41話 回顧
一階へ猫と降りてくると、シュウはリビングへ通された。
小さな植木鉢が幾つか並び、緑の多い印象だ。
マーリーはそこで待つように言うと、部屋の奥へと向かった。どうやらそちらにキッチンスペースがあるらしい。
お茶を飲みながら、と言うことだったが猫の姿でどうやってお茶を淹れるつもりなのか、かなり気にはなったがひとまず椅子に座って待つことにした。
少し広めのテーブルの上にも小さな鉢植えがあり、黄色い小さな花が咲いている。視線を正面に向ければ、ガラス張りの大きな窓があり、外の景色を見ることが出来た。
燦燦と陽光が降り注ぐ外には花壇があり、色とりどりの花が咲いている。
そしてもう数メートルほど芝生の空間があって、その先は何も見ない。
濃い霧によって覆われているからだ。
霧の城壁、と呼ぶのがふさわしいだろう。
「あれはあたしの結界魔法よ」
リビングへと戻って来たマーリーが教えてくれる。
床をとことこと四足で移動してきたマーリーは、シュウの膝の上に一度乗ってからテーブルへと飛び乗った。
そしてその真ん前へとお茶の載ったお盆が置かれる。
「!?」
お盆は誰の手にも支えられていない。
中空をふわふわと浮遊してテーブルの上に乗った。
「これもマーリーの魔法なのか?」
「そうよ。さすがにこの体じゃ不便だからね。とはいってもお茶を淹れるなんて何年振りか……この体になってからは何も食べる必要もないし」
「どういうことだ?」
「……順を追って説明するわ」
まぁまずは飲みましょ、と言ってマーリーはコップに顔を近づけて飲み始める。それを見ながらシュウもカップを取り、口にする。
その瞬間、口の中に森の香りが充満した。
口腔から鼻腔へと香りが突き抜け、胃の腑へと落ちた液体は体中を巡ったかのように体を温めてくれる。
「あんた、少し疲れすぎね。こっちに来たばっかりだったら、それも仕方ないかもしれないけれど」
「俺がこっちの世界に来たのは4日前……いや、俺はどのくらい寝ていたんだ?」
窓の向こうの陽はすでにかなり高く昇っている。リットと森に入ったときには同じくらいまで太陽が昇っていたはずだ。
「ざっと半日っていうところね。そう、それなら仕方ないでしょうね。あたしにもそんな頃があったわ」
そう言って肩を竦める姿は人間以上に人間臭い。猫の姿だというのに。
「……あんたは一体なんなんだ」
「そうね、色々話したいことはあるけれど、まずは改めてお互いに自己紹介が必要ね」
目線でシュウに名前を聞いてくる。思い出してみれば先ほどはマーリーの名前は訊いたが、自分では名乗っていなかった。
「ああ、悪い。俺はシュウ。一応、女神にこの世界へと送り込まれた勇者、らしい。上で寝てるのはリット。俺の仲間だ」
「そう、改めてあたしの名前はマーリー。元の世界では桜庭真里菜と言う名前だったわ」
先ほどと同じ名乗り方をするマーリー。
あたしのことはマーリーと呼びなさい、と若干上から目線で言ってくる。その尻尾はなぜか自慢げに揺れていた。
「それがどうしてそんな猫の姿に……?」
「じゃあまずはそこから話しましょうか。あたしのことを知れば、これからあたしがあんたにお願いしたいことも理解してもらえるでしょうし」
「お願い?」
「受けるかどうかはあんたに任せるわ。まずは話を聞いてちょうだい」
「……分かった」
まっすぐに見つめてくる猫の目を見てシュウは頷いた。
その目が満足げに細められて、マーリーは話し始めた。
「あたしがこの世界に来たのは、今からざっと1000年前の事よ」
「ババアかよ!」
思わず口にしたシュウだったが、テーブルに置かれた右手にマーリーの爪が突き立てられる。少しでもマーリーが前足を引けば引き裂かれる状況だ。
「もう一度言ったらひっかくわよ」
「すみませんでした」
「よろしい」
シュウの態度に満足したのか前足をどけてくれた。手の甲には爪の後が残っていた。
「……1000年前、まだ魔王は現れていなかったわ。当時のこの世界は人と、亜人族と魔族の三つ巴に分かれて争っていたのよ」
「魔族?」
エルミナの街では人ではない種族のヒトたちも少数ながら見かけた。それ以降はみていないが。魔族はそれとは別の種族なのだろうか。
「魔族と亜人は別物よ。ただし魔族は1000年前に絶滅したけどね」
「絶滅……」
