、それでも女神から与えられた武器は健在のようだし。あれが十全に使えるならかなりの強敵よ」
女神からミナトが与えられたのが武器だというのなら、あの鎧か。
「あの鎧、攻撃はもちろん魔法も跳ね返すのよ。あたしみたいな魔法使いにとっては天敵ね」
ミナトは既にマーリーの家の前、開けた場所であたりを見回している。
リットを探しているのだろう。
このままなら家の中まで探し始めるのは時間の問題に思われた。
「とは言っても、やるしかないんだろう!」
シュウは、セイジョを握り締めると一気に駆けだした。
相手がこちらに対して警戒を強めていない今が好機。
そう考えての事だ。
後ろでマーリーが何か言っていたが、すでに目の前には2メートルを超す巨体がそそり立っている。
デカい。
本当にそれしか思えない。
「ジャマ、テキ……ハイジョスル」
ガンッ、と大きな音を立てて、手に持っていた巨大な盾をミナトは正面に構えた。
シュウとミナトの間に割って入った盾はミナトの身長に比例してかなり大きい。
直線ではなく、緩やかに弧を描くカイトシールドだ。
一直線にミナトへ迫ったシュウだったが、すでに視界はカイトシールドで覆われている。
まずは固さを確認するためにセイジョを盾に向かって振り下ろす。
次の瞬間に、シュウは後方へと弾き飛ばされていた。
「!?」
何が起こったのかわからない。
ただ気が付けば、地面を転がっていた。すぐに立ち上がって構えなおすものの、手がびりびりとしびれてセイジョを握っているので精いっぱいだ。
今受けた衝撃は、盾で押し返されたというレベルではない。
セイジョの攻撃をそのままはじき返された、そんな気がした。
「盾を破るのは不可能だな……」
あっさりと、盾の攻略を捨て去る。
シュウは再び突撃を敢行した。
それに対してミナトは同じように盾を構えながらも反対側の手に片手剣を抜いていた。
しかし一切を気にすることなくシュウはセイジョを振りかぶり、攻撃が当たる瞬間にセイジョを消す。
代わりに両手にコガラシを喚び出して、向上した瞬発力を最大限に使用してミナトの巨体を回り込む。
何もいない空間に、ミナトの片手剣が振り下ろされる。
盾にも剣にも感触がないことに疑問を抱いたのか。その巨体が一瞬硬直する。
その隙を見逃さず、背後から両手に握ったコガラシでの攻撃。
双剣を嵐の如く斬りつけ、通常の魔物であれば細切れになるような剣戟を浴びせる。
「!?」
この日一番の驚愕をシュウは味わうことになった。
鎧に、一つの傷もない。
そこへミナトの手に握る片手剣が水平に斬り払う。
それを見てシュウは再びコガラシを消し。
今度は無明を喚び出す。
攻撃の瞬間、ミナトの視界からは突然消えたように見えたことだろう。
周囲をうかがうその姿をシュウはミナトの頭上から見ていた。
攻撃をかわす瞬間、跳躍しミナトの頭上よりも高い位置にいたのだ。
このまま首筋に一撃入れる……!
小太刀を握る手に力を入れるシュウだったが、その目の前でミナトの体―――正確にはその盾から真紅の風が巻き起こる。
一瞬ミナトの体を包んだそれは旋回して、攻撃をくわえようとしていたシュウの脇腹へと突き刺さる。
「ぐっ!?」
突然の衝撃に脇腹を見ると、真紅の狼が噛みついている。
衝撃に吹き飛ばされ、地面をゴロゴロ転がる。
起き上がったシュウは、目の前に迫る二頭の狼を見た。
開かれた咢からは鋭い牙がのぞき、一瞬このまま頭をかじり取られる自分の姿を幻視した。
だがそうはならなかった。
目の前の地面から突然、巨大なつららが突き出し真紅の狼たちを牽制したからだ。
「無事!?」
短く、隣にやって来たマーリーに尋ねられる。
どうやら今のはマーリーの魔法の様だ。
「いくらなんでも無謀にもほどがあるわよ。あんた、死にたいの!?」
「悪い。それにしても何なんだ、あのチート性能は」
悪態も着きたくなる。
正面からの攻撃は盾によって完全にはじき返される。
体を狙った攻撃は鎧が完全に防ぐ。
周囲への攻撃は二体の狼が行う。
「なぁ、あの鎧を貫けるような武器、何か知らないか?」
「あいにく、あたしはご覧の通り武器なんて使わない戦闘スタイルだし、使えないのよ」
まぁ確かに魔法職なら武器など使わないし、猫の身ではそもそも持てないか。
「ただ、あいつと一緒に旅してた頃あの鎧を突破できた物理攻撃はほとんどなかったわね。あたり一面を水没させるだとか、毒の霧に落とし込むだとかそんな攻撃か、鎧の中の体に直接叩きこむような攻撃以外でまとも食らってるの見たことなかったわ」
いずれの方法も、現在のシュウでは不可能なものだ。
じわり、と汗がにじみ頬を垂れていく。
にじむ焦りを振り払いながら、どうするかを考えるのだった。