43話 憑神
女神を殺せ―――
その言葉に再びシュウは体を硬直させてしまう。
奇しくもエルミナの城でセージから聞いたものと同じだ。
「何を、言って」
「この家の周囲には、結界が張ってあって女神の監視や洗脳はすべて解除されるわ。今なら理解できるでしょう。この世界をこんな不毛な戦いに陥れているのが女神だということが」
「それは、そうだが……」
「元の世界での記憶を封印したのもこの世界で戦うことに忌避感を抱かせないため。元の世界で平穏に暮らしていた記憶は邪魔になるからよ」
「家族との記憶ですら、か」
「そうよ」
今まで感じていたズレをようやく理解する。
セージが言っていたのもこのことなのだ。
「女神はいくつかの例外を除いて、基本的にこの世界に干渉できない。とは言え、もともと世界の外側にあったものに干渉して送り込むことは出来るみたいね」
「マーリーの能力でそれを書き換えたのか。さっきから思ってたが、かなり強力な力だな」
女神からすれば、自分を脅かしかねない力だ。そんなものを配る物なのだろうか。
「まぁパッと見かなり地味な能力だし。直接戦闘には使えないしね。どういうつもりなのかは女神本人に会った時にでも聞くといいわ」
「本人に、ね。どうやって会えばいい?」
「簡単よ。魔王を倒せばいいのよ」
さっきから簡単のスケールがおかしい気がする。
「以前あたしたちが何人かの魔王を倒した話をしたでしょう。女神はその度に止めを刺したパーティを自分のいる空間に連れて行ったのよ。何らかの制約で最初に交わした約束を果たすために転移させる必要があるみたいね」
「よくそんなことが分かったな」
「元の世界に帰ることを希望しなかった勇者もいたから。こっちの世界で生きていくことを選ぶ勇者も少なくなかったのよ?」
続けて「まぁ、そういう扱いやすいのを選んでたっていうことかもしれないけど」と、自分も選ばれたことを棚に上げてのたまう猫。
「それなら、とりあえずは魔王を倒すのが当面の目的になるか。女神を倒す方法は、あるのか?」
しかしその問いになると、肩を竦めて困ったような表情をする。
「それが問題ね。魔王と同じように、直接見ることが出来ればあたしのリライトで倒せる武器に書き換えることもできる可能性はあるのだけど」
「女神に直接会えるのは魔王を倒した後。もしやるならぶっつけ本番になるな」
かなり危険な賭けになるだろう。
下手をすれば行くことは出来ても、女神を殺せない可能性もある。
「ギフトをもらった時には見なかったのか?」
「あの頃はまだ能力を使いこなせていなかったし、そうじゃなくてもこちらから干渉するのを防ぐバリアのようなものを出していたから無理だったわ。最悪、女神と会ってからそのバリアを壊すところから始まることになるわね」
「難易度高すぎないか……」
あまりのハードルの多さと高さにため息が出る。
とんでもないクソゲー仕様じゃないか。
「まだ話は終わっていないわ」
「まだ何かあるのか……」
「うんざりしているところ悪いけど、さらにうんざりする話よ」
シュウの声に、なぜかマーリーがいたわるような言葉を被せてくる。
「あの子の事よ」
「リットか?」
「そう、あの子は本物の神官なのでしょう?」
そうだ、本当はこの話を聞くために一階へと降りてきたのだった。
「神官っていうのはね、女神と直通のチャンネルを持つ者たちの事なのよ。自分の身をすべて女神にささげる代わりに、女神からの加護を貰う。その力が回復魔法と言う奇跡」
エルミナの城で、斬られたシュウの腕をくっつけた回復魔法は確かに奇跡としか呼びようのないものだった。
「と言うのが表向きに言われている話。実際には女神の力を借りて治しているだけ。女神は人間の造物主なんだから、治すのもそりゃ簡単よね。女神とどこまで同調できるかは本人の才能次第だから、回復させられるレベルは人によって違うみたいだけどね」
確かにジルバはこの国であそこまでの治癒魔法を使えるのはリットだけだと言っていた。
「そして同時に神官はその目で女神と繋がっているのよ。神官の見たものはすべて女神に筒抜けになる」
「見たものすべてか」