「そう。あたしと、あたしの仲間たちは魔族を絶滅させる一歩手前まで追い込んだのよ」
「マーリーたちが!?」
魔族がどんな存在かはわからなかったが、目の前の人物が一つの種を滅亡に追い込んだことに驚愕する。
時折体を毛づくろいする姿からは想像もできない。
「言っとくけど、当時はまだちゃんと人間の姿をしてたからね? それに完全な絶滅までは出来なかった。あたしが女神から出された指示がそれだったのよ」
「どういうことだ?」
「簡単なことよ。あたしがこの世界に来るとき女神に出された指示は『この世界を脅かす魔族と亜人族の殲滅』だった。それが出来れば何でも願いを叶えてあげるって言われたのよ。あのちょっと間抜けそうな女神からね」
その印象は、シュウが見た女神そのものだ。
時代によって出される指示に違いがあるのか、頭を悩ますシュウだったがマーリーは話を続ける。
「あと一歩のところであたしたちは目的を達成できなかった。原因は、人間よ」
「人間?」
「味方に裏切られたのよ。三つ巴の均衡が崩れた時、それを成したあたしたちは権力者にとって目の上のたん瘤。それを嫌ったのでしょうね。支援していた国の王様が黒幕だった」
「そんな、ことが……」
「まぁ当時の世界じゃよくある話よ。仲間たちはほとんどその時に死んでしまったけど、這う這うの体で逃げ出して、それからあたしは各地を転々として潜伏して、最後にはこの地に隠れ住むことにしたわけ」
さばさばとそうのたまうマーリーだが、当時はその国の王様を憎んだだろう。それがひとかけらも感じないのは時間がすべてを洗い流したからだろうか。
ただ時折、マーリーの声からは深い悲しみを感じた。それがシュウには気になった。
「そして魔王が生まれて、今度は魔王を倒すために女神からこの世界に連れてこられた勇者たちが戦いを始めた」
「魔王が、生まれた?」
いったいどのようにして、と目で問うシュウだったが、
「その話は後にしましょう。先にあたしの話を済ませるわね」
「……分かった」
不承不承、シュウは頷いた。
「あたしは魔王が生まれたこと、勇者が現れたことを知って各地に自分の分身を派遣した。この体もその一つ」
「分身? それじゃ、女神からあんたがもらったチートギフトってそれなのか?」
「分身は力の一端よ。あたしのギフトは『リライト』あらゆる存在の情報を読み取って書き換える能力。正確に言えば、この体は猫を素体にして本体であるマーリーの意識を書き写したものよ」
そう言って、目の前のお茶が入ったコップを尻尾で撫でる。
すると直前までは湯気が出るような熱さだったお茶が、一瞬で凍り付く。
「すげぇ」
「熱の情報を書き換えただけ。あんただって、女神からギフトはもらったんでしょう?」
「俺がもらったのは剣を召喚するギフトだ」
「……それだけ?」
「それだけだ」
胸を張って言うと、呆れたようにため息をつく。
「あんた、他にいくらでも強そうなギフトはあったでしょ。なんでそんな地味なギフトを選んじゃったのよ。そんなんで魔王に勝てると思ったの?」
「いや、色々話を聞いて、魔王に勝てるとは思えなかったし。適当に選んだ」
「……なるほど、賢明ね」
嘲笑まで含んでいるような声だったものが、少し考え込んでから急に真剣みを帯びたものに変わる。
「実際、そんじょそこらのギフトなんかじゃあそこまで強くなった魔王に勝ち目はないわ。それは10年前実際に戦ったあたしの本体が証明してる」
「それじゃ本体は」
「もう死んだわ。10年前、魔王との戦いの中でね」
その言葉を聞いて思い出されるのは元勇者セージの言葉だ。
彼は、魔王との戦いで自分以外は全員死んだと言っていた。
「それ、セージから聞いたよ」
「……そう、彼に会ったのね」
その声にははっきりとした悲しみが含まれていた。
今の彼の状況を知っているからかもしれない。
「とにかく、あたしの本体はそこで死んで終わったわ。元々自分の体の情報もリライトでいじって1000年生きてたから、かなりガタが来てたしあたしは未練はなかったけど」
まるで言い訳をするかのように言い募るマーリー。
実際は本体が死んでいい気はしないだろう。自分が死んだようなものなのだから。
「それじゃ、次は魔王について話しましょうか」
話題を切り替えるようにしてマーリーが言う。