「そうよ。そのつながりを断つには神官をやめる他ない。そして当然そうなれば、もう回復魔法を使うこともできなくなるわ」
「……」
エルミナのギルドで。
マルクドーブの街で。
あるいはシュウが怪我をしたとき。
どこでもリットは怪我人を放っておかなかった。マルクドーブの街では手遅れになった人々をたくさん見た。そしてその度に間に合わなかったことをとても悔やんでいたのだ。
彼女は神官として、人を助けることを常に考えていた。
彼女が神官をやめるとは、思いにくい。
「待ってくれ、魔王を倒すための戦いだと説明すれば……いや、そもそも俺一人で決めることじゃ―――」
「決めて」
その思考を遮るようにマーリーが尻尾でテーブルを叩く。
「彼女を置いていくか、連れていくか」
「っ!」
「連れていくなら、それなりの処置が必要よ。その場合は、言うまでもないわね」
神官としての力は失われる。
「それだけじゃないわ、もしそうした場合ことが女神に露見する可能性もある。いいことなんてほとんどない。だからはっきりと言うわよ」
目が真剣な光を帯びる。
「彼女は置いていきなさい」
マーリーの真摯な言葉に、シュウは目を伏せる。
目の前の黒猫は、徹頭徹尾シュウとリットの事を思って言ってくれている。
「彼女自身の意見は一度考えないものとしておきなさい。結局最後まで戦うのはあなたになるのだから」
リットを連れて行っても、メリットはほとんどない。
まだ出会って5日程度だ。
大して一緒にいたわけではない。
どこかの街で適当なことを言って別れてしまえばいいのだ。
だというのに、なぜだろう。
こんなにも別れたくないと思ってしまう。
「……つらいのは分かるわ。あたしも仲間と別れるときは同じ気持ちだった」
「仲間……?」
「あの子は、あんたにとって大切な仲間なんでしょう」
黒猫が、やさしいまなざしを向けてくる。
きっとこの猫はすべて見透かしていたのだ。
眠っているリットを前にした短いやりとりで、シュウ自身が気が付いていないようなリットへの信頼を。
「だからこそ、彼女は置いていくべきよ」
選びなさい。
そう、細められた目は言っていた。
出会ってからのリットの色々な顔が頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。
そうだった。
自分にあんな友達が、仲間ができるだなんて思っても見なかったのだ。
悠衣の体調が悪くなってから、シュウは悠衣以外の物をほとんど気にしなかった。
共通の話題についていけない奴、ノリが悪い奴、空気を読まない奴。そんなものはあっという間につまはじきにされる。
だから悠衣を中心に生活していたシュウは、悠衣がいなくなったことで何もかもを失ってしまったような気持ちになってしまったのだ。
悠衣の代わりと言うわけではない。
だが、再び手に入れたこのつながりを手放すのは、シュウにとってとてもつらいことだった。
「俺は……」
そこで口が止まってしまう。
次の言葉が出てこない。
理性では置いていくと言っている。
感情は別れたくないと言っている。
シュウ体は真っ二つに分かれてしまった様だった。
「……悪いんだけど、あまり時間がないの。今外で―――」
そんな様子に少し焦ったように口を開いたマーリーだったが、その言葉にガラスを割ったような音が響いて重なる。
「何だ、今の音は!?」
「ああ、もうっ。心配してた通りになったわね。シュウ」
マーリーの視線が外を鋭く睨んでいた。
「悩むのはいったん後よ。外へ出てちょうだい。お客さんが来たわ」
「お客さん?」
「実はあんた達を匿ってから、外でずっと結界を破ろうとしてる連中がいたのよ。破られはしないと高をくくってたんだけど。思ったよりも強いのが来てるみたいね」
テーブルをするりと降りて、シュウを見上げる。
「外へ出て。迎え撃つのよ」
そう言うなり四足で駆け出す。
俊敏な動作は猫そのものだ。
「どうしたの、早く来なさい!」
「……分かった!」
シュウはそれに続いて駆け出した。
廊下を通り抜け、玄関から外へ出る。
その間も、心のもやもやは晴れることはなかった。
この戦いが終わるまでには決めなければならない。
軽く動く体に反して、心は地面に沈み込むかのように重くなっていた。